「まえがき」より

まえがき  『精神療法』誌では,『家族への援助Ⅱ』(第19巻4号,1993年7月)と『発達障害児の精神療法』(第21巻4号,1995年8月)の特集を組んだ。前者は,発達障害幼児,言語遅滞児,自閉症児・者,不登校児をもつ家族への援助をまとめたものであり,後者は精神遅滞児,自閉症児・者への精神療法的アプローチを再検討したものである。
 児童青年精神医学の領域において,精神遅滞は重要なテーマであるはずであるが,これまでは福祉の領域で論じられることが多かった。一方,1940年代前半に登場した自閉症は,心理的要因が強く関与する情緒障害と考えられ,1960年代の中頃までは,カウンセリングおよび遊戯療法が盛んに行われた。その後の多くの研究から,自閉症は中枢神経系の成熟障害または機能障害を基盤とする発達障害と考えられるようになり,神経化学,脳イメージング,分子生物学などの最新の研究方法による原因究明が急速にすすめられている。当然のごとく,自閉症の療育,治療は,行動療法,認知療法,感覚統合療法,さらに薬物療法などが主流となり,精神療法的なアプローチは,ごく限られた人々によって行われるものとなってきた。
 あまりに生物学に片寄ってしまい,「欠心精神医学」(Mindless Psychiatry)が主流となりつつある状況の中では,前述した二つの特集は,読者の関心を集めることが少ないと予想されたが,一方では,このような状況であるからこそ「発達障害児の精神療法」を問い直すべきであると考えた。予想を越える反響があり,二つの特集は刊行後間もなく売り切れてしまい,多くの方々から増刷の希望が寄せられた。
 これまで,精神障害についての研究方向は,心理学と生物学の両極の間を振り子のように揺れ続け,時にはあまりに心理学に片寄って「欠脳精神医学」(Brainless Psychiatry)と呼ばれたり,時にはあまりに生物学に片寄り,「欠心精神医学」と批判されたりしてきた。どのような性質の障害を持つ子どもであっても,一人の子どもとして成長,発達するには,生物学的側面と心理社会的側面との相互作用,すなわち統合的視野が不可欠であり,その意味では精神療法的視点を欠くことはできない。

 1998年3月,ヴェニスのサン・ジョルジョ島で,『自閉症・広汎性発達障害の国際会議』が開催され,自閉症の精神療法から分子生物学まで,実に幅広いテーマが取り上げられ,熱心な議論が展開された。この国際会議の総括者に指名された私は,自閉症研究のこれからの方向について,次のような感想を述べた。
 第一に,自閉症の生物学的要因を十分に踏まえながら,自閉症状の成り立ちと,治療・教育の方法を検討するまさに学際的な戦略がますます必要となってきていることは明らかである。先天的といえるほど早く発症し,多彩な症状を持ち続けている彼らの発達過程は,まさに発達精神病理学ともいうべき新しい領域を必要としている。発達精神病理学は,生物学と精神病理学を統合するものであり,児童期精神障害に限らず,思春期,成人期,さらに老年期における多くの精神障害を解明する重要な糸口を与えてくれるものである。
  第二に,自閉症は,自閉症状が明らかになる前の段階における行動,すなわち初期徴候を明確にし得る可能性を持つ重要な発達障害であることを銘記したい。もし,行動レベルにおける初期徴候が明らかになれば,その行動の基盤となる生物学的要因を明らかにすることができ,動物モデルへの研究の糸口,さらには分子生物学的レベルの研究の糸口をつかむことが可能になるであろう。
 第三に,生物・心理・社会学の広いスペクトラムから自閉症状の形成過程を整理することができれば,さまざまな精神障害の治療・教育の戦略において,より具体的で画期的な方法をもたらしてくれるであろう。一人ひとりの子どもの発達を見つめ,一人ひとりの子どもの行動を詳細に観察し,その行動の基盤にある生物学的要因を解明し,症状の神経心理学的な意味を十分に検討することがますます必要となってきている。
 医療経済状況が厳しくなる中で,子どもの精神障害を医療の枠から離して古典的な意味での福祉的枠組みの中で扱おうとする考えが抬頭してきている。高機能自閉症の福祉的援助の問題,自閉症児・者の精神医学的合併症の問題などを考えると,自閉症をたんに発達障害と考えて古い伝統的な療育体系の中で扱うことが,果たして正しい展開なのであろうか。米国で行われている「管理的ケア」(managed care)に象徴される考え方は,ある意味での子どもの人権を軽視するものではなかろうか。今こそ,生物学から心理・社会学までを包括する広い視野を保ち続け,同時に個別性を重視した科学的戦略を積極的に展開すべき時ではなかろうか。

 このような種々の想いをこめて,『家族への援助Ⅱ』と『発達障害児の精神療法』の二つの特集を再編し,さらに「学習障害児への精神療法」(牟田悦子),『自閉症小児期の発達と心理教育』(佐々木正美),「発達障害児を持つ家族とどうかかわるか」(村田豊久)の三編の論文を新たに加えた。超多忙な三人の方々に無理を承知でお願いしたが,快く執筆していただいた。そして,拙著「精神遅滞と精神医学的合併症」(『精神医学レビュー』3号,ライフ・サイエンス社)を一部改変して巻末に掲載した。執筆者に共通する視点は,『プレイ・セラピイ』(金剛出版,1995年)でも強調したが,子どもの精神発達の過程を環境との相互交渉,すなわち関係性の変容としてとらえることである。子どもの存在・行動を総合的に,具体的に,微細に,そして繊細に観察し,共感し,彼らの行動の意味を解読し,語りかけ,交流することにある。……