「訳者あとがき」より抜粋

 本書は,David R. Grove and Jay Haly, Conversations on Therapy : Popular Problems and Uncommon Solutions, W. W. Norton & Company, New York, 1993.の全訳である。
……本書を手にすると,平易な口語英語で読みやすいということもあったが,それ以上に,本書で紹介される現実のケースのもつ迫力,グローブが実際のケースの進行やライブ・スーパーヴィジョンに行き詰まりを感じた段階で交わされるヘイリーとの会話にみられる,いわば臨床の知ともいえるようなヘイリーの問題解決に向けた豊かな着想,そしてその着想の背後に潜む彼の考えがグローブとの絶妙のやりとりによってこそ明確にされるプロセスの醍醐味,さらにはヘイリーから受けたコンサルテーションがその後のセラピーの進行にどのような変化をもたらしたかという仮説の検証結果などが,まるで手にとるように実感され,わくわくしながら時間の経つのも忘れ一気に読み進んだのを思い出す。本書をお読みいただいた読者の方にも私の興奮が多少なりとも共感されるのなら,訳者である私はもちろんのこと,著者である彼らにとってもこの上ない喜びであるにちがいない。それくらい本書には臨床を実践する者にとって数々の示唆が含まれている,と私は確信している。
 著者の一人であるグローブは,オハイオ州立大学で修士号を取得後,ヘイリーとマダネスの指導を受け,現在では,両名がワシントンDCで開設している家族療法研究所Family Therapy Institute of Washington, DCの指導スタッフの一人であるとともに,オハイオ州のウェスタヴィレで家族相談センターを個人開業している。臨床家及びスーパーヴァイザーとしてのグローブの才能は本書からも十分ににじみ出ている。ヘイリーについては,戦略派の家族療法家として,また,ミルトン・エリクソンの卓越した心理療法の功績を世に知らしめた第一人者として,日本ではすでに著名な臨床家であるといってよかろう。……
 ただ,ここでは一点だけ述べたいことがある。それは,ヘイリーが築いた戦略的心理療法は,ヘイリー自身の手によってその時の社会情勢の変化に応じ部分的に修正されたり,新たな考えが導入されたりしているということである。これは臨床活動に対するヘイリーの柔軟な姿勢を反映しているだけでなく,戦略的心理療法が,「問題」や「変化」のとらえ方に関して,治療者やクライエントのおかれた社会的文脈social contextという視点を非常に重視している証であろう。本書で取り上げられているケースの多くが今日のアメリカの抱える社会問題を代表するようなテーマであるのは,単なる偶然であるとは思えない。
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 最近の日本でも,たとえば,ここ数年の間に虐待事例の報告が急増し,被害者への緊急な保護とその際の面接方法,虐待によってこころに深い傷を負ってしまった子どもたちへのケアー,虐待者として位置づけられた両親が再び親機能を取り戻すための治療などについてさまざまな立場からアプローチがなされている。また,夫婦の離婚率は過去最高に達しているとの統計も報告されている。離婚には至らないが深刻な夫婦関係の問題に悩むいわゆる離婚予備軍を含めると,専門的に夫婦療法を行う潜在的ニードはかなりの数に達するのではないかと予想される。しかし,夫婦の双方が自分たち夫婦の問題を積極的に解決しようと考え二人そろって治療機関に訪れる場合はともかく,夫婦のどちらか一方だけが夫婦関係に問題を感じ,相手となる配偶者は一向にその問題を認識していない(あるいは問題を認識していてもその問題を解決する意欲が非常に乏しい)という場合は決してまれではない。これらの場合,ヘイリーのいう強制的治療や危機場面での面接は一つのヒントを提供してくれる。
 本書の中でグローブが直面する治療課題にも,上述したような場面が数々登場してくる。一般論としては理解できるが,では具体的なケースで治療者が行き詰まりを感じたとき,それをどのように考え,どのような治療場面として設定し直し,さらには具体的にどのような言葉を用いて治療を進め,適切な変化を促していくのか,といった日常の臨床を行う者にとって極めて切実な問題は,通常,スーパーヴィジョンもしくはコンサルテーションによってしか得られない。しかも,ヘイリーにケースの相談をしようと思っても,それを実現するのは容易ではない。その意味からすると,心理臨床の達人と言われる人たちが実際に治療者やスーパーヴァイザーに対して行っている助言や指導が,本書のような形で公共化されることは,日常のケースに困難を感じている臨床家にとって非常にありがたいことである。冒頭に述べた私の興奮は,まるでグローブとヘイリーの会話の場に自分も居合わせているかのような錯覚を思わせてくれる臨場感からくるものであろう,と今翻訳を終えるにあたり改めて感じている。
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