はじめに

 1995年の阪神淡路大震災に始まって,地下鉄サリン事件,神戸の少年少女殺傷事件,そして最近の和歌山カレー毒物混入事件など,多くの被害者を生みだした災害や事件は,ここ数年間にわが国で起こったものだけに限っても枚挙にいとまがない。こういった出来事は現実のものであるにもかかわらず,マスメディアを通じてこれらを見聞きした人の多くは,「大変なことになった。しかし,自分は大丈夫だろう」という思いを持つようである。こうした「自分は大丈夫」という思いは,多くの人が共有している,自分を取り巻く環境に対する漠たる安心感,あるいは安全感に由来している。こうした安心感や安全感のおかげで,上述のような事件が頻発するような状況にあっても,人間はある程度平静に日常を送ることができるわけである。しかし,実際にこうした災害や事件に遭遇した場合,この安心感や安全感はもろくも崩れ去る可能性がある。そして,その出来事の精神的,心理的後遺症が,その人のその後の生活に大きな影を落とすのである。
 こういった心理的後遺症を,精神医学や臨床心理学の領域では,心理的トラウマ(psychological trauma)あるいは単にトラウマと呼ぶ。先に述べたような災害や事件が頻発した結果,わが国においてもトラウマという言葉が広く知れ渡ることとなった。そして,現在のわが国の心理臨床あるいは精神医学の分野は,少し言葉は悪いかもしれないが,いわゆる『トラウマ・ブーム』といった様相を呈している。少し大きめの書店に行けば,『トラウマ関係図書コーナー』といったものに出会うことも珍しくない。こうした昨今の『ブーム』は,自己の存在を圧倒するような体験をした人にとっては,その体験が終わった後にも,心に癒やしがたいような深い傷が残り,そうした被害体験から本当の意味で回復を遂げるためには,心の傷の手当が必要なのだという認識に市民権を与えるという意味では,有用であったように思う。しかし,それを功だとすれば罪もあった。罪が何であったかというと,トラウマの概念を曖昧にしたままの,その適用の拡大である。要するに,「心の傷はすべてトラウマ」といった発想がもたれてしまったということである。
 トラウマという概念は,非常に大きな重要性を持っている。しかし,その重要性は,科学的に精緻な検討のもとにあってこそのものだろう。トラウマの概念が,曖昧なままに心の傷一般に適用されるてしまうことによって,心に傷を受けた人からその自己治癒力を奪ってしまうという結果を生じかねない。また,一般的な心の傷とトラウマとの境界を曖昧にすることによって,トラウマを受けた人の苦しみや痛みが見えなくなってしまう危険性すらある。こうした認識のもとに,本書では第1章,2章および3章において,精神医学および臨床心理学の最近の研究を参考にしながら,トラウマ概念の整理に努めた。
 筆者がトラウマという概念と出会ったのは10数年前のことである。当時,筆者は情緒障害児短期治療施設においてセラピストとして勤務していた。その施設には,不登校のために入所している多くの子どもに混じって,家庭内で親などからさまざまな虐待を受けた子どもが何人か生活していた。彼らは,不登校の子どもたちとはかなり違った心理的,行動的な特徴を持っていた。彼らのそういった心理,行動上の特徴を臨床心理的に理解し説明するものとして,このトラウマという概念は非常に有用であった。この概念なくしては,たとえば,自分に関わってくるケアワーカーに対して挑発的な言動を示し,「故意に」としか思えないかたちでケアワーカーから暴力的な関わりを引き出してしまう彼らの行動や対人関係のパターンの背後に存在する心理力動的な意味はまったく理解できなかっただろう。第4章と5章では,トラウマという概念を用いることによって,虐待を受けた子どもたちの心理的,行動的な特徴がどのように理解されうるかを述べた。
 トラウマ概念の重要性は,トラウマティックな体験をした人の情緒や行動などを理解するという力動的診断における意味だけにとどまるものではない。その有効性は,むしろ,心理療法や精神医療においてより顕著になると言えよう。トラウマを抱えた人の心理療法においては,トラウマそのものを取り扱っていかねばならない。そのためには,いったんトラウマとなったものが,どのようなプロセスで消化吸収されていくのかという理論的な枠組みのもとに心理療法を展開していく必要性があるわけである。第6章では,こうしたトラウマに焦点を当てた心理療法,もしくは精神療法の枠組みを,現在,アメリカで行なわれている臨床研究の成果を中心にまとめてみた。
 筆者が日常の心理・福祉臨床の活動において接する子どもの大半は,家族の中でさまざまな虐待を体験してきた子どもたちである。彼らのほとんどは,親などからの虐待という行為によって心に深い傷を受け,それがトラウマへと発展してしまっている。こうした子どもにとって,トラウマからの回復を支えるようなケアが必要であることは言うまでもない。そして,こうした心理的なケアは,プレイセラピーなどの個人的な心理療法と,子どもの生活を心理療法的な観点から構造化するという環境療法(Milieu Therapy)という二つの媒体を通して総合的に実行されなければならない。しかし残念なことに,わが国の子どもの福祉や心理臨床のシステムにおいては,こうしたトラウマを焦点にすえたケアのシステムは整備されていない。そこで第7章では,心理療法や養護施設における虐待を受けた子どもとの筆者の日頃のつきあいをベースに,プレイセラピーを中心とした回復的接近と環境療法を軸に展開される修正的接近との整理を試みた。今後,虐待を受けた子どもへのケアを考えるにあたって,本章の論議がなにがしかの意味を持つのではないかと考えている。
 虐待を受ける子どもの数は年々増加している。子どもの医療,保健,福祉,司法などの領域では,もはや虐待という問題を避けて通ることができない。それどころか,中心的な課題となっていると言っても過言ではない。こうした状況の中で,虐待によるトラウマを中心に据えたケア・システムの構築こそが急務なのだといえよう。

筆 者