「監訳者あとがき」より抜粋

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 本書は,その原題『Brief Therapy & Eating Disorders』が示すとおり,摂食障害の治療にブリーフセラピーの立場から全面的に取り組まれたものであり,まさしく力作と呼ぶにふさわしい。監訳者である私個人にとっても,本書はさまざまなそして格別な思いをかきたたせてくれるものである。とりわけ,著者が,序論の中で述べている自らの臨床家としての変遷の歴史,すなわち「摂食障害」と「ブリーフセラピー」に出会っていくくだりは,実は,私のこれまでの臨床経験ともある面で符合している。……
 さて,本書の力作ぶりについてだが,まず何よりも言えることは,本書が,摂食障害の何たるかすなわちその“本質”や“病理”を理解する上でも最良の教科書であるという点である。こう言うと奇妙に聞こえるかもしれない。なぜなら,ブリーフセラピーは“本質”や“病理”といったものから最も遠い位置に属するからである。ところが,私はここに大いなる逆説を発見したのである。つまり,摂食障害という「問題」をもっているクライエントや家族を,その治療可能性すなわち「解決」の側に徹底して立ってみた時初めて,実は,彼/彼女たちの「問題」とその苦悩のあり方,さらにその変化の過程が具体的に現われてくるということである。したがって,私は,ブリーフセラピーにまったく関心のない,もしくは立場上どうしても従来からの原因追求・問題志向のパラダイムから逃れることのできない専門家や学生たちにこそ,本書は絶対にお薦めの教科書であると確信している。
 ということは,逆に“純粋”のブリーフセラピーの立場にたつ臨床家にとっては,本書はかなりイライラさせられるものがあるだろうと思う。たとえば,バンデューラの自己効力理論をもってくる必要性がどこにあるのか。BFTCの関係性のモデルにディクレメンテらの変化の理論をくっつけなくても。さらに,摂食障害の治療ではたしかに身体的・生理学的な側面の重要性はわかるが,だからといって,それらについての教育的なアプローチを多用するのはどうか,そうしたものは,そちらの専門家に任せればよいのであって等々……。要するに,ブリーフセラピーの精神からして,本書はあまりにも「問題」についての理論がふくらみすぎてやしないか,ということになる(著者も,その点は意識しているようで,本書が「純粋な」ソリューション・フォーカスト・モデルではないとはことわっている)。さらに言えば,ブリーフセラピーを知らない読者には,本書が,単に摂食障害にブリーフセラピーという一技法を適用したものとして,すなわち従来の“○○療法の××症に対する適応と限界”といった医学的パラダイムの内に吸収されて理解されるのではないか,という懸念も起こるかもしれない。以上のような点については,これからのブリーフセラピーのあり方に関する一つの新しい課題を提示しているかもしれない。大いなる議論がわきおこることを期待している。
 それでもなお,私としては,日本において本書が紹介される価値は大変大きいものだと確信している。すでに述べた点とも関連するが,日本での摂食障害の治療は,そのほとんどが精神科や心療内科さらに小児科などの医療場面に大きく依存している。しかも,多くの患者がかなり長期の,しかも治療的にははっきり言って無駄としか言いようがない入院治療を受けている場合が少なくない。米国ほどまだ医療費抑制の国家的戦略が厳しくない日本ではあるが,それでも,摂食障害のクライエントや家族の社会的・経済的負担を考えるとすれば,いかに入院期間を“効果的”に“短期”にできるかという点でも,著者が自らのEDRCで実施してきた多くの治療的アプローチを導入することは大変意義があると思う。もう一つ本書の意義としてあげられるのは,ソリューション・フォーカスト・ブリーフセラピーによる集団療法の実際が詳細に報告されている点である。摂食障害を対象にしているとはいえ,私が知る限りブリーフセラピーのモデルによる集団療法について書かれた本はこれが初めてではないかと思う。さらに,本書の最後に付された“リソース”と称される評価表の数々も大いに参考となるだろう。
 「事例から学ぶ」とはわれわれ臨床家がよく耳にする響きのよい言葉だが,何を,どのように学んでいるのか,ということになるとはたしてどれほどのものだろうか。その意味で,著者が本書の中で多くの事例をそれも実際の面接のやりとりを通じて紹介してくれている点は,摂食障害治療の“ベテラン”の臨床家にとってこそ,自らの臨床を再考するに絶好の機会を与えてくれるものである。
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児島達美