「まえがき」より抜粋

 この夏,ロンドンで開かれた国際精神分析学会各国協会会長会議に出席した時のことである。基調講演を行ったロンドン大学のP・フォナーギィ教授はその講演の中で「精神分析の危機」を訴えた。精神分析を求める患者の減少,精神分析家を志す学生の減少,それらが反映してすぐれた研究論文の減少,革新的理論がながくあらわれないことなどの内容のものであった。その基調講演をうけて各協会の状況が報告されたのであるが,国によっていろいろであった。その中で共通的なことはとくに,ヨーロッパ諸国で顕著であるが精神療法の普及の影響が指摘された。精神治療のニーズは増大しているが,医療経済,医療保障の受けやすい精神療法ですます傾向が広まっているのであろう。この会議では,精神分析と精神療法との関係は継続して討議することになったが,単に経済的なものばかりでなく,それぞれの治療の本質の明確化が必要と思われた。また,会議では精神分析家は個々の患者のみならず,社会に何が貢献できるかにも関心を持つべきだという指摘もあった。
 ヨーロッパでは精神療法のニーズは大変なものであるらしい。昨年,バルセロナでの国際精神分析学会の帰りに,サンチャゴ・ディコンポステーラという小さな古い町に立ち寄ったが,わずかな散歩の間に「精神療法」という看板をかけているクリニックを三カ所もみた。そうしたニーズを反映しているのであろう。ヨーロッパ連合の卒後精神医学教育委員会は提案の中で卒後四年間の研修期間中,毎年,週一回のセミナー,症例研究,それに百数十回のスーパービジョンを義務づけるとしている。また研修生が個人分析を自らの意志で体験されることもすすめられることとしている。その際の精神療法とは力動的精神療法と認知行動療法とも記している。力動精神療法はいうまでもなく精神分析と同根のものである。教育訓練の内容も精神分析と性質の上で変わりない。精神分析がうみだしたものが国際精神分析学会の指導者たちを悩ますほど発達したことは皮肉なことである。
 私のところにアメリカ精神医学会から,M・サブシン博士ら同学会の代表者が編集した「二一世紀精神医学・その構築」と題する大部な本の草稿が送られてきた。これまでの精神医学を総括し次世紀の発展をうらなう内容のものであった。その中で,これまでの精神分析の評価とともに新しい期待が述べられている。それは,①治療者と患者との間の共感関係のより一層の重視,②他の関連領域の学問と照らし合わせ,論理的根拠をもつこと,③薬物療法や社会的治療との併用の発達などである。もちろん,この場合の精神分析は治療法としてのそれである。「共感」の強調は先にのべた精神療法の普及とも軌を一にするものであろう。「共感―支持」は今日,広く求められる精神療法技法であろう。今日,わが国でも精神科クリニックや臨床心理カウンセリングが林立の傾向にある。もちろん大学や精神病院の患者数も少なくない。そこで求められる精神療法は人格の障害に対する重くて長くかかる性質のものではない。もちろんそうした治療も必要な人はいるが,多くは,現実の心理的挫折による情緒的混乱であるせいか,そのような人は軽くて短期間で終わる治療を求める傾向があると考えられる。このような人たちにはまず,「共感―支持」をかかせない。しかしそれですむ人はよい。その人たちの現実の心理的挫折こそ,実はその人の人格の深いところにある悲劇性―破壊性に根ざしていることがあるからである。その治療は精神分析の知識と技法なしにはすすまないであろう。治療者には「共感―支持」ですむものと,深い治療を必要とするものとの区別ができねばならない。現在,わが国で多くの場所で精神分析に関する研究,勉強会が開かれている。これは,人間を知り治療的にかかわるにあたって本物指向が広がってきたことを意味するものであろう。精神分析状況の深い関係は,患者にとっても治療者にとっても現実の生活とはちがったそこから切りはなされたものであるが,実はそれなるが故に両者にとっても真実の世界が展開される。真実をみようとする治療者は本物指向にならざるを得ないのであろう。
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西園昌久