「はしがき」

 この本は,人格障害の精神療法についての研究とケースがまとめられた,おそらく日本で最初の本であろう。
 そもそも人格障害は,いかなる技法によるにせよ,精神療法の実践の対象としては最も困難な対象の一つである。多くの先駆者の努力と工夫にもかかわらず,なおその方法の有効性が確立しているとは言い難い。
 こうした状況の中で,われわれは1998年1月,雑誌『精神療法』において,「人格障害の精神療法」と題する特集を試みた。この本は,そのさいに寄せられた6編の論文を中心に,同誌の他の号に掲載されていて,しかもこの主題に対応する四編の論文(このうちの2編は「逆転移」の特集号に掲載された事例研究)と,新たに書き下ろされた2編の論文からなりたっている。
 われわれは1992年に,人格障害の中で最も臨床的な関心が高い境界性人格障害について,このシリーズで『境界例の精神療法』を刊行した。もちろん本書の中にも境界例を論じたものも二編含まれている。しかし,本書では境界例ばかりではなく,クラスターAからクラスターCにいたる九つの人格障害の類型に対する研究論文と治療経験の報告が含まれている。
 DSM‐Ⅳの人格障害の10類型の中で,触れられていないのは依存性人格障害だけである。けだし,この類型はアメリカ文化の中では障害と見なされるが,日本文化の中ではそれほど目立つことがなく,臨床家の前にあらわれることがまれであるという事情がある。
 そうしてみると,本書は,DSM‐Ⅳの人格障害の,ほぼすべての類型を網羅した日本で最初の書物といえる。もちろん,すべての類型にすべての技法が試みられているわけではない。最近アメリカで流行の兆しのある認知行動療法や弁証法的行動療法などについては,立ち入った論考は少ない。また,草創期の論集であるから,必ずしも,模範や通説として,その位置が確立されたものばかりとはいえない。
 とはいえ,この本に接することによって,読者は人格障害の精神療法に向かって旅立つための,いわば出発点と,歩むべき方向を確認することができるだろう。本書が契機となって,日本における人格障害の精神療法の実践と研究がいっそうさかんとなり,発展してゆくことを祈って本書の「はしがき」としたい。