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「小林 真さんとニーチェ」

加賀 乙彦

 小林真さんは,私がパートタイム医者として働いているK精神病院では,マコト先生で通っている。小林姓の医師は世に多いから区別するためもあるが,もうかれこれ三十数年もこの病院にパート医者として勤めていて,しかも土曜日曜の当直という普通の医者が嫌がる仕事を引き受けている変わった医者だから,職員が,畏敬の念と親しみを込めてマコト先生という愛称を呈しているのであろうと私は思っている。
 彼をこの病院に紹介したのは,私自身はすっかり忘れていたが,私のようである。つまり三十数年前,一九六〇年代の半ばごろ,私は東大精神科の医局長をしていて,関係病院に医局員を派遣する責任者をつとめていた。たぶん,そのときに彼をK病院に送り出したのであろう。それにしても,一度就職してから,三十数年も同じ勤め先にいて同じ仕事を続けるというのは尋常ではない。その持続力と忍耐力に私は驚いてしまい,K病院の職員ではないけれど,マコト先生に畏敬の念を覚えるのである。
 マコト先生の尋常でない点は,そればかりではない。まず山登りが大好きだ。深田久弥の日本百名山はもちろん全部登ってしまったし,世界五大陸の最高峰を,こちらは登ったのではないらしいけれども,とにかく全部見てしまったそうだ。この山の趣味で彼が大事故に遭ったことがある。一九九一年の秋,K病院の職員二人と黒部峡谷の十字峡に出かけて崖から転落して重傷を負ったのである。目撃した職員の証言だと,カメラをかまえて後退してそのまま崖から落ちて岩に激突し,意識不明になった。山奥のこととて担架による搬送は不可能で,ヘリコプターに吊り上げて最寄りの大学病院まで運んだ。その第一報がK病院に入ったときは,もうマコト先生は助からないと誰もが思った。頭も全身も強打して意識不明であったからだ。しかし,彼は奇跡的に意識を取り戻し,骨折も回復して,数カ月後に,病院に杖をついて顔を出し,しかもあれだけの重傷から見事立ち直って,ふたたび土日の当直医を続けたので,みんなをびっくりさせた。この事故のときのエピソードとして,意識が回復したとき彼がつぶやいた最初の言葉がドイツ語であったということが現場にいた職員の口から伝えられた。意識を回復したとき,もうろう状態で発する言葉は,その人の無意識まで浸透している大事な事柄であることが多いから,マコト先生にとってはドイツ語こそが意識の深層まで到達していた言語であったことを示している。
 著者は,医師としての教養のほかにドイツ文学に造詣の深い人である。ドイツに留学し,ヨーロッパ各地を旅行して文学の研究をした経歴がある。偉大な文学者,音楽家,画家などの生まれた所と,死んだ所を,これもたしか百人以上は訪ねたとか聞いたことがある。ドイツ文学や哲学に打ち込みながら,その対象の中心にニーチェがあったことを,私はこの『ニーチェの病跡』を読んで知った。
 この本は,独文学者としてのニーチェの長い間の読書と精神医学者としての臨床と研究との融合によって成っている。すなわち文学者と医学者の二つの側面を持つ著者ならではの労作である。本文でも紹介されているが,精神医学の一つの領域に病跡学があり,天才の精神医学的側面を探究することを使命としている。ドイツでは十九世紀末から,著名な詩人,小説家,哲学者,音楽家などについての研究が行われ,日本でも,一九六〇年ごろから盛んに研究発表が見られるようになった。そのころ,私自身も,夏目漱石の躁欝病について論文を書いて発表したことがある。病跡学は,よく誤解されるように精神医学者の,「軽い気持ちで手がけた遊び」ではない。日本の文学者には,畑違いの医学者が,文学の領域に侵入してくることを嫌う傾向があり,医師でありながら小説を書いてきた私もずいぶんその種の中傷にさらされて来た。しかし,そもそも文学や哲学は万人に開かれた風通しのいい営みなのであって,文学の専門家が他の領域の人を排除する傾向が間違っているのである。そして,病跡学は,文学や哲学の理解に加えて,文学者や哲学者の一生を精神医学の観点から探索していく,まじめな,大切な学問なのである。
 著者は,ニーチェを梅毒性の精神異常,つまり進行麻痺に侵された人と診断している。そのために,作品と生涯の綿密な分析解明が行われている。この分野での先人の研究にも丁寧に誠実に言及がなされている。ニーチェ研究に,このような労作が加わったことを私は嬉しく思う。ただ文献を渉猟するだけでなく,ニーチェの旅した所,暮らした所を訪れて故人を偲ぶという,旅行家である著者らしい目配りがあり,読んでいて楽しい本になっている。
 最後に,また脱線すれば,小林真さんはずっと独身を通してきた。生涯独身であったニーチェの心情を了解していくのに,これは価値のある暗合かも知れない。
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