「まえがき」より抜粋

 夏が近づくにつれ,「私のダイエット作戦」などの特集記事を組んだ雑誌が書店に所狭しと置かれ,デパートでは新作水着が肩を並べる光景を目にします。新聞の折り込み広告や女子中学生や女子高校生が愛読する雑誌の掲載広告にも,○○ビューティアカデミーの減量プログラムなどが氾濫しています。これが拒食症や過食症といった摂食障害の原風景であるかのような思いをしているのは何も私だけではないでしょう。読者のみなさんも同じような思いをされているのではないでしょうか。
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 本来,生きるためにひとに備わっているはずの食欲がひとを不安の渦の中に落としてしまうという時代になってきました。目の前の不安を解決するための手段や欲望を満足させるものはそれぞれが産業となり,先に述べたような光景につながります。
 このような刺激にさらされたとしても,確かに全員が摂食障害になるわけではありませんが,視覚を通した刺激は強力に脳に焼き付くような気がします。とくに,これまでの生活史が必ずしも満ち足りたものではないと感じているひとや体型にコンプレックスを感じてきたひとなど,いわゆる摂食障害という病気を引き起こしやすいと考えられている女の子のこころの中に,このようなメディアによってもたらされた刺激はいとも簡単に侵入してしまうのではないでしょうか。
 平成4年に厚生省の研究班が行った摂食障害の有病率の調査では,人口10万人当たり4.9人,13〜29までの女性に限ると28.5人という結果でしたが,これは300床以上の病院を対象とした結果ですから,実数はその10倍以上多いのではないかと考えられています。アメリカ合衆国では,患者は女子大生の4〜5パーセントはいるのではないかという統計もあるそうです。そして,この病気がやっかいなことは知らず知らずに死への彷徨をさまよう点です。自分の力で病気を克服していく患者さんも中にはいますが,多くの患者さんやその家族はこの病気によって心身共に傷つき,悩んでいます。
 アメリカ合衆国やカナダではすでに各地に摂食障害センターが設立され,小学校で予防のための教育が施されていると聞きます。私自身,トロント大学に留学していたおりに,トロント総合病院の摂食障害ユニットを見学したことがあります。摂食障害に関する包括的な治療プログラムがいまから10年前にすでにありました。医師,心理士,看護婦,栄養士,薬剤師,ソーシャルワーカーなど多くの専門家がチームを形成して治療にあたっていたのが印象的でした。また,プログラムも入院治療,デイケアなどいろいろなプログラムが用意されていました。しかし,残念ながら,日本ではその取り組みがまだなされていません。私は,摂食障害に対する早急な対策がたてられることを切望してやみません。鹿児島大学心身医療科の野添新一教授は,平成10年4月9日付けの朝日新聞の論壇で「摂食障害センター構想」について主張されました。私もまったく同じような気持ちです。
 摂食障害の治療法はまだ確立されたとは言い難いのですが,それでもここ20年の間に着実に進歩してきています。一方,先に述べたように摂食障害の患者が飛躍的に増加しているのも事実です。これまでのように,「摂食障害の治療は難しい」,「ひとりに時間が相当かかる」という考えではこれからも増え続けるであろう患者に対処できないのではないかと危惧しているのは私だけではないと思います。
 わが国では,浜の町病院の深町建(故人)が行動制限療法という画期的な治療法を開発していますが,おもに入院を前提とした治療法です。入院でも外来でも行うことのできる良い治療法がないかと私もこれまで模索してきました。それが今回,読者のみなさんにお伝えするランチセッションです。
 ランチセッションのことはすでに知っておられる方も多いかもしれませんが,実際のところ,ランチセッションを積極的に摂食障害の治療に取り入れている治療者は少ないようです。ランチセッションは,アルゼンチン生まれの米国精神科医サルバドール・ミニューチン(Salvador Minuchin)が摂食障害,とくに,「拒食症」と世間一般でいわれている神経性食欲不振症の家族療法で好んで用いていました。天才とも思えるミニューチンにとってランチセッションは彼一流の治療の道具のひとつでしたが,ランチセッションのことよりも家族療法の視点からみた摂食障害家族に関する記述がその後も摂食障害の病因論として生き続け,ランチセッション自体は忘れ去られようとしています。
 私はたまたまある患者さんのケースでランチセッションによる治療の機会に恵まれました。家族療法という文脈でこそランチセッションを使いませんでしたが,ランチセッションそれ自体が摂食障害の治療で大きな効果を持っていることを知り得ることになりました。このランチセッションを用いた治療は入院患者に限らず,外来通院している患者さんでも応用することができます。
 本書では,私の行っているランチセッションを事例を通してなるべくわかりやすく紹介したいと思います。そして,現在,治療に当たっている方々には治療のオプションのひとつとしてランチセッションを取り入れていただければ幸いです。また,患者さんや両親をはじめとするご家族にはこのような治療があることを知っていただければと思っています。
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