「あとがき」より抜粋

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 摂食障害の患者さんとはじめて出会ったのは大学を卒業して4年経ってからでした。当時私は,消化管ホルモンの研究のために現在の静岡県立大学薬学部の前身である静岡県立薬科大学の生物薬品化学教室(矢内原昇教授)に研究生として出向し,その間,第二駿府病院(現,溝口病院)で週1〜2回アルバイト勤務をしていました。ある時,過食症の若い女性が入院したので一緒に診てくれないかと中村清史先生(現,町田市在)に誘われて診察したのが最初の経験でした。その短大出の女性患者は東京の某テレビ局でアシスタントの仕事をしていたそうですが,仕事を始めてから過食と肥満が出現し,東京のいくつかのクリニックを経て実家のある静岡へ戻って来たそうです。彼女は自宅では過食衝動を押さえることができず,過食とその後の節食を繰り返していました。入院すれば症状は不思議とコントロールできたようです。彼女は,太った体重を減らすことができればすべて解決するかのような考えをもっていました。
 彼女の要求を充たすための,当時の私の治療法と言えば,自律訓練法であるとか絶食療法などの類でしかありませんでした。そこで,私は大胆にも絶食療法を彼女に施行しました。ご想像通り,絶食療法中は体重も減少し,彼女も大満足でした。しかし,過食やその文脈の延長線上にある対人関係について一緒に検討しておらず,彼女は退院後すぐに再発しました。これが私の最初の事例で,ずいぶんといい加減なかかわりをしたと思います。
 静岡県立薬科大学での研究生活を終え,神戸の隈病院で甲状腺学の勉強をした後,大学卒業後7年目に,摂食障害はもとより心身医学の診療経験も不十分なまま,大阪労働衛生センター第一病院の心療内科に赴任しました。そこでも摂食障害の患者さんが待ち受けていました。拒食症も過食症の患者さんもいました。昭和59年のことです。鹿児島大学第一内科の野添新一先生(現,同大心身医療科教授)のグループの活躍で拒食症に行動療法が積極的に取り入れられた時期と一致します。しかし,大阪にいた私は目の前の患者さんにどのように接していいかわからず,九州大学心療内科におられた吹野治先生(現,静岡県立健康センター)にお願いして,治療法について尋ね,行動療法の手順を文書で教えていただきました。文面で書かれた治療法を読むとなるほどと思いましたが,目の前で繰り広げられる実際の臨床とはかけ離れたもののように感じました。
 当時は母子分離を行い,体重で行動枠を決め,経管栄養を併用した栄養療法を行っていましたが,やせ願望であるとか太ることの恐さ,体型の変化に対する恐さなどを話題にすることはあまりなく,体重が増えれば退院というおきまりの治療を行っていました。うまくいったような感覚は少しもありませんでした。ただ,例外が一つありました。それは低体重をあまり問題にしないですんだある過食症の患者さんでした。絵が好きだから習いたいという患者さんの言葉を信じ,ナイトホスピタルの形式で週に何回か美術学校へ通ってもらいました。すると過食・嘔吐の回数がみるみる減っていきました。しかし,当時の私はこのことを不思議だなあと思っていましたが,その変化がどうして生じたのかはわからずじまいでした。
 いま振り返って考えますと,患者さんが持っている治療資質をそのまま伸ばしたことになるのでしょうか。その後,九州大学心療内科に医員として戻り,本格的に摂食障害の患者さんを診ることになりました。
 当時,大学病院ではどの患者さんの治療もほぼ一律に行動療法を行っていました。また,行動制限という制約を設けていました。このような制約を設けても無断離院というか集団の病棟脱走も多数経験しました。だからこそ,契約をきちんととらないといけない,細部にわたって,契約しないからこのような行動化がみられるのではないかと考えていました。もちろん,この治療法でうまくいった患者さんも多数経験しました。しかし,体重が増えては再び低体重になるという患者さんも多く経験しました。治療契約とか治療の枠組みは非常に大切な事柄ですが,枠からはみでてしまうような患者さんを治療する場合に,はみでてしまう感情を扱わないで,一方的に治療枠に当てはめようとしても無理があることをそのうち悟るようになりました。治療する側からの一方的な押しつけでなく,当時を振り返ってみて,もう少し,話し合いという場を大切にしていればよかったと悔やまれます。
 私たちは往々にして過ちを犯します。行動制限の規約が甘いから患者さんは問題行動をおこすのであると考え,行動制限を強化すればその問題は解決するというように安易な直線的思考をしてしまいがちです。そのような対処が逆に患者さんのこころとかけ離れていく場合もありうることを治療を通して,この時期に患者さんから直に学びました。
 その後,2年間の留学期間を経て,再び摂食障害の患者さんと対峙しました。留学期間中にトロント総合病院の摂食障害センターを視たり,米国のミネソタ大学精神科の摂食障害に関する書物を読む機会がありました。認知行動療法を軸に多軸治療をアメリカやカナダで行っているのがよくわかりました。その一方で,幼い頃から自己主張とか契約などがよくトレーニングされている国民と,あうんの呼吸とか,甘えとかの言葉で代表される国民性の違いなどを感じないわけにはいきませんでした。アメリカやカナダの治療者が少し羨ましく思えたのも事実です。
 九州大学心療内科も行動療法から認知行動療法に変化しつつある時期でした。しかし,当時の認知は思考と行動を主に取り上げ,ミネソタ大学などで提唱された思考・感情・行動の三つを認知とは捉えていなかったように思います。まるで患者さんとディベートしているかのような感じを持ち,いつも治療者が勝利者で患者さんは負者のように感じていました。なんとなく,疑問に思い,認知行動療法について幾度となく,小林伸行先生(現,高野病院心療内科部長)に尋ね,認知行動療法に対する私の誤った理解を是正したものです。平成四年に東豊先生(現,鳥取大学精神科)が九州大学心療内科に来られました。たいへんな刺激を受けたことを覚えています。東豊先生との出会いは現在,大分医科大学臨床薬理学教室に所属している坂本真佐哉先生にとりもっていただきました。
 天才肌の東豊先生とご一緒にさせてもらったことが私には大変な財産になりました。東豊先生にはものの見方を教えていただき,目からうろこが落ちたような気がしました。本書で取り上げた患者さんたちの治療にもいろいろ助言をいただきました。この場を借りてあらためてお礼を申し上げたいと思います。
 そして,原口葉一郎先生,磯貝希久子先生(福岡ブリーフセラピー研究所)との出会い,彼らの主催したインスー・キム・バーグ(Insoo Kim Berg)の講演会は私に多大な影響を与えました。インスー・キム・バーグからはソリューション・フォーカスト・アプローチの技法を越えて,慈しみの大切さを教えていただきました。この経験は,またもう一度,深町建先生の行動制限療法を読み返すきっかけにもなりました。そして,深町建先生の治療の中に隠された財宝を見つけたかのような気持ちに浸ることもできました。
 すでにこの時期に私はランチセッションを治療に多く取り入れるようになっていました。ランチセッションはサルバドール・ミニューチン(Salvador Minuchin)の技法ですが,東豊先生の示唆もあって,治療場面で使うようになりました。東豊先生は福田俊一先生とかつてお仕事を一緒にされていた関係で,ランチセッションを熟知しておられました。しかし,そのことはおくびにもださずに私がするランチセッションを静かにみていただきました。いまとなれば有り難い配慮をしていただいたものと思っています。さて,私が最初にランチセッションを行った患者さんはここで紹介した10歳の由加さんでした。いまから思えば,ランチセッションを行うためのいろいろな条件が揃っていたようです。由加さんは私がかかわる前から入院していたので,経過がよくわかっていました。由加さんのご両親は由加さんのことが本当に心配で心配でたまらず,何でも協力していただける状態だったと思います。また,ランチセッションを用いた治療を行うにあたり,他のスタッフも私に協力してくれました。このような状況が私に味方したような気がいたします。
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