「序文」より

 本書の上梓を計画したのはほぼ4年前の平成7年盛夏であった。
 元来,神経症という疾患の理解は,もっぱら“不安”という暖味な精神病理学的な概念を中核とした極めて主観的な精神症状を中心として幾つかの症候群ごとにそれぞれの理念型に区分して纏めた形で進められてきたものである。この領域は,近年急速に開発されてきた科学技術革新の恩恵にあずかり,目覚ましい発展を遂げている医療技術の全般的な進歩とはほとんど無縁の隔絶された領域といっても過言ではなかった。学生時代の30数年前の教科書に記載されていた内容が未だなお堂々とまかり通っていたのが当時の現状であり,その意味では精神医学の中でもポッカリと取り残され,学問的に停滞していた領域と言わざるを得なかった。
 1980年に発表されたDSM-Ⅲでは神経症という名称が解体・放棄が提案され,代わってパニック障害という概念が登場した。これは精神医学史上のエポック・メーキングな事柄で,歴史的な意義をもつ出来事ということができよう。
 振り返って見ると,1960年代には現在のパニック障害に該当する病態(恐怖症不安)に種々の精神薬理学的な検討がなされ,治療薬剤としてMAO阻害薬,三環系抗うつ薬の有効性が英国・米国で報告されており,また同障害の既往をもつ対象者への乳酸静注による誘発試験結果(Pitsら,1967)などより,特定の病態として推測される結果となった。
 1970年代に入ってベンゾジアゼピン系の薬剤についても検討され,なかでもアルプラゾラムの有効性が報告されるなど精神薬理学的な研究が急ピッチでおこなれると共に,一方では他の生物学的・疫学的研究が精力的に展開される状況と併せて,特に操作的診断基準の開発,診断と症状計数との関連に関する臨床的な妥当性研究などの進歩により,独立した病態としてそのエンティティが確立され,1980年DSM-Ⅲに登場する結果となったものである。
 以後1987年のDSM-Ⅲ-Rを経て,1992年のDSM-Ⅳへ受け継がれて今日に至っており,現在ではすっかり定着した感がある。
 本書の刊行を計画したのは,神経症概念を改めて主にbiologicalな立場から再検討する必要性を痛感してきた立場から,まずその突破口として疾患単位として十分に認知されたパニック障害に関して国内の第一線研究者に各研究領域よりの, 現在までの知見ならびに研究成果を整理・解説していただき,改めて再検討してみることはきわめて有意義であると考えたこと,またそのことがパニック障害をのぞく他の神経症領域の病態の理解と新たな解明への手掛かりを示してくれるのではないだろうかと考えたことに由来している。
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白倉克之