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「序」より

 ここに、本書肆から出す筆者の二冊目の単行本として、『こころに添う――セラピスト原論――』なる書物を上梓することになった。実に嬉しい限りである。これは本書の特徴でもあるのだが、ずっと以前に書いたものがほとんどだった前著と異なって、本書のための書き下ろしや、筆者自身が編集者とともにまったく新しく取り組んだ「臨床に疲れた心理療法家のために」と題する座談会を核として編まれたもので、心理臨床や精神科臨床の領域においては、かならずや、セラピストの皆様に迎えていただけるものと信じたい。
 
 本書の標題は、当初いくつかの案があったが、結局表記に落ち着いた。その間のいきさつについて若干書き残しておきたいと思う。
 まず、メインの、「こころに添う」であるが、この言葉自体は、座談会の中で、私自身が何回か用いている用語でもある。編集者の山内俊介君が、この座談会を丹念に活字にしていく段階で見つけだし、「これいいです。このことばをメインに据えて、本書のタイトルにしましょう」と言ってくれたのが、まず、皮切りだった。
 確かに、最近の私自身の心理臨床場面での、もっとも目立つ事態といえば、従来圧倒的に多かった、いわゆる「表現療法」的な、つまり、描画なり、箱庭なり、詩歌なり、歌唱なりの、いわゆる表現媒体が前面に張り出すか、あるいはしばしば介在していたものが、いくぶんか、あるいは随分と背景にしりぞき、それらよりも、もっぱらクライエントの語るところに「聴きいる」のみの、心理療法やカウンセリングの王道に根差した、いわば「絶対聞法」とでもいうべきものが主流をなしている、といってよく、その際、筆者つまり、治療者としての私は、もっぱらクライエントの「こころに添う」とでもいうべき在り方で接していることが多いからである。しかも、この道を三十年も歩んできてみると、サイコセラピーでもっとも大切な態度は何か、何が、クライエントのこころの中で、治療機転となっていくか、ということを考えたとき、こうしたセラピストの態度こそが、その原点を用意するらしい、ということが、見えてきたからでもある。また、「こころに添う」という在り方は、いわゆるユング派とか、ロジャース派とかいった、流派に関係なく、サイコセラピー一般の原点を形成し、かつ、それを成就せしめていく根本的な態度であることが、ここ数年とみに明らかになってきたからでもある。
 次に、副題の、「セラピスト原論」であるが、通常なら、こちらの方がメインとなるべき、堅い、かつ、主題のはっきりしたタイトルであるが、こちらは意外や、「こころに添う」なるタイトルに添えるかたちで浮上してきた。先の山内君は、メインの方にも、「クライエントのこころに添う」とし、サブを「セラピーとセラピストの基礎」というふうに、比較的長く、かつ、読んだら一目瞭然の案を携えてこられた。
 しかし、筆者は、元来本のタイトルは、短ければ短いほどよい、と考えているので、それなら、いっそのこと、「セラピスト原論」と端的に振りかぶった方がいい、と考えたのである。無論、このタイトルをメインに据えなかったわけは、もしそれなら、セラピーやセラピストの定義から始まって、事細かに、つまり、厳密に書き上げていかねばならない、との筆者なりの強迫的な思いがあり、本書は到底そうした作法に立脚しえないことがわかっていたからだ。それでも、「セラピーの基礎」とか、「セラピストのために」とかにしなかったのは、安易な、ハウトゥ本などと同列にされたくない、という自負があったからでもある。筆者なりに、真面目にこの問題に立ち向かっていたからであり、かつ、最近の筆者の在り方を、きっちりと後進に伝えておきたい、と考えたからでもある。
 
 ともあれ、よきにつけ悪しきにつけ、最近ますますその需要が大きくなってきた心理臨床や精神科臨床において、サイコセラピーやカウンセリングに関心のある方々に、筆者なりにこころをこめた大切な一書として、世に送り出したいと思うものである。

山中康裕

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