「日本語版出版にあたって――日本の思い出,そして霊性について――」より

 フォーカシングを教えるために訪れた日本への最初の旅は,私の人生の最高の体験の一つでした。日本には多くの美しさがありますが,中でもいちばん美しいのはそこに住む人々です。私はそれまでも個人として親切な人にはたくさん出会ってきましたが,日本のフォーカシング関係者ほどグループ全体として親切で寛容で気前のよい人々に接したことはありませんでした。彼らは与えることに長けた人々でした。単に物質的なものを与えるというのではなく,あり方自体が与える精神に満ちているのです。
 日本を離れる直前に私は,別れの悲しさについてフォーカシングをしました。すると耳のところにひまわりのイメージが出てきました。それは泣くときの耳の詰まる感じとも重なっていました。そこから気づいたのは,日本でできた新しい友だちは,私にとってはひまわり,つまり,太陽を照り返す花のようだということでした。私の中の太陽の光,私のもっともいいところを,照り返し,引き出してくれたのです。日本滞在中,私は一度も批判的なことばを耳にしませんでした。こうしたらいいのではないかという提案はいくつかもらいましたが,批判されることはありませんでした。
 別れの悲しみについてのフォーカシングではイメージがもう一つ出てきました。喉元のところのシャワーの蛇口です。その蛇口は普通のシャワーとは逆向きになっていて,水を上に吹き出していました。私には,その暖かくてやさしくてさわやかな水が,日本の人々が私とともにいるときのあり方の象徴だとわかりました。その水は,私の頭にいる,内なる批判家を洗い流してくれていたのです。日本の人々は私にお辞儀の仕方を教えてくれました。単なる動きとしてのお辞儀の仕方ではなく,存在全体で相手を尊重するというお辞儀を教えてくれたのです。私は,どんな人とのどんな出会いも尊重すること,そして自分との出会いも尊重することについてずいぶん多くのことを教わった気がします。
 鎌倉の静かな美しい寺で禅僧の指導のもとで座禅を組む機会も与えてもらいました。通された間には,竹でできた簾から,そして出入り口から柔らかい光が射し込んでいました。私たちは禅僧に迎えられ,お茶とお菓子のもてなしを受けました。その後,私たちはお寺の内なるお寺とも言うべきところに案内されました。そこには,13世紀に作られた,優しい面もちの美しい観音像がおさめられていました。瞑想に入る前に僧侶から短いお話があり,そこで「泥の中から蓮は育つ」という話を聞きました。それはフォーカシングをあらわす表現としてもぴったりだと思いました。瞑想の際にも新たに学んだことがあります。瞑想中ときおり僧に棒でたたかれるのですが,そこには筋肉の緊張をほぐすという親切な意図があるとのことでした。 日本の人々からは静けさについてもいろいろと教えられました。人々の間のやりとりの中の静けさ,琴の音楽の静けさ,お茶をいただくときの静けさ,そして,竹と水の音の静けさ。今でも,名古屋城近くのお茶室そばの高い竹林で聞いた,竹の風にそよぐ音を思い出します。自分が静かにしていなくてはその音は聞こえないのです。

 日本で行ったワークショップではフォーカシングと霊性についての話し合いも持ちました。そこでは,霊性を定義するには,内容ではなくプロセスについて述べていくことが重要であることを再確認しました。西洋の人々は,霊性を考える際しばしば,より深い結びつきとか,他の人への愛や自我の超越という内容的なことばで定義しようとします。日本人の場合,周りの人々との結びつきや場とのつながりは当然のものとして育てられます。日本語にもそれは反映しています。「私」とか「あなた」といった人称代名詞はしばしば省かれるのです。日本人にとっては,霊的な成長の過程が,分離独立した個人という感覚の形成であることも多いのです。西洋人が霊性を,結びつきや自我超越といったことば(内容に関することば)で説明しようとすると,日本人は,自分たちには霊性は必要ないと感じるかもしれません。私は霊性を,プロセスに注目したことば(暗黙の感じが展開して意味が明らかになり,それによって楽な感じ,生きるエネルギーがもたらされること)で説明します。そのような説明であれば,日本人にも,自分の生活にも霊性がかかわっているとわかってもらえます。
 日本の食べ物の繊細な味わい,仏像の前で感じたおおらかさ,心休まる穏やかさ,そして日本のフォーカシングにかかわる人々のすばらしいたくさんの面影は,これからもずっと忘れられないでしょう。この貴重な体験の機会を与えてくださった日本のフォーカシング関係の皆さんへの感謝をこの機会にお伝えしておきたいと思います。

 最後に「霊性」について特に日本の読者の方に向けて一言,述べておきたいと思います。
 日本の読者の皆さんは,この本で使われている「霊性(スピリチュアリティ)」という語にとまどうかもしれません。どうしてこれほど頻繁にこの言葉が出てくるのだろうと疑問に思われるかもしれません。日本の皆さんにとって,霊性という概念が何か奇妙なものであったり,なじみにくいものであることは承知しています。何か輸入されたもの,自分には関係ないもののようにお感じになるかもしれません。 西洋では何千年にもわたるユダヤ‐キリスト教的な伝統の中で,霊性の定義や検討が行われてきました。アメリカでは近年,霊性が一般の人々の間でも重要な概念になってきています。カウンセリングや心理療法の中でも霊性に関する話題がしばしば取り上げられるようになってきました。そのため,こころの健康にかかわる専門職の人たち(資格カウンセラー,心理学者,ソーシャル・ワーカーなど)にも,人間体験の霊的な次元を扱うための情報が必要になってきたのです。今までの大学院教育だけではそれに十分対応できないのです。実際,アメリカ・カウンセリング学会の一委員会では,霊性という次元を,資格更新に必要な継続研修プログラムも含めて,すべての臨床カウンセラーの教育プログラムに取り入れることを推奨しています。
 私は,霊性を,現実に根づいた成長体験であり,そこから人が生きるエネルギーや幸福感を感じるような体験であると考えています。そういう意味では,カウンセリングや心理療法がめざすものとなんら変わりありません。霊的な体験は,どのような宗教の中にもあり,また宗教以外の場でも起こりえます。たとえば,人は,自然や詩や人との関係に,霊性を感じることもあります。アメリカ人が日本人から霊性について学ぶべきことは数多くあるように思います。他の人への思いやり,生をゆっくりと丁寧に「あじわう」という態度などもその例です。体験的フォーカシング法を教えるために日本にくるたびに私は,霊性について新たな学びを得ています。 体験的フォーカシング法は,ユージン・ジェンドリンの開発した方法です。この方法によって私たちは自分の内なる霊的な成長過程に至ることができるのです。本書を通して日本の皆さんが,フォーカシング法や,クライエントの霊的過程を促進する方法をさらに学んでいただけるよう願っています。しかしそれよりも大きな私の願いは,本書を読んでくださっているこころの健康にたずさわる専門家の皆さんご自身に,自分の内なるこのすばらしい過程を体験していただくことです。そのためにお役にたてれば幸いです。
   2000年5月

エルフィー・ヒンターコプフ