「訳者あとがき」より

 本書の原題は,“Integrating Spirituality in Counseling: A Manual for Using the Experiential Focusing Method”。直訳すると,「霊性をカウンセリングにとりいれる――体験的フォーカシング法を使うためのマニュアル」ですが,日本語版の題名は『いのちとこころのカウンセリング――体験的フォーカシング法』としました。
 クライエントの自己治癒力や自己成長力といった,魂やいのちの持つ力に関心のあるカウンセラーや心理臨床関係者の方々に手にとっていただける題名にしたいと思ったからです。「いのちとこころ」にspiritualityの意味合いを込めました。霊性やスピリチュアリティといった硬い概念ではとらえていなくとも,心理臨床にあたっている方々は,クライエントさん自身の内側のいのちの力を感じることは多いのではないでしょうか。そのようなクライエントの内なる力を尊重し育てるための方法として,本書では,ジェンドリンの体験過程理論に基づく「技法としてのフォーカシング」が提唱されています。そして,その実践の具体的なやり方が,ヒンターコプフ自身のこれまでの臨床に基づきながら具体的に紹介されています。

 ヒンターコプフ自身の日本語版への前書きにもあるように,この本にはspiritual, spiritualityということばがあふれています。このspiritualityの日本語訳は,宗教や教育や医療の世界でも困っているもののようです(「朝日新聞」1999年8月17日)。近年スピリチュアリティと英語のままで表記されることも多いのですが,本書の場合,このことばは頻出しており,スピリチュアリティという訳語にするとカタカナだらけになりかねません。また,日本の文化の中で理解しやすいものとするためにも,できるだけ日本語に置き換えたいと思いました。そして,前出の朝日新聞記事で紹介されていた東西宗教交流学会での議論も参考にし,キリスト教会の訳や鈴木大拙の「日本的霊性」を踏襲して,霊性ということばを採用しました。
 また,この翻訳の過程で直接間接に力になっていただいた故都留春夫先生のご意見もこの判断の支えになっています。都留春夫先生(国際基督教大学名誉教授,ジェンドリン『フォーカシング』の訳者の一人)は,このヒンターコプフの原著を読まれて「自分の感覚にいちばん合う」と大切に思っていらしたようです。1999年10月に先生を喪ったことは,私個人にとってもフォーカシング関係者にとっても大きな哀しみでした。生前,この日本語版への序文もお願いしましたが,残念ながらかないませんでした。しかし,その際にいただいたspiritualityの意味や訳語についての丁寧な考察を含むお手紙を参考にしながら,spiritualityの訳語について補足したいと思います。まず先生からいただいたお手紙(1998.6.20付)を抜粋要約して紹介します。
 Spiritはもともとギリシア語やヘブライ語では「風」「息」という意味があります。多くの文化の伝統に,創造主が息を吹き込むことによって「いのちを与えた」とする伝説的な考え方があります。日本でも生き返ることを「息をふきかえす」と言います。「いのち」は「いきのうち」であり「生きる」は「いき(息)る」に通じます。そのspiritと霊を同意語として使う習慣はキリスト教にしかないものかもしれませんが,「いのち」を「いき」づかせるもとになる力が霊であると考えれば,spiritは「霊」でいいわけですし,spiritualは「霊的」,spiritualityは「霊性」でいいでしょう。「霊」を国語辞典でひいてみると,「たま」「たましい」とあり,日本語では「霊」と「たましい」はほとんど同義語として使われています。時には「こころ」と同じような意味でも使われます。
 日本語でスピリチュアリティを一般的なことばとして通用させるよりは,従来から使われている日本語のことばを一般化していく方が私には望ましく感じられます。 spiritを,私も都留先生と同様に,いのち,魂,こころ,霊,精神という日本語になるようなそれらをすべて込めたような意味合いのものとしてとらえています。そのようないろいろな訳語を文脈ごとに使い分けることも考えましたが,その使い分けに意味があるようにとられるのは困るので,本書では基本的には「霊,霊的,霊性」で統一しました。
 ただし例外として,spiritual wellness modelを「魂の健やかさモデル」と,spiritual emergency, spiritual repressionを「魂の緊急事態」,「魂の抑圧状態」と訳しました。これは日本語としての馴染みやすさという点から「魂」という語を選んだのであり,霊的とまったく同義であることをご理解ください。
 霊という日本語には,幽霊というような怪奇的なニュアンスや霊感商法というようなカルト的な印象が伴うことは気になりました。そして今でも気になります。読者の中にも同様に感じられる方も多いかと思います。そんな場合は,それぞれの方が,「霊,霊的,霊性」を,「スピリット,スピリチュアル,スピリチュアリティ」に,あるいは「魂,魂の,魂の世界」に等,ご自分にいちばんぴったりくる表現に変換しながら読んでいただけると幸いです。

 フォーカシングと霊性の関連については本文に詳しいですが,ここでは私なりに2つの点を指摘しておきたいと思います。フォーカシングを通して霊性が実感されやすいということと,多様な宗教的伝統や霊的実践をカウンセラーとして受容的に聞いていく上でフォーカシング指向的な態度が有効であるということです。
 フォーカシング法は自分の内なる自律的なプロセスとしての変化を自然に育む技法であり,フォーカシングの体験を重ねるにつれそのような変化が深く実感されます。それは生きとし生けるものが自然に備えている自己治癒や成長のプロセスでもあります。このような自分の内からの自然な変化は,自分が努力したわけでもないのにもたらされるという意味で,ときには自己を越えた大きな力に与えられる恵みととらえられることも少なくありません。つまり,フォーカシングは霊性とのつながりへの入り口になりやすいのです。
 しかしここで念のために強調しておきたいのは,フォーカシングは入り口であり,そこから得られるものが何であるかは,霊的な体験であるかどうかも含めて,個人のもとにとどめておきたいということです。これはジェンドリンの基本的姿勢でもあります。
 「フォーカシング」が意味するのは,ある問題についての最初ははっきりしないからだの感覚のそばに居続けることであり,その目的と結果はそこから新たな体験的一歩が生まれることである。フォーカシングは小さな扉である。この扉を通して自分が見つけたものすべてに「フォーカシング」という名前を与えたがる人もいる。しかしそれは違う。フォーカシングとは,問題に関してからだで感じる違和感に注意を向けること,それだけなのである。
 (ジェンドリン『フォーカシング指向心理療法』下巻p.507)
 フォーカシングは体験過程の流れというプロセスを促す基本的な態度や技法であり,そこから生まれてきた霊的体験はその人個人それぞれにとっての内容であってそれ自体をフォーカシングの定義には含めないという態度は潔く自制的なものです。そして,その区別があるからこそ,多様な人々の多様な霊的な信念や体験をそれぞれに尊重しつつ援助することができるのです。常にクライエントの中の体験過程の一歩が進むかどうか,あるいはヒンターコプフのことばによれば,クライエントが楽になる感じ,生きるエネルギーがわいてくるかどうか,を試金石にするというフォーカシング指向的な態度は,多様な霊的宗教的な問題や内容を抱えているそれぞれのクライエントにつきあうための基本姿勢となると思います。アメリカの多様な文化的背景の中では特に,それぞれクライエントごとに内容的に異なる霊性を尊重しつつ深めていく援助が求められているようです。ヒンターコプフは本書の中で,クライエントの体験過程を試金石とすることですべての霊的な体験を尊重しつつ援助するための方法として,フォーカシング法の有効性を説得的に明快に示しています。
 序文にもあるように,アメリカでは精神保健の分野で霊性を扱うことが必須のことになっているようです。DSM-Ⅳ(『アメリカ精神医学会診断と統計の手引き』第4版)では宗教的な問題の項が立てられ,また,世界保健機構のWHO憲章の前文で「健康」の定義として肉体的,精神的,社会的に加えて,新たにspiritualな健康が加えられたことも同じ潮流のあらわれかもしれません。
 日本の文化的背景の中では,心理臨床の中で霊性がテーマとして前面に出てくるようなケースはまだ少ないかもしれませんが,終末期や高齢者の心理臨床の中では欠かせない側面でしょうし,心理臨床的な援助がその方面に広がっていけば霊的な体験を取り扱う必要は増えてくることと思います。また,臨床の中では,精神病的な危機状態や苦悩の極限事態で,憑依現象や霊的な体験など,本書のことばによれば魂の緊急事態の表現を聞くことも少なくありません。そのような場合に,本書を通して霊性との取り組みの基本を把握しておくことは大きな支えになることと思います。
 しかし,このような狭い意味での霊性についてばかりではなく,カウンセリングの中で個人的な問題,心理的な問題と取り組む中で,その人がその人なりに解決の方向に進んでいくこと自体がすなわち,「いのちとこころ」を生き生きとさせていくことであり,そのための援助を豊かにするために本書が役立つことを願っています。

 この翻訳が完成し出版を迎えることができた今,ふりかえると1996年の初来日の時以来のエルフィー・ヒンターコプフとのさまざまな思い出が浮かんできます。私にとっての彼女の印象は,イメージでいうと,ゆったりと深いいのちの水をたたえた,しっとりとした穏やかな湖です。水面近くのほとりから,やすやすとその豊かないのちの水に触れることができる人です。涙にも笑いにもとても近く,感情豊かな人です。ですから,彼女とのつきあいは微妙な気持ちもお互いに率直に伝えあう暖かいものとなりました。
 この本の翻訳を心待ちにしてくださっていたフォーカシングに関心を持つ人々にはずいぶんお待たせしました。「霊性」をはじめ,日本語に移し替えることが難しく,苦労した翻訳でしたが,この翻訳出版によって,エルフィー・ヒンターコプフの貢献が日本の読者の皆さんに少しでも伝わりやすくなることを願っています。
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