「まえがき」より

 私が医師となったのは,31歳を越えてからである。その頃ちょうど大阪大学の学士入学制度が始まったばかりで,私は3年次の医学部編入により4年間で医師となった。それまでは,理論物理学とりわけ非線型物理学を専攻する若手研究者であった。理論物理学から精神医学への転身は,自分自身においては一貫しているように思っている。しかし,周囲の人々にとっては唐突に感じられたようで,よくその理由について尋ねられた。その答えの一つが,ある講演を記録したもので本書の終章に収められている。これだけが口語体なので,本書はそこから読み始めて序章にゆくほうが分かりやすいかもしれない。
 医学に入って,そして医師になって驚愕したのは,医学という世界があまりにもそれまで私が棲んでいた理学系領域の学問の精神風土と隔絶していることであった。なお念のために言えば,工学系と理学系の研究者は,お互いに精神構造を異にしている。工学部はその精神においてかなり医学部に近く,他方,理学部はむしろ文学部に近い。医学と理学の違いをイメージ的に言えば,前者はぬるま湯・過保護と抑圧,後者は選別・競争と自由であり,そしてともにかなり独善的である。医師は,その世界で謙虚であるとされる人であってさえも,当初,私からはかなり尊大に見えた。卒業年次がまず一次的序列を規定して,古(臭)い知識と経験が幅を効かせており,創造(想像)的視点は乏しく思われた。それを乗り越える(無視する)には,かなりの実力を必要とした。とりわけ高校からストレートで医学部に入り,医師になった人の多くは,ごく一部の聡明な人を除けば,医学以外の世界を体験的には知らないために,おおむね世間音痴であった。
 私にとって医学の世界に入ったことは,予想以上の大きなカルチャーショックをもたらした。そのため,私の精神内界に摩擦が引き起こされたが,その感覚はいつまでも失われずに残っている。人は幼少期の体験によってそれ以後の人生が大きく条件つけられる,と言われる。私は,北海道という「外地」に生まれ育ち(ちなみに道産子は,津軽海峡以南の日本を「内地」と表現する),成人に達したあともしばらくは医学に対して無関心であるどころか,むしろ蔑視的な捉え方をしていた。しかも,すでに述べたように医学とはまったく無関係な「物理屋」として学問的人生をスタートさせていた。この出自は,消しようもなく,また消すつもりもないが,いまだに現在の私を大きく規定している。その意味で,すでにもう物理の世界にいたころよりも長く,かれこれ20年近く医学の世界に棲んでいながらも,自分は今でもなおある種の異邦人性を感じている。だから医学の世界に身をおいていることは,北海道弁で言えば「あずましくない」(我が妻の側にいるように心が安らかで穏やかであるような様子ではない)のである。私の書いたものが,いささか理屈っぽく,平均的な精神医学の論文と肌合いをことにするような印象を与えるとすれば,その辺に関係しているのであろう。
 物理学を研究していた最後の数年間に,私は精神医学に方向性を定めた。そして,木村敏先生の著作を通して,当時名古屋におられた先生のもとに行くことを,自分で勝手に一人で決めていた。だがまず医師になることが先決であり,そのための最短コースとして阪大に学士入学した。そこで日本における青年期精神医学の開拓者の一人である清水將之先生と知り合うことになった。当時,阪大で講師を勤めておられた先生は,中井久夫先生が神戸大学教授として転出されたため,その後任に名古屋市立大学精神科の助教授として木村敏教授のもとへと赴任されることになった。これによって,私は清水先生の紹介によりフリーパス同然で,木村先生のもとで学べることになった。今では想像もつかないことであろうが,当時,名古屋地区は日本における精神病理学のメッカのごとき感があり,そのたちこめるオーラが一種独特の雰囲気をかもしだしていた。そのため相当数の若い精神医学徒が名古屋の地で勉学を志しながら,諸般の事情でその願いが果たせなかったことをあとになって知り,我が身の幸運に感謝している。そしてそこからまた,後日ドイツ・マールブルクのブランケンブルク教授のもとに行く道が開けたのである。
 一般的にいって,精神科は医学部の中ではもっとも医学部臭くないと言えるが,とりわけ木村・清水両先生のおられた名市大精神科は,おおかたの医学部の教室(講座)にみられるような悪しきヒエラルキーとはことなった雰囲気があった。少なくとも学問の自由があり(私の眼からすれば,これさえもない教室が多い),研究したい者は大いに研究する自由と機会が存在していたし,またそんなことをあえてしたくない者でもそれほど居心地が悪くなることもなくちゃんと居場所が確保できていた。やれ学会だ,論文だ,研究発表だなどと,お尻を叩かれることもなく,臨床さえ真面目にやっておれば,あとは各自の自由に任されていた。実際,卒後数年の経験くらいで精神病理学の論文が書けるはずもない,という暗黙の了解があった。しかし,いったん何かを求める者にはいつも求めた以上のものが返ってきた。たとえば,教室内の雑談や研究会の発表でも,それがたんなる思いつきや貧弱な発表内容であっても,その中からこちらが思ってもみなかった見方や素材の料理の仕方が目の前で展開されるのである。そのため視点や論点,課題は,何倍にも膨らんでわれわれに返ってきた。しかしながらほとんどの人は,その宝をそのまま持ち腐れにしてしまったようである。その中で唯一,宝を本当に自分のものにしたのは,故・長井真理さんくらいなものであろうか。また,私も含めて何人かの教室員が当時海外に留学したいという大志を抱いていたが,結果的にはそれを望んだ全員がドイツあるいはフランスに行けたのも,求めた者には与えられた例である。
 私は医学部を出て1年目から論文を書き出したので,あまりにも若書きのため気恥ずかしく,また気後れもして,今日まで自分で書いたものを事前に他人に目を通してもらうことはほとんどしてこなかった。結局それが今日まで続いている。そのせいか両先生から,学問的にはほとんど何も継承せずに来てしまったが,その研究態度だけは,到底その域には達しないにせよ多少とも学ばせてもらったつもりである。
 私が医学論文というものを読み始めた頃は,序論や研究方法の説明のすぐあとに症例が出てくることに,とても違和感を感じた。今でも,論文の症例部分は,私にはある種の異物感がともなっている。今ではむしろ,症例こそが精神医学臨床の根本であり基礎であることはよく分かっているつもりである。しかし,物理学という演繹的手法を基礎として出発した人間にとって,症例を通した帰納的手法は,たとえ計量統計的手法を用いたとしても論証的確度としては低いと感じられてしまうのである。それならばむしろ,具体的な症例を通して,端的に理念型としてつまり「一例例証」的に,説明と解釈が与えられたほうが,私には直観的に分かりやすい。少なくとも現時点の精神医学においては,生物学的手法ではいまだに精神には到達しえず(そもそも到達しえるかもわからず),また症例を数多く集めて数理統計的処理を駆使したとしも(たとえば生活史一つとっても)サンプル自体の個体差がはなはだしく,その結果の信頼性と妥当性には疑念を持たざるをえない。それどころか,そもそも研究の基礎となるはずの疾患の診断基準(そして分類学)でさえも,どれだけの普遍妥当性があるのか,大いに疑問とするところである。
 私は,物理学時代にすでに9編の論文を書いていた。その経験から,テーマの理解を深め自分にとって一番勉強になるのは論文を書くことである,と実感していた。分かった積もりになっていても,いざそれをまとめる段になると,それまでは理解していたはずの事柄がかなりあいまいになり,不確かな点が判って,新たな問題意識が浮かび上がってくる。このため私は,医師になった1年目から興味関心のある事柄について,少なくとも年に1編の論文を書くことを自分に課してきた。しかもそれは私にとって,義務でも負担でもなく,私の一種の道楽であり快楽であった。そして年月が経ってみると,論文もいささかの数となったので,今回その中から,幾編かをまとめて本書として出版することにした。事ほどさようにこのような自分勝手な快楽の産物を,資源節約の声が高く叫ばれるおりに公共に供することは,紙の無駄使いになりはしないかと危惧している。しかし,私のような者にもこのような公刊の機会が与えられるなら,「自分にだって」と大いに後学の励みになるのではないだろうか。そして,本書への建設的で刺激的なご批判を仰ぎたいと思っている。
……(後略)