おわりに

 本書で,私は終始「面接」というものを考え続け,さまざまな面から吟味してみた。かつてある講演会で,面接とはいいながら精神療法について話しているのではないかと指摘された。もちろんそういう面は強い。しかしはじめにも記したが「面接」というのは,精神療法の基本であるとともに,一般身体科の診療でも,2〜3分の診療でも必ず行う重要な治療的出会いである。いわゆる精神療法というよりはるかに多種多様な形態と意味をもっている。「面接」について便宜上多数の項目に分けたが,実は常に総体として考えなければ実際には理解し難いものである。方々の項目で同様の内容が繰り返されているのはそのためもある。
 本文の方々に記したことであるが,あらためてここで「面接」というものと,それに携わる治療者のあり方についてまとめておきたい。
 面接とは,同じ人と人との出会いであることが基本である。一方がクライエントないし患者であり,他方が治療者であるところに「治療としての面接」の意味が生まれる。
 ここで治療者自身が,人と人との出会いには大きい意味があること,人はそれぞれ個として重い人生を歩いていることをよく噛みしめる必要がある。しかもクライエントや患者はさまざまな問題や葛藤,苦痛,症状を持って一段と重荷を背負っている。これはどのような人にも起こり得ることでもある。
 こうした視点に立てば,治療者の取る態度は自ずと,暖かさが基本になるであろう。またどのような問題や症状が生起しているのか注意深い眼差しで見つめる必要があるであろう。またさまざまな状況の変化や,苦痛から来る頑なな要求に対して柔軟かつ包容力ある対応が望まれよう。暖かさや柔軟性から時にはユーモアのセンスも必要とされよう。
 また面接の基本は聴くことにあり,包容力と忍耐力が求められる。また言語的でないコミュニケーションの比重も大きく,五感を鋭敏に働かさなければならない。
 また苦痛や悩みへの受容と共感性がなければ治療としての面接は不可能である。このことからクライエントや患者とのつながり,関係性は成立しない。同時に信頼も生まれる。
 さらに面接場面での冷静な自己洞察は必須で,関与しながらの観察は常になされなければならない。
 面接を求める人は,自立することを求めており,また自立して貰うことが大きい目的である。自立する強さを獲得できるように助言することも基本である。同時に自立していくには希望が必要であり,人生の旅立ちは,自己実現への旅であることも共有したい。
 そして,この人生での実存的孤独から連帯を求められるような治療としての面接でありたい。私は本書で「癒し」という言葉はほとんど用いなかった。確かに「面接」に癒しを求めて来る人も多い。しかしこの言葉が現代の流行語になっていることから安易さが感じられたのであえて使用を避けた。
 「面接」は人と人の出会いであり,深い意味を持ち,そこには治療者の人間性も露呈されることを心に刻んでおきたい。……(後略)