もどる

あとがき

 ここには,精神科医師としての私の臨床活動の短いビネットが収められています。
 それらの中には,日常臨床でのいささかドラマチックと言えそうな体験もあれば,とりたてて取り上げるほどのこともない,ある日の平常な営みやもの思いも含まれています。いずれにしても,それらは精神科病院の外来や病棟という臨床場面で私とそこにいた人たちとの間で起こったことであり,起こそうとしたことではありません。
 このような臨床場面をひとつの舞台,あるいはひとつの劇場とみなすこともできるかもしれません。そうすることは,臨床場面で起こっていることに,どこか華やかな彩りを添えてくれそうにもあります。
 しかしながらテレビドラマや小説と異なり,精神科領域での現実の臨床体験は,短いサイクルの限られた時間の内に起承転結が完結し,見終えたり読み切ったりすることにはなりません。それは続きます。なぜなら,それは誰にも動かせない現実のことだからです。
 なんらかの終わりがいつかは来るとしても,いつどんなふうに来るのか,多くの場合,治療を主導している精神科医を含めて誰にもわかりません。そして,その臨床状況がいかに重苦しくても,かかわっている皆が,それにともかくなんとかもちこたえていかなければならないのです。
 この「ともかくなんとか」という言葉に,精神科臨床の真実があるように私はこの頃思うようになりました。そして精神科医である私は,そこで起こっていることにあるがままでかかわっていくことしかできません。

 精神科医の仕事は,臨床経験をある期間重ねたときに治療者として深刻な行き詰まりを体験し,その結果ややもすると,日々の臨床活動が惰性に流されやすくなりそうなものに私には思えます。
 その理由としては,精神分裂病をはじめとする再発を繰り返してしまう慢性の精神疾患に地道に対応するため,変化と実りが見えにくいとのことがあるでしょう。また治療方法に,明瞭な定式があるわけでもありません。巷にはこころの病を劇的に完治させる人がどうやらたくさんいるようですが,患者本人や家族が期待する病状の劇的な改善,すなわち完治をもたらす現実的な手技を精神科医はまずもって持ちません。ゆえに,さまざまな人たちのやり場のない陰鬱な感情に繰り返し向かいあう,重苦しい仕事でありすぎるところがあるのです。
 しかし私の場合は重苦しさは味わっても,幸か不幸か,これまで惰性に流されることはなかったようです。そこには,今日の精神医学が放棄し始めている,疾患や症状ではなくその人を見るという視点が私を後ろから支えてくれていたことが大きかったのだろうと思います。
 ここでの文章の行間にそれを読み取られる方もおられるかもしれません。そしてその視点を支えに私は,日々の臨床経験から学び考え,その学びから臨床経験に戻ることを繰り返してきました。それが,私にできる積み重ね方でした。

 本書のそれぞれの文章の執筆時期には,私が精神科医師として働いてきた期間での二十年目を境にして,その前後数年間があたるように思います。
 ですから,私よりも遥かに豊かな臨床経験を積んでおられる精神科医の方にとっては,取るに足らないエピソードも多いのではないでしょうか。その一方,精神科医になってそうならない方や,精神科医がどんなふうに考えたり,どんなふうな働き方をしているのか,どんな体験をしているのかを知りたいと思っておられる方,とくに精神医学や精神保健の領域で働いておられる方には役に立つところもあるのかもしれません。いや,役に立つものであればと私個人は願っています。ともかくも,ここに私のそのままの精神科臨床での真実が収められているのは確かです。読んでいただけることは,とても光栄です。

 松木邦裕

もどる