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訳者あとがき

 本書は私にとって,2冊目のミルトン・エリクソン関連の翻訳書である。1冊目は,1995年に金剛出版から発行された『ミルトン・エリクソン入門』(“Taproots” by O'Hanlon, W. H.)であった。こうして書いてみると,それからまだ5,6年しか経ってないんだなと思うが,感覚的にはもう随分昔のこと(少なくとも10年は経っている,だから十年一昔的感覚)のような気がする。この5年間で,自分を取り巻く状況がそう大きく変わったとも思えないのだが(立場だって東大の助手のままだし),この時間感覚は一体何なのだろう?
 10年前と言うと,私がエリクソンのことを知ってまだ間もない頃である。だからたぶん,Taprootsを翻訳していた5,6年前の私というのは,エリクソンを初めて知ったときの新鮮な感動をそのまま保っていたんだろう。その勢いで翻訳も臨床もやっていたんだろう。確かに当時の私は,セミナーやワークショップの場では,ほとんどエリクソン・ネタを中心に構成していたし,実際の臨床でも,エリクソンのことは常に頭の片隅にあった。本や論文を読むにしても,エリクソン関連のものがほとんどであった。それがTaprootsの原稿を出し終えてからは,そういうものを読むことがほとんどなくなった。エリクソン財団主催の集りに参加するため渡米することもなくなったし,日本に彼らを招聘することもあまりしなくなった。また自分のセミナーやワークショップで,エリクソンをメインに取り上げることはほとんどなくなった。臨床をやっていても同じである。今は,セミナーやワークショップで解決志向アプローチの話,そして自分たちのオリジナリティをより強調した「未来志向アプローチ」の話をすることが多いし,クライエントと会っているときもそうだ。エリクソンのことなど全く考えていないことの方が多い。こういうことは確かに変わった。自分の中でのエリクソン「熱」は,いつしか冷めてきたのだろう。
 「熱」は冷めたかもしれないが,もちろんなくなったわけではなく,むしろ肌身やあるいは細胞レベルにそれが染み込んできたと言った方が良いのかもしれない。そんな中で本書の翻訳作業を開始して,だから以前のように,本書を読みながら「こんなやり方があるのか!」「こんなふうに考えるのか!」みたいな新鮮な感動を覚えたわけではない(もちろん,すぐに自分の面接の中で試してみた方法もいくつかあったが)。それよりも,しばらくエリクソンから離れていて,自分なりの心理療法への取り組み方,面接の進め方を試行錯誤で模索していって,「これがいいんだろうな」というものがある程度できつつあったわけであるが,そこで本書をきちんと読む機会が与えられ,そしたらこの間私の考えていたことなんて,もうエリクソンがとっくの昔に全部言っていた,ということに改めて気づかされたというのが本音である。別に悔しかったわけじゃない。大変に勇気付けられたのである。私はこの方向でこれからも歩んでいっていいんだな,と。我々は今,(「解決」というよりも)「未来」に焦点を当てる「未来志向アプローチ」というものを提唱しつつあるが,エリクソンは本書の中でも随所にその視点の重要性を強調している(と私には読める)のである。
 本書の面白さの一つは,ヘイリーやウィークランド,あるいはベイトソンのボケぶりにある(少なくとも私には,そこが一番面白かった)。だからヘイリーは「はじめに」で,「本書の最初に掲載されている家族全体との治療に関する対話は,1958年に行なわれている。そんな昔の話だということを,そしてわれわれ質問者の側は,まだ家族を扱い始めて間もない初心者であったということを,読者は心に留めておいて頂きたい……われわれプロジェクト・メンバーが家族に対する見方として当時述べていたことは,全くの初心者のものであり,そして今日我々が持っているものとは違う,ということを強調しておきたい……われわれのしているコメントや質問の中には,今思えば赤面してしまうものすらある。その多くは,現在の研修生たちが私をイライラさせるときのコメントと同種のものである」などと,さんざん言い訳をしているわけである。ただこの現代においても,ヘイリーの言うように,勉強し始めたばかりの人はもちろんのこと,かなり心理療法や家族療法のキャリアを積んできた人の中でさえ,当時のヘイリーたちが持っていた考えや感覚のままである人たちは,たくさんいる。それが何であれ(人であれ関係であれ),「家族因説」に立っている限り,(研究はできても)家族に対する良い援助は望めないであろう。

 ……(後略)

平成13年1月 森 俊夫

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