訳者あとがき

 本書は,“Solution-oriented hypnosis: An Ericksonian approach.”の全訳です。ブリーフセラピーや家族療法の隆盛に伴って,ミルトン・エリクソンの名とそのユニークな治療について多くの人の知るところとなりました。しかし,彼が治療手段として重んじた催眠については,残念ながらいまだ十分な理解や実践がなされていないような印象を受けます。
 本書は,エリクソンの催眠を基礎から学ぶことのできる恰好の入門書と言えるでしょう。エリクソンの催眠をテーマにした著作は,アメリカを中心に何冊か出版されていますが,そのなかでも本書独自の特徴として少なくとも二つの点をあげることができるでしょう。一つは,ポイントが整理され分かりやすいこと,そしてもう一つは,催眠の治療上の役割についてしっかりと考察が加えられている点です。
 ビデオテープやオーディオテープによって,また,逐語録を通して,私たちはエリクソンの催眠誘導の実際に触れられるようになりました。しかし,それらを見聞きしたとしても,自らの臨床のなかで役立てていくのは相当に難しいことではないでしょうか。おそらくはエリクソンが何をやっていてそれが何を狙いとしたものなのか分からないままであることも多いでしょう。また,理解が進み,エリクソンの催眠が「名人芸」と称される所以が分かってきたとしても,そうであるからこそ,なおさら催眠は難しいという印象を強くするかもしれません。
 その点,本書では催眠という複雑なコミュニケーションを習得する道筋が明らかにされ,一つ一つ学んでいくことが可能になっています。そのスモールステップの教授法の分かりやすさに加えて,本書がワークショップの記録であるという構成も読者の助けになると思われます。ワークショップの参加者はいろいろな疑問を抱いたり失敗したりしながら練習を重ねていきます。そして,読者も自らを参加者の姿に重ね合わせながら学んでいくことができるでしょう。
 そして,オハンロンが催眠という治療手段の役割について正面から向き合っている点が本書のもう一つの特徴です。
 オハンロンは参加者にこう問いかけます。
 「いったいなぜ皆さんはトランスを使うのでしょう。催眠というものは何の役に立つのでしょうか。皆さんはこれまで催眠を使わなくても,臨床の場で上手くやってきたのではないでしょうか。それなのに,どうして今さら催眠が必要なのですか」
 これは催眠の独自性や役割を問い直す非常に大きな問いかけです。たしかに,催眠を使わなくても他の手段によってゴールが実現できるならば,わざわざ誤解を受けやすいこの手段を採用する必要はないのかもしれません。催眠だからこそできることや催眠によってアプローチが容易になるのはどのようなことなのでしょうか。
 オハンロンはこの問いに対して一つの答えを用意します。それは「不随意的訴え」に対して催眠を使用するという適用基準です。催眠において,自動的で不随意的な現象が引き起こされやすいことは古くから知られてきました。オハンロンはこの特性に着目し,コントロール不能で意図的に再現することのできない問題に対して催眠を用いるとしています。
 続いて,問題のクラス・解決のクラス・モデルという治療モデルが呈示され,不随意領域においてリソースやスキルを喚起し,解決を構成するプロセスが具体的に語られていきます。つまり,単なる催眠の誘導法にとどまらずに,解決志向の視座からの催眠療法が明らかにされているのです。
 ブリーフセラピーは,MRI以来,観察可能な相互作用や再現可能な行動の領域において問題や解決を捉えてきました。もちろん,エリクソンの影響をうけているため,インフォーマルなトランス(例えば,BFTCのミラクル・クエスチョン)をはじめとして催眠のエッセンスはブリーフセラピーのなかに取り入れられていきました。けれども,催眠そのものを治療手段として公式に採用することはありませんでした。このような流れのなかで,オハンロンは,解決志向セラピーのなかに,相互作用や行動とともに不随意領域に接近する手段として催眠を採用しています。PTSDや解離性障害などのケースが増加しているなかで,不随意領域への接近を可能にする催眠という治療手段は改めて見直される価値の高いものでしょう。
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 変化の激しいブリーフセラピーの領域のなかで,本書の著者オハンロンも治療スタンスの上でも生活の上でもいくつかの変化を経験しています。本書のなかで語られていることと現在の状況との異同について,次に触れておきたいと思います。
 本書のなかでは,ハドソン・センターのこと,そして,妻や義父のことが度々話題にのぼっています。しかし,現在のオハンロンはハドソン・センターを離れ,新たにポシビリティズPossibilitiesというオフィスをサンタフェに開いています。これはパトリシアと別れ,新たな家庭を築いたことを意味しています。また,彼は現在の自らのアプローチを「可能性療法Possibility therapy」と称することが多くなってきました。名称の変更にはいくつかの理由がありますが,その最たるものは,ディ・シェイザーのSolution-focused therapyとの差異化をはかることにありました。
 オハンロンとディ・シェイザーのアプローチは,その名称もまた実際の関わりの上でも多くの点が重なり合います。ですから,両者が混同されることは,本邦はもちろんアメリカでもそう珍しいことではありません。
 訳者が直接オハンロンに両者の相違について尋ねたところ,「スティーブはクライエントとアイコンタクトをしないけれど,ぼくは重視しているよ」と彼一流のジョークに包んで返してくれました(ディ・シェイザーは天井を見ながら面接をする癖?があります)。
 オハンロンによると,初期のBFTCはクライエントの感情や体験に関心を向けたり承認したりすることを重視していなかったということです。また,決められた型通りの質問で構成された面接も,柔軟性を旨とするオハンロンとは相容れない点でもありました。
 このようなことから,オハンロンは自らのアプローチを可能性療法と称し,変化や解決とともに,クライエントの体験に関心を向け承認することの重要性について強調しはじめました。しかし,これは初期の著作から一貫した姿勢であって,可能性療法から言いはじめたことではありません。また,可能性療法を提唱した現在においても,解決志向の名を冠した書物を出版したりワークショップを開催したりしています。つまり,可能性療法はこれまでの解決志向アプローチとの決別を示すものではなく,強調点の違いを示したものとして捉えられるべきでしょう。
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 ミルトン・エリクソンのアプローチに訳者が関心をもちはじめた頃,旅先で立ち寄ったカリフォルニア州立大学バークレー校の書店で,出版されたばかりの本書を手に入れました。その後,エリクソンのアプローチを学んでいくなかで,この本は随分と訳者を助けてくれたものです。その当時,訳者は柴田クリニックの柴田出先生のもとで精神科臨床の研修を受けていました。柴田先生は催眠をコミュニケーションのエッセンスとみなされて,とても重んじておられました。本書のことが話題にのぼった折に,柴田先生は「エリクソンを理解するには彼の重視した催眠からはじめるのがよい」という自説をお示しになり,翻訳を勧めてくださいました。……(後略)

訳者 津川 秀夫