訳者あとがき

 本書は,Barry L. Duncan, Mark A. Hubble, and Scott D. Miller. (1997) Psychotherapy with“Impossible”Cases: The Efficient Treatment of Therapy Veterans. New York: Norton. の全訳である。また,著者らによれば,本書は,同年に出版されすでに邦訳されているEscape from Babel: Toward a Unifying Language for Psychotherapy Practice. New York: Norton.(曽我昌祺監訳『心理療法・その基礎なるもの−混迷から抜け出すための有効要因』金剛出版,2000)の姉妹編でもある。  著者の一人であるスコット・ミラーは,解決志向アプローチによってわが国では有名となったインスー・キム・バーグとの共著,Insoo Kim Berg, and Scott D. Miller. (1992) Working With the Problem Drinker: A Solution-Focused Approach. New York; Norton. (斎藤学監訳『飲酒問題とその解決−ソリューション・フォーカスト・アプローチ』金剛出版,1995)があり,この数年,毎年日本でもワークショップを行っているので,すでに彼のことをご存知の日本の臨床家も少なくない。
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 さて,本書は,日本の臨床家の間でも“面倒な”“厄介な”“病理の深い”“慢性の”“重症の”といった形容詞の羅列によって話題となる(本当は話題にすらしたくないのだが)さまざまな「治療不能」のケースに対する詳細な心理療法の実践報告書である。それだけに,おそらく多くの読者同様,訳者も初めて本書を手にした時には,本書のタイトルはもちろんのこと,とくに,第3部に挙げられている「解離性障害」,「妄想性障害」,「境界性人格障害」といった診断名を目の前にして後ずさりしたくなった。しかし,第1章を読み始めてすぐにこうした訳者の“後ずさり”反応は著者らによって“前向き”へと修正されることになった。いわく「不能を予測することが不能を実現する」と。こうして訳者も「治療不能」に挑戦してみようと決心したのである。
 もう一つ,訳者には本書訳出を促した動機があった。著者の一人であるスコット・ミラーが解決志向アプローチを中心にしたブリーフセラピーの立場に近い臨床家であることから,かねてより,ブリーフセラピーに関心を寄せていた訳者にとっては,「ブリーフセラピーが適応となるのはきわめて限られた“軽症”のケースであろう」,「人間の苦悩がそんなに簡単にブリーフで解決できるはずがない」もしくは「米国流の楽天的なハウツー的セラピーでしかない」といった日本の大多数の臨床家たちのブリーフセラピーに対する誤解を何とかとくことができるかもしれないという思いが強くあった。
 しかし,実際,訳出作業に入ってみると,それは困難の連続であった。ただし,それは,たとえば難解な治療理論を読み解いたり,何か新たな治療技法を理解しなければならなかったからといった理由によるものではない。むしろ,著者らが主張しようとしていることが,実は心理療法において本当に当たり前な事柄であったからである。
 われわれの目には,もはや絶望的としてしか映らないような問題をかかえたクライエントであっても,それにもかかわらず,彼ら/彼女らには固有の生きる力と能力がそなわっているのだ,まず,このことをシンプルに認識しよう。
 とはいえ,実際,本当に当たり前なものほど認識することはもちろん,行うことは難しい。ましてや,それを伝えることはもっと難しい。訳出作業をすすめるうちにこの感覚は益々強くなっていった。この本当に当たり前のことが,逐語による多くの「治療不能」のケースを通じて示されている。セッションで実際に何が起こったのか,そこからセラピストは何を考え,どのように応答していったのか,それらを丹念に追いながら著者らの臨床思考がすすんでいくさまをできる限り忠実に日本語に置き換えていく作業は,まさに訳者自らが「治療不能」へと追いやられるようなプロセスであった。
 今,こうしてあらためて振りかえってみて,この「治療不能」を乗り越えられたかどうかは心許ない。しかし,心理療法における本当に当たり前な事柄が,実は「治療不能」を通じてこそ初めて明らかにされるということ,否,この当たり前なことが忘れ去られた時にこそ「治療不能」が顔をのぞかせてくるのだという,これまた,本当に当たり前なことを訳者らはあらためて思い知らされた。
 できることならば,多くの読者の方々にも是非本書を通じてこれらの点を感じ取っていただきたいものである。
 さらに,本書を通じて,訳者はブリーフセラピーが単なる“ブリーフ”を超えつつあること,その結果,訳者自身,もはやブリーフセラピーという言葉などに支配される必要もなく,したがって,ブリーフが周囲からどのように見られようと,そんなことは取るに足らないことなのだということが実感できて(「自分自身の脈を計る」ことができて),とてもラクな気分になれた。こういう気分ならば,仮に訳者が「治療不能」のケースに出会っても,少しは彼ら/彼女らのお手伝いができそうだ。
 訳者にこうした貴重な体験を与えてくれたことに対して,まずは,著者らに,そして本書に登場した数多くの「治療不能」のベテランたちに心から感謝したい。
  (後略)

児島達美