「まえがき」より

 近年,学校における生徒指導上の課題は多様化・深刻化してきている。不登校,いじめ,学級崩壊,非行・粗暴行動などの多くの課題はいずれも,従来型のいわゆる狭義の生徒指導だけではその対処が難しくなっている。これまでにも教師は,教育相談の研修に努め,これらの課題への対応を模索してきた。平成7年度からは,文部省による「スクールカウンセラー活用調査研究委託事業」が開始され,臨床心理士などの心の専門家を学校現場に導入することによって,学校教育相談活動をさらに深化していこうとする試みが行われるようになった。試行としてのこの事業は平成12年度で終了し,平成13年度からは改めて制度として検討されることになっている。学校教育相談にかかわるまったく新しい事業が展開され,臨床心理士などの心の専門家と学校教師との連携がさらに深まることによって,学校教育相談活動がさらに推進されることが期待されている。
 一方,このような情勢に伴って,学校教育相談という言葉だけではなく,学校教育臨床,臨床教育学などの用語も用いられるようになってきた。これらの用語については,専門家の間でも必ずしも明確な定義がなされているわけではないが,いずれも臨床心理学や心理臨床実践からの発想をもとにして,学校教育あるいは教育そのものを改めてとらえ直そうする試みであると思われる。
 筆者自身も,かつて小学校教師として出発した経験から,このような問題には強い関心を持ってきた。教育現場でさまざまな子どもたちに接しながら,またカウンセリングや心理療法の研修を続けながら,実際に個別的に心理療法的な接近を試み,わずかではあるが経験を蓄積することに努めてきた。学校教育相談の実践から得られる知見をもとにして,教師としての自分自身の力量を高めることや,教育や人間の発達ということを自分なりに考えてみるということを試みてきた。そして,そのような活動のなかで箱庭療法という技法に注目するようになった。こうして,実践と研究とを往復しながら,箱庭療法という技法の魅力にますます取りつかれていくことになった。
 本文にも述べているとおり,箱庭療法という技法は,砂箱といくつかの玩具から構成されており,その限りにおいてはまことに簡単な技法である。しかし,その実,人間の生き方そのものにかかわるという,きわめて奥の深い技法でもある。箱庭療法のこのような特徴のためか,関心を持つ人は多いにもかかわらず,この技法の実践に取り組み,真にこの技法を深めることによって学校現場での実践に生かしている人ということになると,それほど多くないのではないかと思われる。
 筆者は,かつては小学校教師として学校での教育相談実践に箱庭療法を活用し,また現在は臨床心理士として,先に述べた平成7年度からのスクールカウンセラー活用事業にかかわり,中学校現場での箱庭療法の実践を模索している。筆者が小学校で箱庭療法を中心とした心理臨床実践を始めたころには,学校現場で箱庭療法を導入しているというのは珍しかったのではないかと思われるが,最近では,高等学校や中学校の相談室などでも箱庭療法の用具を見かけることが多くなったように思う。すでによく言われていることではあるが,筆者の経験からも,学校教育相談で対象となる児童生徒に接近していくには,箱庭療法という技法はきわめて有効な技法である。この技法の特徴を生かし,現在の学校教育をめぐる生徒指導上の課題に対処していくためにも,箱庭療法をよりよく理解していくことは必要であると思われる。
 せっかく準備された箱庭療法の用具であっても,箱庭療法を使用していた教育相談担当者の転勤とともに誰も使う人がいなくなり,ほこりをかぶっているという場合もないことではない。このような事態を避け,広く箱庭療法についての理解が広まり,学校教育臨床においても箱庭療法の技法がもっと活用されるようになってほしいと願っている。
 このような考えから本書を上梓することになった。本書は箱庭療法のプロセスを主題にしている。心理臨床家にとっては,心理療法のプロセスをいかにして把握するかということはひとつの大きな関心である。また,心理療法のプロセスのなかで面接者と来談者の間にどのような関係が生じているのかということにも関心を持っている。本書は,これらの主題に関して,箱庭療法という技法をとおして,臨床実践と基礎的研究の両方から検討を試みようとするものである。
 本書の第1部は,主に箱庭療法を中心とした学校教育臨床にかかわるものである。箱庭療法を学校教育相談に導入することの意義について考察し,あわせて,かつて筆者が小学校現場で実践をした箱庭療法の事例も報告している。実際の事例にふれながら,箱庭療法の実際問題について検討していただきたい。これらの報告が,これから学校教育現場に箱庭療法を導入しようと考えておられる方にとって,なんらかの参考になれば幸いである。
 また,本書の第2部は,主に基礎的研究にかかわるものである。箱庭療法のよりよい理解のためにも,基礎的研究の成果を参照していただければ幸いである。本文にも述べているとおり,一般的には,箱庭療法に関する基礎的研究の成果を直接的に臨床実践と結びつけることには難しい面があるが,本書で報告している基礎的研究は,試験的な形ではあるが,臨床的な実践に基づく基礎研究である。箱庭療法に関する基礎的研究もさまざまな試みが行われているが,今後はこうした臨床実践にも結びつくような,臨床実践との乖離を埋めることができるような研究が行われることになるはずである。また,そうした研究がさまざまに工夫されて出てくることを期待したいと思う。
 さらに第2部では,箱庭療法家の訓練に関する問題にも言及している。箱庭療法は魅力的だが難しそうで近寄りがたいと感じておられる方にも,ぜひとも参照していただきたいと思っている。このような考察が,初心者と箱庭療法の技法を結びつけるための橋渡しの役割を担うことができるとすれば,幸いである。そして,箱庭療法を実践する仲間が一人でも多くなることを期待したいと思う。
 学校教育臨床の課題は,まだまだ多くのことがらをかかえている。本書は,それらに取り組むためのほんの足がかりに過ぎないが,これからもこのような問題意識を持ちながら研究と実践に取り組んでいきたいと考えている。

平松清志