「はじめに」より

「引きこもりのときはどうしたらいいのか,それを聞きに来たんだ」
「同じ親だけが集まって,こんな話ばかりしててもどうしようもないじゃないか」
「何でもいいから,一つでもうまくいった話を聞いて帰りたいんだよね」………

 2000年3月に,札幌で「引きこもりを考える親の集い」が開催されました。引きこもりの当事者である親だけの集まりは初めてだったこともあって,当日は約50名もの親が参加しましたが,これはそのときの親たちの生の声の一部です。
 もちろん,この集いを始めるに当たって,事前申込みのときにも,また当日にも『これは親同士が交流するための場であり,講演会や学習会ではありませんから』と説明してきたはずでした。引きこもりへの対応では,同じことをしても,その時期によって効果的なこともあれば,逆効果となる場合もあります。たとえば,よく「家族だけではどうしようもないので,思い切って第三者(専門家)に介入してもらうのはどうだろう」といった声を聞きます。これは,混乱した時期から安定期に移り,さらに本人がためらいを感じ始めたあたりではじめて効果的となる選択肢の一つです。ところが,第三者の介入で本人が動き出したという例を紹介すると,親の方ではウチでもうまくいくかもしれないと,時期に関係なしにチャレンジしがちです。ときには本人が混乱して荒れていたり,あるいは閉じこもっているさなかに第三者の介入を求め,状況を変えようとしてしまいますが,これでは混乱を長引かせることにしかなりません。親心としてすぐにでも本人を動かしたいと願うあまり,それがふさわしい時期なのかどうかということには,容易に親の気持ちが向きません。ですから,それぞれ背景が異なる親(家族)が複数集まるこのような場では,不用意なメッセージを送ることのないよう,私を含め支援スタッフは黒子に徹しようと申し合わせたばかりだったのです。
 しかし,親たちの熱い思いは,われわれの予想をはるかに超えるものでした。予定していた時間も終わりに近づいたころ,ある種騒然とした雰囲気の中,怒号とはまた違う,苛立ちやもどかしさや焦りの入り混じったような親たちの声に圧倒され,立ち尽くていた……。今この本を読み返して,あのときの場面が私の胸に飛び込んできます。
 この本は,引きこもりの本人,親(家族)と援助者が,見る方向や角度は違っても同じ目の高さから,それぞれに引きこもりと向きあうことができるようになればという思いから,まとめたものです。そして,この私なりの思いは,きっとあのとき集った親たちの熱い思いに後押しされているものに違いありません。

●コラム 新たな接点

 引きこもりとは,個人,家族,社会のいずれにもまたがるテーマであり,援助という観点からは精神医療,臨床心理,ソーシャルワークなどの各分野からのアプローチがなされています。最近はジャーナリズムの領域で取り上げられることも多くなりました。こうした多面的な問題を,一つの型に押し込めてしまうことは困難です。なるほど,私の臨床的経験からしても,引きこもりのタイプはひととおりではないし,また時期によってもいろいろに姿を変えていくものだと感じています。引きこもりの本人たちの言葉によると「みんな違うんだから」(『ひきこもり/知る語る考える』2000)ということになります。確かにみんな違うというのは正しいのですが,それだけでは混乱した状況を整理することはできません。
 本書では,そうした混乱を少しでも解消するため,ある種のタイプ分けやプロセスなどについての私なりの考えを提案しています。そうすることで,また引きこもりの当事者である本人,その家族(親),そして援助者の互いの位置関係が今以上に明らかとなり,また引きこもりをもっとシンプルにとらえやすくなるはずです。そして,それぞれの立場から自分なりの新たな接点を見つけ出し,少しでもこのテーマに取り組みやすくなることを願っています。
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 本書はこんな形で,本文とコラムで構成されています。本文はできるだけ生活体験に近いところから書き起こし,専門的なコメントなど硬い部分はできるだけコラムとしてまとめてあります。ですから,読者はとりあえずコラムは読み飛ばして,本文だけ読んでいただければ十分です。もう一度読み返すようなことがあるなら,そのときはコラムの方も横目で見ていただければと思います。
コラムというにはどれも長すぎるコラムですが,そこには本文の流れから脇にそれたところでの多様なテーマが取り上げられています。私としてはこうした構成が,ポリフォニック(対位法的)な仕上がりであると自負していますが,単に雑然としているだけなのかもしれません。いずれにしても,一人の心理臨床家がいつもどんなことをあれこれ頭の中に思い浮かべながら仕事をしているのかを,ここで多少なりとも垣間見ることができるのではないかと思っています。こうした構成上のまとまりのなさが読者の理解の妨げになるとするなら,それはすべて著者の力足らずによるものです。本書について,読者各位からのご意見,ご批判,ご感想等いただければ幸いです。
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 この本がこうして形になったのは,私とともに引きこもりの援助に取り組んでくれた多くの関係者のおかげです。北海道立精神保健福祉センターにおいて引きこもり相談,思春期・青年期親の会,引きこもりの本人グループをいっしょに担当した水上和俊,小山和利,木村睦,奥村宣久,竹岡由比,阿部幸弘,高野千代,二口之則,千徳よし子,友廣久子の各氏をはじめとするすべての関係者に心より謝意を表します。
 また,山梨県立精神保健福祉センターの近藤直司氏,関内メンタルクリニック(横浜)の長谷川俊雄氏,朝日新聞記者の塩倉裕氏には,これまで直接間接に数多くの刺激をいただいてきました。それは本書にも随所に反映されており,各氏の日頃の活動に敬意を表するとともに,感謝したいと思います。
 そして,公式,非公式にさまざまな場面で出会った引きこもりの本人,家族の方々のことを忘れるわけにはいきません。みんな,今日まで私とともに歩んでくれた仲間のようなものであり,この本にまとめたことはもとより,いまだ文字に置き換えることのできないでいる数多くのことに気づかせてくれたことに感謝したいと思います。
……(後略)