「はじめに」より

 小児精神科の臨床にADHD(注意欠陥多動性外障害)の概念が登場したのは1980年代になってからであるが,1990年代後半になって各地の専門機関を受診する子どもが急増し,学校現場でもADHDの子どもに悪戦苦闘するようになってきた。
 それとともにADHDの名は世間にも良く知られるようになり,そうなるとADHDの名称が一人歩きし,学級崩壊の張本人にされたり,切れる子どもはADHDだと言われたりしている。しかし,ADHDの子どもを少しでも知っている教師や治療者は,彼らが周囲の変化に鋭敏で,誰かが面白そうなことをしていると釣られてしまって,一緒になって騒ぎ出し,しかも引き際が悪く,皆が手を引いて静かになっているのにまだ騒いでいて,結局,彼一人が叱られることになってしまうこと,そうなると,何故自分だけ罰されるのかとむきになって抗議し,さらに評判を悪くする一方,ADHDの子どもは直情的だが素直で,気に入れば熱心に取り組むことも経験している。現在のようにADHDの教育的対応が大きな問題になっている時こそ,ADHDについての正しい知識を彼らと触れ合うことの多い人たちに伝えなければならない。それには臨床,教育,研究の各領域の先駆者から,平易な言葉で高度な内容を語って貰うことがもっとも望ましい。本書はこうした目的で編纂された。
 第Ⅰ部は臨床医学から見たADHDについての7つの論文を配置した。第1章では精神医学の視点に立って,幼児期,学童期,青年期,成人期へと発達にともなって変遷するADHDの臨床症状と,現在知られている神経学・神経心理学的学説に触れたあと,親への助言を含めた個人療法について専門的に解説している。第2章は小児科医の立場から早期診断と早期対応を詳しく述べるとともに,将来の社会的自立をめざした地域活動について記しているなど,実践と深くかかわった論文である。第3章は最近話題になってきた成人のADHDについて,追跡調査をもとに作成された診断基準,合併症および治療などを真正面から折り目正しく述べられている。第4章はADHDともっとも関係の深い学習障害に目を向け,その概念や病態や分類に触れ,治療的対応の原則など,基本的方向を記したものである。第5章は障害児の臨床で直面する各種の合併症を具体例を提示しながら説述したものであり,第6章ではADHDの治療について,薬物療法を中心に,学校との関わりとともに進められる症例を提示しつつ,包括的治療の立場から詳しく述べたものである。第7章は日本ではまだ行われていない統合的治療をアメリカの現況から記したもので,こうした治療システムから,各治療者が自分たちそれぞれの役割と位置づけを考えるさいに役立つものと思われる。
 第Ⅱ部は第1章と2章で,小学校および中学の情緒障害学級担当教師によって,そこで行なわれている教育的取り組みや直面する困難,それを打開するために要請される生徒に対する見方の変更などが記されている。第3章では臨床心理士が中心になって実施している学童のグループ指導について,その実践にあたっての理念と,実際のスケジュールが記されている。第4章では,医師およびソーシャルワーカーが協力して行っている教育と医療の連携,家族への対応,学校と病院との合同研究会などが報告されているなど,実践の立場からの4論文を配置することができた。学校精神保健に関しては医療の行うケースと学校での対応が好ましい生徒との間に大きなギャップがある。学校ではどんな作戦でADHDの生徒の教育的対応をしているかを臨床家が知ること,および,臨床家がADHDのどんな点に焦点を絞って治療にあたっているかを教育者が知ることが医療と教育とが連帯して取り組む出発点となるであろう。
 第Ⅲ部はADHDの臨床研究ほかの6つの論文を並べた。第1章はその総論として,まず臨床症状に立ち戻って問題点を整理し,それぞれの側面についての研究の方向が示されている。第2章は近年急速に進歩した画像診断法とその限界を詳しく述べたあと,それを応用した神経生理学的研究の成果が要領良くまとめられ,教育者のための知識として大いに役立つと思われる。第3章はADHDの発生機序を胎生期の何らかの影響に求めた研究で,出生時体重が正常の半分以下の,1,500 g未満の新生児を著者自身が追跡した研究の成果をもとに,ADHDを脳の発達の視点が展望されている。第4章は実行機能(第2章では遂行機能)の検査であるCPT(持続処理課題)を,従来の視覚刺激課題に加えて聴覚刺激課題を合を神経心理学や認知心理学から考察した,一歩踏み込んだ研究である。第5章は臨床的によく目立つ多動や注意の欠陥をそのままADHDの原因だと考えて,それを除くことが治療や教育だとする直線的な考えを可能な限り排除して,発達障害の一つとしてのADHDの症状発生についての考え方を述べたものであり,第6章は今後の臨床医学の研究書では必ず触れなければならない医療倫理の問題を,ADHDを念頭に展開をこころみたものである。
 ここで読者は神経心理学に関する項目がないのに気づかれるであろう。当初,本書の構想には入っていたが,ADHDの神経心理学的検査所見となるとLD(学習障害)での所見と重複してしまい,ADHD単独でこれを論じることが困難であること,また,第Ⅰ部第2章に詳しく述べられていることと,第Ⅲ部第3章でも追究されていることもあって,特別の章を起こさないことにした。現在の神経心理学は前頭葉機能の追及など,認知科学として発展を続けていることなど将来の研究の原動力になっているという認識が重要であろう。これらの方向を予知しながら編集された本書がひろく臨床の実地や教育の現場に役立つことを期待したい。
   ……(後略)