「序文」より

 ローレンス,E・ヘッジズ,Ph.D. 

 深層心理学は,近年,考え方において大きな変化を遂げてきた。こうした概念枠の変換について,かくも楽しく,しかも絵を介して理解することができるのが,ジレスピー博士によるこの素晴らしい本である。
 1987年の自己分析においてフロイトは,無意識の思考について検討するいくつかの方法を提示した。フロイトによれば,夢,言い損ない,ユーモア,性行動といったものに無意識の思考としての一次過程を垣間見ることができる(1900, 1901, 1905)。ジレスピー博士の本書を読めば,アート作品でもそのことがいえるようだ。フロイトによる思考としての一次過程は,隠喩と換喩,もしくは圧縮と置き換えという形で作用する。これは,思考としての二次過程,すなわち通常意識的にものを考える場合とは対照的である。
 フロイトは,無意識世界を「地形学的」にとらえたが,このような観念は,ユング,アドラー,ライヒなどの,それぞれの深層心理学に取り入れられている。1923年までに,フロイトは,概念枠の変換が,深層心理学全体に及びつつあると明言した。心理学研究のための新しい「構造」モデルでは,もともと,生物として備えていた力(イド)と個人の中で「私」として生成されていく感覚(エゴ)とを対比させている。これまでにいわれてきた心理状態やコンプレックスに関する疑問が検討されるようになった。たとえば,個人の中で作用する本能のうち,どのような面が「私」を体験する媒介として関係しているか? など。そして,当然のことながらフロイトは,「私」という感覚の内には,社会文化や言語の影響が,超自我という形で永続していると指摘した。かくして,深層心理学の研究には,思考としての意識・無意識だけではなく,自我,エス(イド),超自我といったパーソナリティーの内部構造の働きを考えに入れるようになった。
 カール・ユングは早期の研究から,自己(The self)がパーソナリティーの中核だとしてきた。1950年になって初めて,ハインツ・ハルトマンが,それまでの古典的精神分析だけでなく,自我心理学のために,パーソナリティーとしての一連の機能を司る自我(ego)と構造としてのパーソナリティーの中核である自己(self)とを概念の上で区別した。考え方がどう変化できたかについては,エディス・ジェイコブソンによる基本的な部分を定式化されたものが広く支持されてきている。『自己と対象世界』(1964)の中で,ジェイコブソンは抑うつが強度であったり,障害が重篤な人々との分析に取り組むには,フロイトによる無意識の深度やイド,自我,超自我という構造だけでは枠組として役に立たないと明言した。ジェイコブソンの報告によれば,ある人間が他者の前で自己をどのように表現するかという仕方を解析すれば,必要とされる効果が倍増するという。すなわち,自己と他者の描写がその中で構造化される方法を研究することによって,外界との関係を左右する,個人が主観により作り上げたもののなりたちが分かる。このように「自己と他者」についての心理学は,今や深層心理学が精神を研究する方法に変革を与えるために登場してきた。ジレスピーによる本書がさらに付け加えたことは,心理学者にとって,自己と他者をどう描写するかを研究する新しい方法である。
 自己と他者をどう表現できるかについては,主流もしくは注目すべき見方として4つのものがあげられる。これらの4つの見方によって精神療法についての検討を加える場合には,想起される神話が有する主題に沿って考察することによる。精神病理の研究との関連によってということもある。ジレスピーによる現在の研究の背景を十分に知っていただくために,手短かにこれらの見方について触れておくことは読者の役に立つであろう。
 歴史的にみれば,自己と他者との表現に注目する最初の見解は,フロイトの自己分析から出発しており,それはフロイトが自身の夢にソフォクレスの『オイディプス王』とシェークスピアの『ハムレット』を想起させる,三角関係のテーマを見い出したときのことである。フロイトによる神経症の定義は,子どもが人生における4歳から7歳の間に獲得され,しかるに後の愛情関係にまで必要でもないのに(つまり神経症的に)影響を及ぼしつづける,一連の三者をめぐる情緒関係パターンである。上述の時期に子どもたちは,近親相姦や親殺しへと収束する衝動をあからさまに表現するが,その後は「エディプス・コンプレックス」などの形で抑圧することを学ぶ。そして,このコンプレックスが,その人間の愛情生活に無意識のうちに影響を及ぼしつづける。ハインツ・コフート(1982)は,オイディプスが神託による予言によって正体をあばかれていたのは,すでに誕生の時点であったことに注目を促している。親がそのような形で子どもを拒絶すれば,子どもの中に反抗心が芽生えるのは当然のことである。それとは対照点な話として,コフートがあげている神話の主題は,オディッセウスが鋤で幼い息子テーレマコスの周りに半円を作るくだりである。息子は,パラメーデスによって鋤の前に投げ出されたが,それはオディッセウスがトロイ戦争で生き残るに十分な正気を備えていることを証明するためであった。オディッセウスが懸命に狂気を装ってきたのは,妻と息子を残して死なないためで,子育てには自分の充分な関与が必要だと考えていたからであった。両親が子どもの価値を認め,誇りを持って子どもの淫乱で攻撃的反抗を受容すれば,本能的な生活を抑圧して神経症的なパーソナリティー構造を生じる必要がなくなるとコフートは考える。
 神話の主題の2つ目は,フロイト(1914)が最初に予見した注目すべき見解と関連したものだが,コフート(1971, 1977)によってさらに充分に練り上げられた。もう一人の自分に注目する過程は,ナルキッソスが水面に映った鏡像を通して,自分を確認をすることを見出したのがヒントになっている。3歳児は,自分を鏡に映しその鏡像と一体化し理想化することで,他者との関係を模索し,もともとの自分との統合を絶え間なく図る。そして他者にこのような鏡の役割を求めることで,自分自身を体験するのである。コフート(1971)は,自分だと確認しつつあるこのような愛の対象を「自己対象」と呼んだ。人間の関係様式が,自己を確認し,肯定し,他者から鼓舞されることを絶え間なく求めつづける強迫のみられるこの段階(3歳レベル)のままであり続けると,自己愛的パーソナリティー構造が出現すると考えられる。
 人間関係の底に潜在するものに注目するというのが3つ目の見解であり,ジレスピーの業績はこの中でも最も精緻なひとつである。母親と子ども,二者の関係をアイデンティティーの融合として捉えた最初の見解は,マーガレット・マーラーが「共生」(1968)と呼んだ4カ月から24カ月の発達段階からの比喩である。マーラーの場合,このメタファーを生物学から借用したが,特に子どもが関係パターンを内面化する説明として母子の社会学的関係を特徴づけるまでには至っていない。共生期間における学習パターンもしくは内面構造は,次のような一連の「シナリオ」として考えられる。そこでは,まるで二人が一つであったかのようにお互いに合図しての応答が自動的に行われており,(1)各世代差,(2)男女,(3)善玉悪玉,そして(4)内面と外界,といったそれぞれの区別は明白でないまま,通常の自己と他者の対比がしばしば曖昧で混乱し,万華鏡像のように錯綜している。ジレスピーによる本文で説明され,視覚的作品でも提示されているのは,このようないろいろな方向での区別のできなさなのである。
 神話に現われている共生段階の主題は,ローマの神ヤヌスの特徴すなわち二面で表現される。ヤヌスは,門と戸口の神として知られている。人生にとっての門とは,共生関係下でのやりとりと思われる。成長後,象徴機能や言語や文化が備わっていくのには,知能だけではなく感情の関与が必要だが,それはこの共生的交流を通して行われるのである。フォーラム訳注2)の北の門に入る時のヤヌスはひげのない(中性的な)若者として描かれている。しかし,人智で作られた領域では,強靱で充分に成熟した男性として描かれている。
 このあと展開する本文と挿画は,母子が経験する共生関係様式の,文字通り無限ともいうべき側面を描出している。挿画としてそれらは刺激的で,母として育てる体験の多様性と,重要な交流の出発点から後の人生をいかに形成していくかということと上記経験との関連について,読者に考えさせてくれよう。共生段階に確立された二者関係様式によって後の対人経験が構築されることは避けられない。しかし,「ほどよい(母親による)世話」によって,子どもは母子関係という文化にかたくなに執着することなく自我の独立や三者関係へと関心を向けるようになる。それでも,上述のような二者関係が過度に保持されるならば,境界性人格構造の発現をみることになろう。
 自己と他者の関係様式を理解するために注目すべき4つ目の見解も,ジレスピーの文章や提示された躍動的な挿画に,推敲した形で表わされている。精神の起源は,子宮での後期の数カ月と,生命体として子宮外で生活する早期の数カ月に遡ることができる。赤ん坊の感覚・運動および知覚の能力によって,母体と母性との連繋が最適な条件になるよう調整されている。母体が提供するぬくもりと栄養を哺乳類は共通して求める。哺乳類では,そのような母子関係を容認し促進するためにさまざまな様式の社会構造が発展してきた。母子関係についての知恵が人類特有のものではないとしても,その知性と文化により,置かれた環境に適応して変容するという複雑な課題のもとで赤ん坊を養育できるのが人間だといえる。
 深層心理学では,母子関係の心理学的安定を確立できないと,さまざまな形の精神病を招来するとされてきた。自己と他者の関係としての対人的な結合の形成に不可欠な回路が構築される最早期に的を絞った注目すべき見解のひとつは,赤ん坊が自分や他者をさまざまな形で表現することで関係を模索しているということである。その中でも危機的な場合は,母親との絆がまったく結べないか安全な結び方をし損なうかである。すなわち,周知のようにもし共生関係で人生が始まるとしたら,その個人にとって共生的な絆が結べなかったと思われるある種の早期の発達体験が,深層心理学の研究の対象となる。
 本書の,アーチストによる母子像の章にある,カークの『歯と共にある母子』では,快適かつ安全な共生関係の確立を妨げるであろう諸問題が詳細に表現されている。人間発達形成の真髄を捉えた主題は,プロテウス訳注3)の神話に表現されている。社会的直観の神であるプロテウスは,あらゆるものの形を推測でき,過去,現在,未来にわたる万物について知っていた。時間を超越した感覚と変幻自在の形を創造する能力は,社会を構造化する感覚を獲得しようとして,筋道立った経路を赤ん坊が探索している状況を髣髴とさせる。プロテウスが,アリストテレスに教えたのは,神に栄誉を付与する方法と,ハチの群を飼育する方法であった。自分の直観を社会化できない人間は,絆を結んだり繋がりをつくることを求め続けても,一生失敗に終わる。つながりを持つための母親を見出せないことについては,本書でジレスピーも触れている。
 今のところ,自己・他者関係の枠組は,精神分析家など深層心理学に興味をもっている人たちによって追求されており,もはや病気とか治療とかを根幹にした医学による方向づけを必要としていない。精神をどう表現するかこそが研究の中心だからである。自身の内界を支配している表現様式をさぐるには,系統的に主観を検討すればよいことであり,客観的で科学的な方向づけはもはや要求されていない。子ども時代の歴史的真実とはいったい何かの探究を断念することによって,自己と他者とを的確に表現する,さまざまな関係や物語を発展させてきた。現在では,精神病理学の書物のように神話に出てくる獣を登場させなくても,人間関係に決定的な先述の4点が,各個人の構築した表現世界に注目した見解として再規定されている。そのため精神分析学においても伝統的な枠にとらわれた技法からさまざまな場合に対応しうる技法への変遷が可能になった。もともと言語が備わっていない最早期の発達形態を捉えるには,それにふさわしい形の感情移入が必要なのである。
 ジレスピーの研究は,現代における深層心理学への理解を一層入念なものにしてくれる。複雑な自己と他者関係を視覚化して表現するという重要な貢献を果たした。本書で言葉と絵によって提示される母子関係の表現が,読者の想像力を刺激し,個人的体験によってパーソナリティーが,さまざまな経路で構築されていく様を心に描いてくれるだろう。
 精神療法と精神分析に興味がある読者にとっては,本書は,転移と逆転移とがどう表現されるかという見通しをあたえてくれよう。診断に興味がある読者にとっては,母子画には大まかではあるが特徴ある所見が表われることを十分に教えてくれよう。母子関係の深淵を体験する,あるいは単に最早期の愛情関係を描いたものを楽しむことだけを希望する読者にも,一読の価値がある。
参考文献(略)