「訳者あとがき」より

 臨床の現場ではよく描画を援用している。それは診断のための描画テストであったり,治療の一環としての描画療法であったり,あるいはコミュニケーションの一手段としてである。
 わが国ではともかく,海外では描画テスト・描画療法に関する本は,正確には知らないが,おそらく夥しい数がすでに出版されていると想像できる。一般によく目に留まるものは,人物画,家族画(KFD),バウム(あるいは樹木画),HTPである。ほとんどの業績では,描画の解釈に,古典といえば古典ではあるが旧態依然としたシンボル解釈,つまり紋切り型の精神分析的な類推パターンだけを取り入れたものが多く,偏見ではあろうが多少食傷気味であった。何か目新しいものでなければ世に問うてもあまり意味がないと日々考えていた。新しい精神療法の論が出版されると,その描画版という形でアートセラピーや描画テストへの翻案が追従する。そこには,描画ならではという視点はなかった。
 そのような中で,この本を翻訳する機会が生じた。タイトルにある「Mother and Child Drawings」という文字が非常に興味深く脳を刺激した。以前から,乳幼児期の母子関係に関心を向けていたことも影響している。予想は的中した。本書にみられる母子をユニットとして捉える考え方は「古典」を超えるものであり,少なくとも描画テスト・描画療法の分野でこのような書物にはこれまで出会ったことはなかった。そこで,不安を抱えながらではあったが,上梓に向けて翻訳に取り組むことになった。
 母親と子どもが描かれているということで思い出されるものは,やはり聖母子像であろう。ヨーロッパの美術館を訪れると必ずといっていいほどお目にかかる。それはイコンから出発して中世ルネッサンス以降の写実画までさまざまであるが,単純にキリスト教文化の遺産だと片付けることはできない。むしろ,ユング風にいえば,人類の心の奥底には共通のイメージとして聖母子像が存在するような気がする。実際,大部分がキリスト教徒ではない,身近の学生に「母子」という言葉から連想されるものは何かと問うと,8割以上が聖母子像と答えた。この本と出会ってから偶然にもフィレンツェにあるウィッツィ美術館を訪れる機会があった。名画といわれるレベルのものが数え切れないほど展示されていたが,聖母子像が描かれているパターンの多さにはあらためて驚かされた。聖母子画の前で佇んでいると,気持ちが和らぐだけでなく緩やかな歴史の流れを感じることができる。著者ジレスピーもアートにおける母子に1章分を割き,アートの中で母子をテーマにすることの深層について言及している。そして,作者が自分を表現する方法として最も効果があるのが,母子をテーマにしたときではないかとまで極言する。
 著者は論の展開を見る限り,情緒に流されず信念に固まらず,その態度は非常に客観的である。描画の有する科学的な部分と曖昧な側面を明確に境界付けている。描画を日頃から重宝している者としては,後者の存在価値について強調してくれているのも魅力と思われる。著者の真摯な姿勢は読者に必ず豊かな連想を生じさせ新たに想像力を掻き立ててくれよう。現に,私どもも本書をヒントにして小・中・大学生を対象にした母子画の統計的研究を行った。本書には,実験心理学や生物学的精神医学を専門とする研究者・臨床家にも受け入れてもらえるほどクリアーな論理展開が貫かれている。おかげでシンボル解釈への過度の偏見も大いに修正された。
 著者が,なぜ新しい視点から母子画を始めたのかは定かではないが,母子画を臨床に用いることで,対象関係・対人関係への介入に非常に役立つことが強調されている。インストラクションに付帯する細かな勘どころには,おそらくは多くのバリエーションが存在するのだろう。本文には介入の実際について具体的には書かれていないけれども,私どもがジレスピーの母子画を用いて内的な母子イメージと現実との格差を調査・研究したように,どのように活用するかについては,この本を手に取られた瞬間に連想が膨らみ始めることであろう。それだけ刺激と衝撃を与える,着想に溢れた本である。行間には活字以上のエネルギーが詰まっている。臨床家の日常業務は「行間」を読むことに他ならない。皆さんの創造性と行動力に大いに期待したい。
  2001年4月1日

訳者を代表して 松下恵美子