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「はじめに」より

「『ナラティヴ・セラピー入門』って書いてあるけど,どんな本なの?」
 この本を手にされているあなたは,こんなふうに本書のことが気になっているかもしれません。しかし,もしかすると,不幸のはじまりを手にしているのかもしれません。もしかすると,何か新しい世界への扉に立ち会っているのかもしれません。もしかすると,ナラティヴ・セラピーという「新しもの好き」なのかもしれません。もしかすると,ちゃんと勉強しようとされているかもしれません。もしかすると,最近流行のナラティヴのことに関心があるのかもしれません。
 こんな読者のローカルなディスコースを想像しましたが,もしかすると,過剰な期待があって,それにお応えしきれないかもしれないこと,それを最初にお断りしておくべきだと考えました。

 本書のタイトルは『ナラティヴ・セラピー入門』という簡素なタイトルですが,実際には副題としてつけておきたかったものがいくつかあります。検討したものを包み隠さずに述べるならば,「相当偏ったガチガチの社会構成主義の,なおかつ,ナラティヴ・セラピーの中での臨床だけを理解していただくための副読本」とか,「著者たちが日頃話しているナラティヴ・セラピーというより,社会構成主義の実践のためのワガママなガイドライン」とか,もっと真面目にするならば,「社会構成主義という認識論から見た新たな臨床の展開」とすべきだったかもしれないと思っています。しかし,基本的には我々のこれまで約7年ほどの議論・実践の繰り返しや,海外からの溢れんばかりの情報に翻弄されながらの中から,「日本の臨床においても使えそうなものだ」という部分だけを,それもほんの一握りだけ取り上げたものとなっています。
 そもそも,今もって「ナラティヴ・セラピーとは,なんぞや?」と問われても,上手く説明できるものではないという奇怪なものだというのが,正直な印象です。我々が本書を書き終えた今,その概要を示すことを含めて,まるで言い訳にしか聞こえないような対話のきっかけを以下に記しておきたいと思います。そこには,最近いくつかの紛らわしい誤解が生じているとも感じており,それについても触れておきたいと思います。

 ナラティヴ・セラピーを直訳すると,「物語療法」とか,「語り治療」などと訳されるのかもしれません。しかし,これでは誤解が生じるため,小森康永氏は当時ホワイトらに与えられていたnarrative modelという名称を「物語モデル」と訳して,1992年に邦訳した『物語としての家族』( “Narrative Means to Therapeutic Ends” )に示しています(Whiteら,1990)。ナラティヴ・セラピーという言葉が登場したのは,1996年にフリードマンFreedman, J. とカッブComb, G.による“Narrative Therapy”であり,それ以来一般的にも使われるようになったようです(Freedmanら,1996)。そして,1997年に野口裕二氏と野村直樹氏によってマクナミーMcNamee, S. とガーケンGergen, K,J. の編著書“Therapy as Social Construction”の邦題に,はじめて『ナラティヴ・セラピー』という呼称が使われることになりました(McNamee 1992)。以後,日本においても「ナラティヴ・セラピー」という名称が聞かれるようになっています。
 ナラティヴ・セラピーという言葉を用いる際の指し示すものにも誤解がつきまといます。『ナラティヴ・セラピーの世界』(小森ら,1999)において,編著者たちは二つの立場があると述べています。一つは「新しい種類の治療的介入を提唱すること」,もう一つは「治療にまつわることがらをナラティヴ・アプローチによって分析すること」です。しかし,日本の臨床サービスを提供している専門家から見た場合には,古くからユング派などの使っている,また最近の精神分析で再評価されている「物語」という概念もあり,これは後者の立場に属するものとの共通点が多くみられ,より混乱を生んでいると思われます。ただ,ナラティヴ・セラピーについて先行して議論されている欧米では,小森らの示した二つを「ナラティヴ・セラピー」としています。本書で取り上げた「ナラティヴ・セラピー」は,このうち前者の立場の部分だけを抽出したものとなっています。
 また,本書で何度も取り上げている社会構成主義(social constructionism)の訳語については,社会学の世界で「社会的構築主義」「社会構築主義」との邦訳もあります(Burr, 1985; Gergen, 1994; McElroyら, 1989; Miller, 1997; Kithseら, 1977)。紛らわしいというご指摘も耳にしますが,ナラティヴ・セラピーにおいてはもっと複雑な背景があります。それは,1980年代に生物学や発生学から登場したコンストラクティヴィズム(constructivism)の邦訳が「構成主義」「構築主義」とされていることです。このコンストラクティヴィズムの概念が他の学問領域で用いられ,家族療法にも流入してきたとされています。その後,constructivismとconstructionismの違いを明示させるためにconstructionismにsocialという語を付記することでその違いははっきりしてきましたが,現在もこの違いについての混同は多くの場面で見られます。
 さて,このような難解で重箱の隅を突くような議論を重ねた結果,本書では,それぞれにできる限り原語を付記し,参照としての文献をできる限り邦訳されているものを中心に記したつもりです。それは,われわれの力量ではこれらの難解な理論をわかりやすく説明することはできないと考えたからです。したがって,本書の中で紹介・説明した項目については,あくまでも我々の理解の範囲であって,それぞれについての誤解を含んでいるかもしれません。できるならば,巻末に付記した参考文献には,ナラティヴ・セラピーに関連する重要文献を列記したつもりであり,読者がそれぞれに,本書の確認として,また今後の学習のきっかけとして参照していただければと考えました。
 本書に掲載した日本で実践されているナラティヴ・セラピーの事例については,マスター・セラピストの逐語ではありません。それぞれ我々が行った臨床の中で用いたものであり,逐語の中で登場する個人・団体を特定しない範囲で書き換えている部分もありますが,ほとんど実際の事例そのままです。したがって,高橋の逐語以外はマスター・セラピスト本人の治療スタイルとの違いが見られる部分も少なからずあると思われますので,ご留意下さい。
 また,この5つのアプローチは,たまたま我々の実践の中で試行錯誤した中で用いているものであり,他の日本におけるナラティヴ・セラピーの実践者がこれらの方法以外の手段を用いていることもあるかもしれません。しかし,実際には「社会構成主義の認識論に基づいて行われた実践としてのナラティヴ・セラピー」ではなく,「従来の治療的アプローチをナラティヴ・セラピーによって説明したもの」という形式のスタイルも少なからず見かけます。したがって,本書では社会構成主義の認識論に則って行われている実践としてのナラティヴ・セラピーを示したものとなっています。
 本書の題名を『ナラティヴ・セラピー入門』としたことは,我々にとっては不遜な事態になっていると感じています。本書の最終章に記したように,ナラティヴ・セラピーはこれまでの心理療法・精神療法や心理的援助にかかわるすべての場に対して,大きな影響力を持つものだと考えられます。逸脱や問題が社会的な構成物であるとすれば,その構成されている現実に則って,我々の先駆者は専門性や研究など,様々な貢献を生み出してきたはずです。しかし,そこに社会構成主義の認識論を持ち込むならば,対人援助に関するこれまでにない様々な議論のはじまりとなることは確実です。その意味でも,本書が「ナラティヴ・セラピー入門」という途轍もない新たな地平への扉であるならば,その扉の存在を示すことが「入門」としてふさわしいと考えた次第です。
 はたして本書が「ナラティヴ・セラピー入門」という言葉にふさわしいのか,それは本書を巡る議論がこれから社会構成されていくことを見守るしかないのだと考えます。したがって,あくまでも本書の示している立場は,これまでのような「入門書」としてではなく,「ナラティヴ・セラピーについて語るためのきっかけとなるような経験の一つ」であり,その経験を読者のそれぞれが言葉として外在化・客観化し,その客観化された出来事を我々が再度内在化するという対話のプロセスのきっかけとして位置づけていただきたいと考えます。

2001年10月 吉川 悟

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