「訳者あとがき」より

 この本はドゥニーズ・ドゥ・カスティーラ(Denise de Castilla)の著作『バウムテスト――人間関係と問題行動』(原題はLe test de l'arbre--Relation humaines et problems actuels)の全訳である。著者のドゥニーズ・ドゥ・カスティーラは,サルペトリエール,サン・ルイ,サン-ミッシェル,レオポール-ベランの各病院で臨床経験を積んだ,パリ重罪裁判所付きの筆跡学および臨床心理学の専門家であり,フランス筆跡学協会の認定資格を持ちパリ犯罪学研究所のディプロムを取得しており,刑務所で非行少年,薬物依存者,犯罪者の心理検査も行っている。彼女の著作としては他に
    Christiane Bastin, Denise de CASTILLA: Graphologie, le psychisme et ses troubles, Robert Laffont, 1990.(『筆跡学,心理現象とその障害』)
    Denise de CASTILLA, Christiane Bastin: La Boulime, Robert Laffont, 1988.(『過食症』)
が挙げられ,いずれもクリスチャンヌ・バスタンとの共著であり,彼女は医学を勉強した後に筆跡学と心理学に取り組み,臨床心理士として働いている女性である。
 1990年に出版された『筆跡学,心理現象とその障害』で扱った症例の多くが本書でも取り上げられていて,本書と対比させて読むと被検者のバウムテストと筆跡が確認できるようになっている。筆跡学的アプローチをした著作を出版した5年後にバウムテストを中心に扱った本書を出版したのである。
 この本を読むと今まで紹介されてきたバウムテストの著作とかなり異なった内容になっていることが分かる。ここまで大胆にバウムテストの所見と精神症状を結びつけて論じられた本はなかったように思う。ロールシャッハテストとソンディ・テスト,さらに筆跡学検査の所見に裏付けられているとは言え,その断定的な読み方に抵抗を感じる読者もいるかもしれない。しかし臨床の場で要求されるのはこうした断定的な読み方のような気がするのである。レントゲン写真やCTの読影を勉強する時,まず写真を書き写すのがトレーニングの第一段階であった。骨や脳の形を丁寧に写し取っていくと,見ているだけでは気が付かなかった様々な歪みに気づくものだ。さらにトレーニングでは写真を見て即座に「間違ってもいいから,異常か正常かを言え」と,ベテランの先輩に言われる。どちらかを答えると次には「その根拠を言え」と追い討ちを食らう。所見を述べるということは常にその根拠が求められ,印象で語ることは許されない。症候学(セミオロジ―)とはそのようなものであろう。何らかの変化や歪みを指摘し,判断や解釈を加えるのである。バウムテストも症候学的に読まなければならないと考えていたので,この本の書き方は抵抗なく受け入れられたのであった。まず,描画から特徴的なサインを抽出し,それぞれのサインを根拠にして性格特性や精神症状を指摘し,次にそれらをまとめて総合所見を作る。「三本の木」の手法を使うのであれば,三枚の描画から総合所見を述べるのである。常に「なぜそのように読めるのか」と自問自答しながら所見を書く,つまり常に根拠を示す姿勢を持たなければならない。本書はそうした姿勢で書かれているからこそ,木の各部分と精神状態(性格傾向,精神症状,問題行動)の一覧表も作成できたのである。勿論,これがすべてではないし書き改めていかなければならないものも数多くあるだろう。それは今後の仕事である。そしてそのためには数多くの描画を読み,さらに性格,精神症状,問題行動の背景にあるものについて研究していかなければならないと思うのである。
 フランスは描画研究の盛んな国である。特に児童の描画に関しては膨大な文献があり,発達理論から見事な分析を加えた書物も多い。昨年,人事院在外派遣研究員としてフランスで研究する機会を得たが,滞在中に友人の臨床心理士が精神鑑定を行った裁判を傍聴した折(フランスでは一度に3名まで精神鑑定の依頼ができる。この時は二人の精神科医と独りの臨床心理士が鑑定人であった),彼が証言前に私に見せてくれたのは被告が描いたバウムテストと家族画で,証言の際にも裁判官にこれらの描画を示しながら被告の性格特徴について述べていた。その時同席した精神科医もまた数枚の描画を持参していたのである。描画が市民権を得ている,エキスパートに尊敬がはらわれていると感じた。それは文化や歴史と関係があるのかもしれない。バウムテストに関して言えば,コッホの文献が翻訳され,その後本書の著者であるカスティーラの恩師にあたるストラ女史が精力的に研究し,「四本の木」の方法を考案したり,膨大な統計的研究を行ってきた。バウムテストが発達の指標としても有用であると考えられてきたのは日本と同じであろうし,統計的研究は現在でも行われている。本書の中で著者は「この本では統計的な研究を行っていない」と述べ,精神病理学的なものを意図したと書いている。投影法の心理テストと統計的研究の関係は未整理のまま本書は書かれていると言えるかもしれない。
 とは言え,本書はバウムテストに興味を持つ人々にはきわめて魅力的な本であることは間違いない。この本は最初1995年にハードカバーで出版されたが,2001年にペーパーバックスで再版されている。読書人口の少ないフランスでしかもこのような専門書が短い期間に再版されたことはそれだけ広い読者を得たのである。この本を私に紹介してくださったのは菊池道子先生であった。ある研究会で先生が「ヴィトゲンシュタインのウロ」と外傷体験について発表された時に,劣悪な家庭環境で育った非行少年たちを収容する施設に勤務していた私は,多くの少年のバウムテストに「ウロ」が見られたとお話したところ,良い本があると言ってくださったのが本書である。それだけでなく,翻訳にあたってロールシャッハテストに関する記述についても詳しく教えていただいた。先生との出会いがなければこの本の翻訳もなかったのである。
 それ以外にも多くの方々との出会いが私に力を与えてくださった。フランスで精神医学の勉強をしてきた白石潔氏(飯塚記念病院)には,フランス精神医学の診断学について教えていただいた。また,私が現在矯正施設に勤務しているので,非行や犯罪に関係する心理技官の多くの方々がバウムテストに興味を持っていることも知っていた。彼らとの会話も私に翻訳を急がせた。家裁調査官の桑原尚佐氏(現,福岡家裁)は,「三本の木」の手法を使って描いてもらった性犯罪者の「夢の木」を私に見せてくれ,この手法の持つ威力を示してくださった。勿論,翻訳を急げという一言もあったのは当然である。本書ではソンディテストの記載があり,まったく分からない私に教えてくださったのは沖縄いずみ病院の桐畑勝氏(ソーシャル・ワーカー)である。氏のおかげでソンディテストのスコアの意味が理解できたのである。同病院の高江洲義英院長,平野潔氏(臨床心理士)からも多くの助言を頂いた。
……(以下略)