「序にかえて」より

 精神障害者特に精神分裂病者のノーマライゼーションが,精神保健福祉法の中にうたわれ,具体的なプランも示されてきた。その反面,1年以上保護室から出られない精神障害者は約1,000人といわれ,そのうち,対応困難な重症者は約400人で,精神分裂病者が6割を占めている。その多くは暴力行為のためである。当所でも5年,10年と保護室から出られない精神分裂病者がおられて,その治療・看護に悪戦苦闘している。このような重症分裂病症例に関する報告や各施設の実態についての報告は,これまでほとんどない。症例報告を積重ねることによって,どのように対応したらよいか,その治療,看護技術や予防要因もみえてくるのではないかと思われる。
 1983年に『慢性分裂病の臨床』(金剛出版)を出版した際,長期保護室使用の精神分裂病の2症例について「攻撃と依存をめぐって」というテーマで,看護婦長と受持ち看護婦に執筆してもらった。この2症例は,編者が若い時主治医であったのだが,看護婦から主治医は患者の味方ばかりすると批判され,主治医は,看護者は看護のプロではないかと批判したりしながら,お互いに成長していった。そのような経験から,治療看護とチーム医療の重要性を強調したのである。この本の中では,この2症例の治療看護が好評であった。この後も,長期保護室使用の重症分裂病症例についてまとめてもらい,専門雑誌などに報告してきた。経験例も10例近くに達し,他方,福岡県立精神医療センター太宰府病院でも同様に重症例を経験してきた。ここにこれらの症例を一冊の本としてまとめることにした。
 これらの症例を読みかえしてみると,精神療法的な技術は不可欠であるが,技術以前に何とかしたいという看護の情熱がいかに重要であるかが痛感させられる。まさに,肉弾戦のような真剣勝負の中での人と人との根源的なふれあいを通して,はじめて基本的な信頼感と安心感が得られてゆく治療看護の過程は,限界を越えた可能性と展望を与えてくれるのである。激しい攻撃と暴力の背景にある健康なニーズを見出し,共感し,受容しつつ,自立させてゆく精神科看護の本質を,これらの症例ほど提示してくれるものはないであろう。これらの症例の病理性をみると,キーパーソンの死や見捨てられ体験が引き金となり,自分を保てず退行し,攻撃的となり重症化しているようである。予防策として,急性期治療で保護室使用は,できるだけ短期間として退行を防ぎ,家族と病院のみではなく,アメリカやカナダのような24時間サポートチーム(ACT : Assertive Community Treatment)のごとき地域でのサポートチームがあれば,これほど退行させず患者を支える別の道もあるのではないかと考えたりする。このため,精神科救急・急性期治療病棟における保護室の構造と短期使用についても論じてもらった。
 他方,看護の原点である身体ケアをきっかけに,コミュニケーションと安心感をはぐくみ,精神状態が改善し安定してゆく重症例を経験する。これらを支えるチーム医療の治療構造の原型ともいえる母性と父性を核にしたチームを示すため,重症摂食障害例も示した。チーム医療と心としての身体の意味を考えることは,精神科看護の重要な側面であり,この点についても強調したいと思ったからである。

 1991年(平成3年),処遇困難病棟設置の必要性が,公衆衛生審議会精神保健部会で答申され,国公立病院はどう対応するか苦慮させられることとなった。しかし,処遇困難症例の定義のあいまいさと一般精神科症例とは別に処遇するのは,差別の強化につながるという反対運動で凍結された経過があった。ここに述べたような症例が15人〜30人と集まった病棟が,運営可能とは想像もつかない。濃厚なスタッフで数人が限界であろう。各病棟に1人でもどれほどのエネルギーが必要か理解していただけると思う。しかし,精神医療は,医療法上の医師数や看護者数にしても,診療報酬上にしても,身体医学のような重症度の評価がまったくなされていない。精神医療の質の向上には,これらの評価と対応は不可欠である。他方,わが国でも非定型抗精神病薬が登場し,治療抵抗性分裂病へのクロザピンも検討されている。これらの新しい薬により敵意,攻撃性が改善され,接触しやすくなる症例がみられるようになってきた。薬物によるアプローチがより有効になれば,今後,対応困難な重症分裂病の治療は,心理・薬物療法としてさらに発展するものと期待されよう。
 この本は,実際の困難例の事例集としてまとめたもので,どの症例からお読みいただいても結構である。読者のご批判をたまわり,さらにより良い医療の展開ができればと思っている。この基礎編としての『精神分裂病ハンドブック―治療と看護の指針』(金剛出版)をあわせてお読みいただければ幸いである。なお,各症例はプライバシーに配慮して記載してもらった。
 なお,精神分裂病を「統合失調症」に呼称を変更することが,平成14年1月の日本精神神経学会理事会で承認されている。今後,関係機関の合意が得られれば,正式に「統合失調症」と呼称が変更されることになると思う。
 さらに,3月1日より看護婦(士)は「看護師」と名称が変更されるようになったが,ここでは従来の名称を使用することにした。
……(後略)

2002年3月 内村 英幸