もどる

「序  文」より

 スコッティは警察から都合4回も事情聴取を受けていた。4歳の年齢では一貫性のあるはっきりした応答などできるわけもなく,彼は性虐待を受けているかもしれないということで私のところに紹介されてきた。警察官がマジックミラーごしに見守るなかで,私は彼と面接することになった。話題が父親のことになると,彼は明らかに動揺しているようにみえたが,理由はわからなかった。私は遊戯療法的な関わりを試みてみたが,どうも刺激が強すぎたようで,彼は持っていた玩具を次々に取り替えた。
 私は白紙と鉛筆を渡して「描きたいものを何でも描いていいよ」と話しかけた。彼は横長の楕円を一つ描き,その上に横線を二本引いて楕円を消した。そして,真剣な表情で私を見上げ,「悪いちんぽこなんだ」といった。その絵を見ながら,私が「悪いちんぽこ」と彼の言葉をそのまま繰り返すと,「ブタバコのなかのちんぽこだよ」と彼は付け加えた。「へえ,ブタバコにいるちんぽこなんだ」と私が応じると,「悪いやつなんだ」と彼はきっぱりした口調で応えた。「そのちんぽこは,どんな悪いことをしたの?」と尋ねてみた。すると,「そのちんぽこは,ぼくのお尻を痛くしちゃうんだ」と語った。これがスコッティの打ち明け話の始まりだった。
 虐待を受けた子どもたちは見ず知らずの人から「何があったのか」と散々質問され,それに応えなければならないような雰囲気に追い込まれている。子どもたちのなかには,言語表現力が拙いためにはっきりした話のできない子どももいれば,自分の受けた辛い体験が原因で情緒的に凝り固まったままの子どももいる。しかし,そうはいっても,関わろうとする側から見れば,彼らの身に何が起こり,それに彼らがどう反応しているのかを知らなければ,どう守れば良いかの見当すらつかない。
 虐待やネグレクトを経験した子どもたちには,概して,非言語的な手段を使ったコミュニケーションに頼る傾向がある。それを,私は彼らとの臨床経験から学んだ。彼らは何事につけ,それに対して自分が積極的に応じるか,消極的な態度をとるかで,自分の気持ちを表現しようとする。つまり,何かをするとかしないとかといった行動表現で周囲とコミュニケーションしようとするのである。そういった行動表現のなかに見え隠れする彼らのメッセージに耳を傾け,目を凝らしさえすれば,どのような状況にあっても,子どもたちの考えていることや感じていることに気づくことができる。しかし残念なことに,私たちは今まで子どもたちと接するとき,あまりにも彼らの言語的なコミュニケーションに頼りすぎていたため,子どもたちが意図せず自然に差し出す多くの情報を,見過ごしたり軽視したりする傾向が強かったように思われる。
 多くの子どもたちが共通して好む活動がある。遊びやアートはそのなかでもっとも一般的なものであろう。多くの臨床家たちは遊びやアートに潜在価値を認めて,自分のクリニックに玩具やアート用品を置いている。とはいっても,大半の臨床家は玩具やアート用品を子どもと仲良くなるための小道具程度にしかみていない。しかし,遊びやアートには,診断と治療の双方を促進させる重要な道具としての側面があることを忘れてはいけない。臨床家がこれらメディア(玩具やアート用品)をクライアントにうまく使えるかどうかは,臨床家自身がそれらメディアの使い方について十分なトレーニングを受けているかどうかにかかっている。しかし実際には,アート活動(art work)の意味やその効力についての自覚はおろか,十分なトレーニングも受けないまま,アート活動と称して無謀な臨床を行っている臨床家が多い。
 Malchiodi著の本書は,被虐待児や最近話題になることの多いホームレス・シェルターで暮らす子どもなど,危機に瀕した子どもの援助にあたる専門家にとって,アートセラピーへの入門書となるに違いない。本書には,こうした子どもたちにアート活動を導入するための基本的知識が事細かに示されている。シェルターで暮らす子どもたちは深刻なストレスを経験している。慣れない環境で親と離れて生活している子どももいれば,親の暴力を目撃してしまった子ども,母親のことを気遣うあまり,父親への思慕や恐怖感をうまく処理できず,情緒的に混乱している子どももいる。シェルターはまた,さまざまな問題をかかえた人たちが出入りする流動的な環境でもあるので,子どもたちにとっては決して居心地の良い所ではないし,そこでの仲間づくりも厄介でぎくしゃくしたものになりがちである。Malchiodiも指摘するように,そういった子どもたちにとって,アート活動は混乱状態からの脱出を助けるきっかけにもなるし,自分のなかの攻撃的エネルギーをアート作品の創作に振り向けることで達成感や幸福感をもたらす源にもなる。
 ホームレス・シェルターは複雑な環境である。そこでは,危機を好機に,絶望を希望に変えようと,援助スタッフがいろいろな課題に取り組んでいる。それには危機介入やカウンセリングも含まれれば,個々の家族が安全で安定した生活環境を取り戻すためのさまざまな援助が含まれている。
 アート活動は子どもたちにとって,小休止の場にもなれば自分を煽る場にもなる。上手に使えば,子どもはアートによって,自分の感情を和らげることも高ぶらせることもできる。しかし,下手な使い方をすれば,子どもはアートによって自分の心を苦しめたり揺らしたりすることにもなる。著者Malchiodiは読者にアート活動がもっている治療的な力について解説するだけでなく,アート活動導入にあたっての諸注意や安全基準への十分な配慮も明記している。
 本書に収められたアートからは,何よりもまず子どもたちの発する声がきこえてくる。それは,ドメスティック・バイオレンスにさらされた子どもの状況を想像させるとともに,子どもたちが自分の受けた虐待体験をどのように理解し意味づけているか,つまり,彼らの心の内側を写し出すグラフィック・イメージを提供してくれる。
 本書のテーマの中心は,ドメスティック・バイオレンスを目撃したことで傷ついた子どもへのアート活動の適用である。しかし,ここで注意しなければならないのは,危機状態や心的外傷を抱えた子どもたちを助けるために導入したはずのアート表現が,イメージにかたちをつけるという作業を通じて,彼らに希望の光を届けるだけでなく,彼らのなかにある苦痛や恐怖感にまで出口を与える(外在化する)ことである。子どもたちには,危機介入によってまず第一に安定した生活を保障し,これからも介入の必要があるかどうかを見極めることが重要なのであって,アート介入とはそういうものとして位置づけられるべきだと著者Malchiodiは述べている。心に傷を負った子どもは,その傷口を「切開」した方が良いのだが,それにはどうしても心に染みついた情緒的願望の放出が伴う。著者は危機介入の効果と危険に触れ,侵襲的なアート課題と非侵襲的アート課題の区別や,評価内容や治療段階に応じたアート課題,アート媒体の選択,また,情緒や行動の調整ができない子どもたちへの効果的なアート介入の基準などについて詳述している。
 本書は1989年に執筆されたのだが,それはまさに神様からのプレゼントであった。広範な文献研究と経験に根ざした洞察によって記され,それに最新の文献が添付掲載されていることから,被虐待児に関わる者にとって本書は現在もなお最良のガイドブックになっている。被虐待児たちにアートを使うのは,使いやすいからという以上に,それが彼らに良い治療効果をもたらすからである。言語能力の未熟な子どもたちにとっては,自分のなかではっきりしないままうごめいている痛みや恐れ,困惑,歓喜などの感情に言葉を使わずにかたちを与え,それを他者に伝えてくれる創造的表現手段こそがアートなのである。

メリーランド州ロックヴィル スターブライト訓練研究所所長 Eliana Gil Ph.D.

もどる