監訳者解説

山中康裕

 本書の著者ジョエル・ライス‐メニューヒンJoel Ryce-Menuhin氏はイギリスのユング派分析家で,国際箱庭療法学会(ISST)の創設メンバーの一人であった。
 このISSTは,1982年の第1回以来,スイスのツォリコンのカルフ女史の自宅に創設されたカルフ東西文化研究所(後に箱庭療法研究所と改称)において定期的にもたれていた国際箱庭療法研究会を母体に,その第4回の,1985年8月,ドーラ・M・カルフ,その息子のマーチン・カルフ,児童精神科医のK・キーペンホイヤー(スイス),河合隼雄,樋口和彦,山中康裕(日本),E・ワインリブ,K・ブラッドウェイ,C・ラールセン,C・バーニィ(米),A・ナヴォーネ,P・カルドゥッチ(伊),および,本書の著者J・R・メニューヒン(英)の13人(これに加えて,ユングの孫で精神科医であるD・バウマン氏を顧問にしていた)により,スイスで創設され,その1年後に,S・レーヴェン‐ザイフェルト(独)女史が加わった。この14人をISSTの創設メンバー(Founding Members)と呼んでいる。しかし,当時同時に国際トランス・カルチュラル心理学会の会長をもしていた,国際箱庭療法学会の若きホープだったシスル・バーニィ氏が,惜しくも1987年2月に急逝してしまった。

 さて,著者ジョエル・ライス‐メニューヒン氏は,イギリスのユング派分析心理学クラブの雑誌『ハーヴェスト(Harvest)』の編集長で,『子ども時代の自己(The Self in Early Childhood)』(1988)の著者でもある。

 彼は,もともとは,コンサート・ピアニストであった(われらがドラ・カルフ女史も元来はピアニストであったことは他書ですでに述べたことがある)ので,世界的に有名なヴァイオリニストのエフーディ・メニューヒンYehudi Menuhin(米国)氏とも親しく知り合い,その妹であるヤルタ・メニューヒンYaltah Menuhinと結婚したのだったが,後に,ロンドンのユング研究所で学び,ユング派の分析家となった。
 ところが,本文でも知られる通り,ジョエルはひどいうつ病に陥り,本国で何人かの精神科医や分析家にかかったが治らず,やむなく紹介されてたずねたスイスのツォリコンのドーラ・カルフ女史のところで,箱庭療法に出会い,この方法によって完全に治癒しえたのだった。それ以来,英国では最初のユング派箱庭療法家となったのである。そして,ロンドンにおいて,1988年に,英国箱庭療法学会を設立し,それを記念して開催された第7回ISST国際学会を,やはりロンドンで主宰したのが,このジョエルなのである。

 その前年の1987年に,それまでずっとこの国際学会が開かれていたスイスのツォリコンを初めて出て,日本の京都で,第6回ISST国際学会をもったのだったが,その際,河合隼雄教授がその大会の会長であり,その準備委員長を務めたのが筆者であった。考えてみればカルフ女史は,1989年のドイツはスツットガルトでのレーヴェン‐ザイフェルト女史が主宰した第8回国際学会には出席されず,その翌年の1月に85歳で亡くなられたので,ジョエル氏が主宰したこの時が,カルフ女史の国際学会に出席した最後の学会となったわけである。かくして,1991年に第10回を再び京都でもち,河合氏を第2代の国際学会会長に選んだのである。なお現在は,第3代のイタリアのナヴォーネ女史がISSTの会長を務めている。

 さて,本書の解説にとりかかろう。読まれて分かる通り,ジョエルの箱庭に対する態度は,我が国において流布されている,箱庭療法の基本的態度からすると,つまり,カルフ女史や河合教授が推奨する,作品解釈よりも何よりも,まず,治療者の臨在,とくに,Mutter-Kind-Einheit(母子一体性)の確保こそが第一であり,解釈は二の次であることからすると,多分に解釈がかちすぎ,多分に思弁的であることが知られるであろう。ユング派の分析家にもいろんな論客がおり,解釈を重視することそのことはいいのだが,こと箱庭に関する限りは,まず,治療的態度こそが問題となるのである。

 しかし,本書におけるジョエル氏の貢献は,いくつかあると思われる。その一つは,箱庭作品の「地図化」の試みであろう。この考え方は従来にも,何人かが言及してきているが(筆者も,色彩との関連で言及した論文がある),ここまではっきりと,ユング理論を適用して,集合的および個人的無意識の領域を地図的に構想したのは彼が最初といってよい。ただし,彼の提案どおりに断定的に言い切れるか否かは,今後の検証をまつ必要があるだろう。
 いま一つの貢献は,彼自身がひどいうつ病を患い,ほかならぬ箱庭療法によって治癒しえたという,貴重な実証者となりえたわけで,そのことそのもののもつ意味も大きいといわねばならない。本人みずからが救われた治療法を推進せんとする考えは,森田療法によるものなど,我が国では幾多あるが,多くの共感を呼ぶと思われるからだ。
 たまたま,その彼が,箱庭に出会う前にユング派の分析家だったのであるが,そのことそのものは,むしろ我が国では,河合氏をはじめとして,幾多のユング派分析家がこの療法と親しんでいるので,ことさら,「ユング派の箱庭療法(Jungian Sandplay)」(本書の原題)と断る必要はさらさらないのだが,英国においては,実は意味あることなのである。それは,ほかならぬ英国では,ローウェンフェルドRowenfeld, M. というフロイト派の女流精神分析家がいて,彼女の「世界技法(The World Technique)」こそが,箱庭療法のもう一つの原点であることに起因しているのだ。
 つまり,現在,我が国で,「箱庭療法」と称しているのは,当初からカルフのものを導入してのことであったが,英国では,カルフより以前に,すでに,この砂箱とミニチュア玩具を用いてする方法はローウェンフェルドによって開発されていたのであって,英国では,カルフの解釈方法(ユング派の方法を通しての)は,このジョエルを通して逆輸入されたかたちをとっているのだ。だからこそ,わざわざ先に触れた,「ユンギアン・サンドプレイ」というタイトルを付しているのであり,かつ,彼が,ユング派の解釈を前面に出して論じていることも,ここにおいてやっと理解されるのである。
 ジョエルの本書によるいま一つの貢献は,巻末に付された,ローウェンフェルドとカルフの往復書簡の抜粋であろう。これによって,これら二人の関係がはっきりとわかり,かつ,ジョエルの位置づけも可能になろうというものだ。つまり,ローウェンフェルドとカルフとは,お互い相手を尊重しあいつつ,しかし,その当初から,決定的に,立場を異にしていたことが知られるのであり,かつ,ジョエルが,馬についての解釈をめぐっていらいらしている(カルフがはっきりと,解釈の根拠を示していないことへの反応)ことから,やはり,ジョエルにとっては解釈こそが大切な中心であることがかいま見られて興味深いのである。
 ここにおいて,馬をめぐっての二人の解釈の立場の相違は興味深い。ローウェンフェルドはここでも間違いなく述べているように,フロイト派からの,「男性性」の象徴としての解釈を提示しているが,カルフは,彼女の論文において,「女性性」の象徴としてこれを述べているらしいことが示唆されている。ところがジョエルが歯痒く思っているように,その根拠を全く示していないのだ。ここで,筆者自身の思い出を挟むと,確かに,カルフ女史は,たびたび,馬についての彼女の考えを,彼女のツォリコンの自宅で毎週行っていた月曜セミナーにおいても,間違いなく,「女性性」のシンボルとして説明していたことを思い出す。とくに馬のもつ聡明さと優しさへの言及は,それを話す彼女自身の優しい顔つきや表情とともに思い出されるのである。馬は,カルフにとっては,フロイト派のいう,勇壮で雄々しく駆け廻る「男根的」なイメージとは対極の,繊細で優しく優美な「女性的」イメージで語られていたのであった。このことから読者は,しかし,だから馬は女性の象徴なのだ,と短絡反応しないでほしい。なぜなら,例えば,「木」についての有名なユングの両性性にまつわる解釈に,カルフも早くから着目していたが,馬についてもそのことが言えるであろうからである。ただ,ローウェンフェルドとの論争においては,ローウェンフェルドにとっては自明の男性性解釈からみて,カルフの女性性解釈に疑問を付さざるをえなかったであろうことは容易に理解できよう。カルフがそのことに明確な回答を出さなかったのは,まさに,このことに端的に現れているように,はっきりと,彼女からは決別して,独立した一派を起こしていかざるをえなかった事情がよく理解できるのである。その意味でも,この抄出は出色であり,この一文が掲載されただけでも,本書の価値は十分にある,と思うがいかがであろうか。ことに,ジョエルは,その双方の後継者としての位置をももつがゆえに,意味は大きいと思うのである。

 さて,本書の著者ジョエルの,もう一昨年になるが,急な訃報に接し,いまや彼は帰らぬ人となってしまった。こころからその冥福を祈るほかない。彼の開催した1988年のロンドンの国際学会の際には,彼のご自宅に,カルフ夫人も含めて,我々ファウンデイング・メンバーをことごとく招いてくださり,私も妻ともども,ヤルタ夫人の手厚いもてなしをうけただけに,一入その感慨は無量なのである。
 ここで死者に鞭打つことはしたくないのであるが,ジョエルの国際学会における我々日本の3名からの評価は,当初からさして高くはなかった。それは,すでに上にも述べてきた通り,彼の解釈重視の態度がかちすぎていたこともさることながら,箱庭の恐ろしさは,その事例をみれば,その治療者の力量まで一目で分かってしまうことなのだ。さして意味のありそうに思えぬ些細な部分にことさらに意味を付与して,とうとうと論ずる彼の態度は,それはそれでほほえましくもあったが,我々には,根本的な治療観の相違を感じざるをえなかった,というのが実情である。とは言っても,彼のイギリスにおける貢献は,間違いなく高く評価しておきたい。本書にもみられる通り,彼は,後継へのトレーニングのプランもしっかりと作り,事実,何人かの有能なメンバーを指導し,イギリスにしっかりとした,カルフの方法による基盤を作ったことは確かなのであるからだ。

……(後略)

2002年12月20日,宇治の草庵にて