まえがき

 非行臨床に従事する実務家として,わが国の「非行臨床研究」の貧困を嘆いたことがある。非行に関する書物は書店に溢れているが,社会の耳目を集めた事件を取り上げたルポルタージュは別として,専門書の中でも非行行動を心理学的に解説したものや社会・時代的背景を読み解いたもの,あるいは,欧米の研究を借りて非行少年を類型化してみたものなどに比べ,具体的な援助実践に焦点を当てたものは,今もけっして多くはない。
 縁あって2年前に大学院教官となり非行臨床を講じ,非行臨床研究に従事する立場に転身した。先学を批判するのではなく,非行臨床の現状と実践課題に焦点を当てた大学院で使用するテキストを自ら書かねばならない。非行臨床に従事する実務家の専門性確立に役立ち,現職教員も含めた大学院生の非行臨床への関心を高め,この世界へ有力な新人を獲得したい,そのような欲張った思いを抱いて執筆を始めた。20年余り保護観察官として臨床実践は重ねてきたつもりであったが,まずもって,非行臨床の基本的仮説を作り上げる理論的裏付けが足りない,何よりも,臨床を論じるための土台となる人間観ができていない,苦行・難渋の連続である。
 本書は,非行臨床の現場で使いでのある処遇技術や家族援助の実際について記述した『非行少年への対応と援助―非行臨床実践ガイド』(金剛出版・1993年刊),少年法改正前に少年非行の変質と社会の対応について論じた『悩みを抱えられない少年たち』(日本評論社・1999年刊)に続く3冊目の単著となる。
 第1章は,2001年4月から施行されている改正少年法の概要と非行臨床機関の実情を紹介し,本書全体を読み通していただくための基礎的な事項の理解が得られるよう配慮した。
 第2章は,少年非行の戦後からの動向を概説して,「何が変わったのか・変わらなかったのか」を明らかにし,非行臨床がターゲットにすべき今日的課題を具体的に明示するよう努めた。
 第3章は,臨床心理学の講座に収めた論考が基になっており,システム論の立場から非行臨床研究全体を概括した教科書的な内容である。司法である家庭裁判所調査官や矯正機関に属する心理技官ではない保護観察官が,この領域全体を見通した専門論文を書いたことはなく,編集者から依頼されたときは正直に嬉しかったことを覚えている。
 第4章は,もうひとつの私の専門領域である家族臨床と非行臨床とが融合された論文で,臨床現場で最も対応の困難な家庭崩壊と家庭内暴力について家族システム論に基づく援助の観点から論述した。
 第5章は,援助実践としての心理教育的アプローチである「家族教室」について詳述したものである。非行臨床において,構成的グループ・エンカウンターやSSTの新しい手法を実践した最初のものであると自負している。家族へのサポートの重要性は改めて述べるまでもないが,現場ではその多忙を言い訳にして,「家族教室」などの家族援助プログラムが展開していないのが現状である。非行臨床においては,保護者の能力はけっして高くなく,強力な専門家の支えが不可欠であり,自助グループ的アプローチには自ずから限界があることを強調したい。
 第6章は,大学へ移ったのと同時に始めたスクールカウンセラーの経験から,学校臨床における非行など問題行動のある生徒とその保護者への援助について私見をまとめた。生徒指導には自信のある教師も保護者への対応には皆大変苦慮している。私立学校は当然として,公立校であっても,教育サービスに従事する教師の給料を払っているのは納税者である保護者であり,まさにクライエント(顧客)としての扱いの基本が学校現場では忘れられているとの感が強い。
 第7章は,心理臨床で大きな問題となっているトラウマへの対応について非行臨床の立場から言及したものである。非行少年の生育歴にほとんど見られる虐待を含めたトラウマ体験を探し当て,「トラウマに関わる心理療法的アプローチを行うことこそが非行少年への真の援助となりうる」といった粗雑な議論が流布する危惧を抱いている昨今である。
 第8章は,社会の関心が高い精神障害・発達障害の診断名が付された非行少年への対応について,臨床家として必要不可欠な知見を中心にまとめたものである。2001年度から厚生労働科学研究班のひとつに加わり,多くの児童思春期精神医療の専門家との議論から得たものに拠っている。
 第9章は,本書全体のまとめの意味もあり,重大・凶悪な非行への対処について論述した。議論の基礎となる非行少年の予後に関する統計が関係機関から公表されていないので客観的には不十分なものであるが,その分,本書の中では,著者の非行観が一番色濃く出ているかもしれない。
 いずれの章も,これまでの臨床経験を再吟味する試みから生まれたものだが,それ故に独善に陥っていないかを怖れるものである。本書が,非行臨床研究のいささかの進展に寄与すれば望外の喜びであるが,問題を抱えた子どもとその家族の援助に関心を持つ読者からの多くのご批判・ご助言をいただければ幸いである。
……(後略)

22003年初春に生島 浩