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あとがき

 2年前このテーマで連載をする依頼を受けた直後のことですが,私はニューヨークのフォーカシング研究所主催の資格認定1週間ワークショップcertification weeklongに参加しました。1年間の連載という未経験の作業を自信ないながらも引き受けた私は,何をどう書くか見当もつかず不安で,そのワークショップで,何かきっかけを得られるかもしれないという期待を抱いていました。そしてそのきっかけを得るために,心理臨床家でもある参加者に,セラピストにとってのフォーカシングの意義を尋ねました。「あなたがセラピーをする上でフォーカシングはどんなふうに役立っていますか」と質問して回りました。そのときの声が本書の出発点でした。そこで得たことは本書を書く上でもずいぶん参考にしましたが,ここに彼らの声をそのまま載せてまとめとしたいと思います。

 地元ニューヨークの熟練セラピストで精神分析的な訓練を受けたこともある知的な雰囲気のリンダは,「フォーカシングの簡潔さsimplicityが好き」だと話してくれました。
 そして,フォーカシングから学んだ一番大切なことは,体験をしているその人全体に対する尊敬だったそうです。一歩下がって,相手のあり方に畏敬を持って尊重することが自然にできるようになったとのこと。フォーカシングを知り,また,ジェンドリンのセラピーを見ていると,クライエントが正しいと信じられ,相手を信頼する態度に自然になれるようになってきたそうです。セラピストは助けたいあまりに,押しつけをしがちになります。その不必要な押しつけを抑えて,一歩下がる態度が貴重であり,その態度が自分に身についてきたことを喜んでいました。

 テキサスから来たふくよかで暖かい雰囲気のセラピスト,パットは,フォーカシングを通して,深いレベルで本当にauthentically聞くことと聞いてもらえることを知ったと話してくれました。彼女にとってはフォーカシング的に聞いてもらえることがとても大事だったそうです。ですから,クライエントに対しては,まずは丁寧な伝え返しを第一にしているとのことです。(実際ワークショップでも,パットは私のつたない英語のセッションを丁寧に丁寧に聞いてくれる聞き手でした。)

 ワークショップ・リーダーでもあったメアリー・マクガイア(フォーカシング研究所の前所長)はいろいろな指摘をくれました。第一はセラピストがフォーカシング的に自分自身に触れている必要があること。それは,セラピストが専門家のよろいをかぶらず率直な一人の本物の人間であるための条件です。
 そして,それができるためには共感的に聞いてもらった体験をしていることが必要だとも語ってくれました。そして,その,聞いてもらったという実感のところからしか,共感的に聞くことはできないというのが,メアリー・マクガイアの意見でした。
 また,彼女は,セラピストがクリアリング・ア・スペース(心の整理法)をする必要についても語ってくれました。その余裕から介入のアイデアも生まれると,事例を交えながら語ってくれました。少し脇道になりますが,その事例もここで紹介しておきましょう。

 強迫的でうつの患者さん。きちんと堅苦しい服装。「死にたい」「うつなんです」「どうにかしてくれ」と繰り返すばかりの人。以前のセラピストではうまくいかず回ってきたけれど,メアリーのところでも何をやっても変わらず,自分に触れることもない。セラピストとしても,どうしようもないといらいらすることが何カ月か続いた。そういうときはメアリーは,神様にお祈りをして眠ると朝,知恵が授けられることが多いとのこと。そのとき,朝出てきたイメージが,同心円。何層にも固い膜で囲まれていて,一番真ん中に小さなおびえている人がいた。
 セッションで,「自分がどんなに関わろうとしてもはねのけられてどうしようもないと思っている。でもどうにか理解したいと思って願ったら,こんなイメージが見えてきた」と説明して,絵を書いた。クライエントは,その真ん中の人を指さして,沈黙の後,“There might be hope.(希望があるかもしれない)”とつぶやいた。そして,翌週はオープンシャツとジーンズでやってきた。

 最終章でのマクガイアの超自我の扱いの話もここで聞いた事例です。事例や介入自体も興味深いものですが,彼女がこれらの事例を話してくれた主眼は,セラピスト自身が困ったときに,自分の中から生まれてくる知恵を信頼することの大切さです。カソリックのシスターでもある彼女は,その知恵を得るための方法として,夜神様にお祈りをして眠った朝方,夢かフォーカシングを通して出てくるイメージやアイデアを大切にするそうです。

 病院でスーパーヴァイズもしている,臨床心理士であるジュディスは,自分にとって,そしてセラピストにとってのフォーカシングの意味は,まずはセラピスト自身のためのものであると以下のように語ってくれました。

 セラピストという仕事につきたがるのは,相手に合わせたい人であり,さらにその上に相手に合わせる訓練をしているので,自分に触れることができにくい人が多いのではないか。だからまずは自分がどう感じるかから出発することが必要。私にとってはフォーカシングがそのよい訓練だった。
 自分がフォーカシングをすることによって,相手がどこから話しているかに気づくようになる。自分に触れないで話しているとき,あるいはちゃんと触れながら話しているとき,そしてシフトがあったとき等がわかるようになった。自分に触れながら話しているときには,邪魔をしないでただ一緒にいるだけで十分。そして沈黙もそのまま大事にすればいい。また,相手がフェルトセンスに触れているときには,伝え返しもする。そうすると,「じゃなくて……」と返ってくる。つまり,共鳴しながら次のステップに進んでいく。そうなっていないときには,伝え返しをしても,聞き流されるか,何を言っているんだと反発されることになりがち。
 スーパーヴィジョンのときには,学生に「そのときどう感じていたの?」と聞いたり「私にはこんなイメージが浮かぶけれど」と言っているから,自分も自分の実感に触れながらセラピーをしているのだろうが,フォーカシングを学ぶ以前はそれほど意識していなかった。それを意識できる道具がフォーカシングだと思う。

 彼女は,セラピーの中にフォーカシング全部を導入する気にはあまりなれないそうで,一人には本を貸してあげたことがある程度だそうです。しかし,教えるときには,「新しいことを今習っているんだけれど,ちょっとやってみる?」と正直に試しに導入するそうです。

 エドガルドは,チリからの参加者で,ピノシェット政権の時の亡命者へのカウンセリングを行った経験について話してくれました。圧制下の密告の恐れのあるような場面でのカウンセリングは,内容を話さないフォーカシングだからこそできる援助,フォーカシングでしかできない援助だったと語ってくれました。内容はその人のものとして尊重し,その人のプロセスが進むことを援助していくことができることの意味を,実感させられた話でした。

 ここであげた声は,私の体験とも重なるものですし,日本のフォーカシングを基礎とする臨床家の思いとも重なるものだと思います。ここでもうお一人だけ,最近日本で同じ質問をして,答えてくれたフォーカシングを知る臨床家の声をあげさせてください。
林さん,15年前留学生カウンセリングから臨床の仕事を始めた方です。カウンセラーとしてただ聴くことだけをしてきたが,どの技法も流派もぴったりこないと探し求めていたときに,フォーカシングに出会ったそうです。
 林さん自身,感じていることは豊かでもことばにしにくい人だそうです。そして,それは相談者である留学生が思いを母国語でないことばにしにくい点とも重なることでした。そのような留学生の本国でのセラピストからフォーカシングを紹介されて,フォーカシング研究所に連絡をとることからフォーカシングに出会われたそうです。
 フォーカシングが臨床にどう役立つかということについては,「最初は,自分のしている聴くことにぴったりで,その支えになる技法だった。そして,自分にとっても,ことばになりにくい感じをことばにするための技法だった。そこから,ことばにならないものをそのまま大事にすることができるようになった」とのこと。そして,今は,クライエントから自分に伝わってくる感じをことばにするために役立てているそうです。そして,それは,自分のためにも,つながりのためにも,クライエントのためにも役立っているそうです。

 このような内外のセラピストの話を聞いて,フォーカシングを臨床の場で活かすことのエッセンスがわかったような気がしました。本書では,そのエッセンスを私なりの知識や実践を踏まえて,私なりのことばで表現してきたつもりです。もちろん,書き終えるにあたって,不十分なこと,言い足りないことがいろいろとあります。
 最近,ニール・フリードマンの実践やバラ・ジェイソンの短期療法との統合など,フォーカシング指向心理療法としての新しい展開や研究やその紹介がさかんに行われるようになっています。それらを十分紹介できていないのが残念です。また,ジャネット・クラインのインタラクティブ・フォーカシングの提唱とそのセラピーへの応用についても言及できませんでした。また,がん患者への援助等,医療の分野での実践にも触れられませんでした。そしてなにより,自分の臨床的な事例を取り上げながら検討できなかったことも心残りです。とはいえ,自分の中で実際のクライエントとの時間ややりとりをオープンにすることには大きなためらいがあり,これは当分できそうもない作業です。
 このようなたくさんの心残りをなくして完成させようと思うと,途方もない時間がかかりそうです。ですからここでは,不十分ながらとりあえず今現在の到達点を今書ける形でまとめました。いったん言語化しておくことで,反論や修正を含めてさらなるよりよい実践につながっていくことを期待しています。
 本書は,新たな研究というより,自分なりにわかっていることをまとめたにすぎません。しかし,それをわかりやすく構成し言語化することは,ひどく難しい作業でした。難しく苦手であるにもかかわらず取り組んだ仕事です。できうるならば,この苦労が少しでも意味あるものであってほしいものです。この本を通して,私の臨床にとっての核でもあるフォーカシングが,少しでも多くの方に,とくに臨床家の皆さんに,すこしでも伝わり,さらにはクライエントさんたちが生きていく上で役に立ちますように,と願っています。

 最後になりましたが,この本を書くにあたって,多くの人のご協力をいただきました。一人一人のお名前を出すことは控えますが,本当にありがとうございました。特に逐語記録や事例として挙げさせていただいたフォーカサーの方,クライエントの方たちには,掲載の許可をいただいたことばかりでなく,あの時間とプロセスをご一緒させていただいたこと自体に感謝しています。
 また,私自身がフォーカシングを学び実践していく上で出会った方たちへの感謝も記したいと思います。中でも,故村瀬孝雄先生と故都留春男先生と出会えたこと,そしてたくさんの励ましや支えをいただいたことには深く感謝しています。そして,今なお二人の支えをそこここに感じます。
 国際的なフォーカシング・コミュニティとの暖かいつながりも私にとっては貴重なものです。毎年の国際会議や国内外でのワークショップを通して,暖かいつながりと支えを感じています。その中心となっているフォーカシング研究所とメアリー・ヘンドリックスへの感謝をここに記します。
 日本フォーカシング協会のコアメンバーの方たちからも大きな支えと学びをいただいてきました。今まで長い間日本のフォーカシングを支え広めていらした皆さん,ありがとうございます。そして,今後ともよろしくお願いします。
 中でも特別に名前をあげたいのは,近田輝行さんと片山睦枝さんです。フォーカシングを教える上でも本書の執筆にあたっても,直接的な協力助言をたくさんいただきました。お二人からの軽く楽しくあっさりとした,しかし深い支えが,私のフォーカシングに関する活動を生き生きとさせてくれる大きな力となっています。ありがとう。
……(後略)

2003年1月18日  日笠 摩子

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