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監訳者あとがき

 本書はジェーン・エドワーズとパトリック・D・マクゴーリの執筆した“Implementing Early Intervention in Psychosis : A Guide to Establishing Early Psychosis Services”(Martin Dunitz刊, 2002年)の邦訳である。精神保健福祉従事者や行政が,早期精神病に対する介入拠点を設立するための実践的なガイドブックである。早期介入の合理性についての解説に続き,現在世界で最高の早期介入機関として認知されているオーストラリア・メルボルンのEPPICを立ち上げた経験とともに,ほかの4つの主要なサービスについてその内容を解説し,新たにサービスを展開する際の成功のための9つのコツが紹介されている,国際早期精神病協会(International Early Psychosis Association : IEPA)公認のガイドブックである。2002年9月にコペンハーゲンで開かれた第3回早期精神病国際会議は世界中から1,000名以上の参加を得て盛会裏に開催された。会議最終日には本書の第9章に示されている早期精神病に対する今後の予防・治療的展望がミッションとして採択された。原著者のジェーン・エドワーズ医師は長年メルボルン大学において精神科臨床と研究に携わり,現在EPPICの副所長として諸活動の中心的役割を果たしている。パトリック・マクゴーリ医師はメルボルン大学精神科教授として早期の精神病状態に関する臨床研究・実践における世界的リーダーである。二人ともIEPAの主要なメンバーであることは言うまでもない。
 この分野はいまや国際的にみれば精神医学の領域の中でもっとも注意と関心が寄せられているところのひとつであり,種々の国際学会における初回エピソード精神病や早期介入に関する発表数の増加にもそれが示されている。また本書においても紹介されているように,この数年で特に西欧,英国,カナダにおいて,早期精神病のための介入施設やサービスが次々と整備され,肯定的な評価を得ながら広がりをみせている。アジア諸国においても,2001年に香港とシンガポールにおいて早期精神病プログラムが立ち上げられ,両国政府の支援を受けている地域における介入チームが活動を開始している。2003年秋にはアジア早期精神病ネットワーク(Asian Network for Early Psychosis)が設立される予定である。
 翻って,残念ながらわが国においては,早期介入に対する関心の萌芽こそ示されつつも,これに対する本格的な臨床的取り組みはまだ極めて乏しいといわざるを得ない。
 早期介入の治療的効果に関するエビデンスの示し方にはいろいろな方法があるが,DUP(精神病未治療期間)の短縮が予後を左右するさまざまな要因に影響を与える事を評価することが一般的であろう。訳者らが紹介したマクゴーリらによる前著『精神疾患の早期発見・早期治療』(金剛出版刊, 2001年)のあとがきでも紹介したことであるが,本邦におけるDUPもほぼ諸外国並みの長さであり,平均値では1年を越えている。訳者らが報告したデータ(2002年世界精神医学会横浜大会)によれば,初回エピソードの治療開始後1年時点の予後を比較すると,DUPが5カ月以下のより短い群の方が抗精神病薬の処方量が少ない傾向があり,さらに入院を要した場合には入院期間が有意に短くすんでいる。現状では,長期予後への影響を検討したエビデンスはまだ示されておらず,初回エピソード治療開始後1−2年の短期予後に対するDUPの影響についても,研究者間で完全な一致をみているわけではない。他の身体疾患と同じく,たとえ長期予後が変わらないとしても患者が明らかに精神病状態である期間を短くすることができれば,それは間違いなく有益なことである。Liebermanら(2000)が指摘するように,早期の至適介入のほかは,手遅れで標準以下の治療とそれに伴う結果にすぎないということを肝に銘じておくべきであろう。
 本書は精神医学の教科書を意図して書かれたものではない。精神医療福祉従事者にはもちろん読んでいただき,我々がしなければならないことを共に理解していただきたい。訳者としては,さらに教師やカウンセラーをはじめとする初等・中等・高等教育の関係者,政府や自治体の厚生・保健行政関係者,さらに保健や福祉に関心のあるメディアに従事する方々にこそ本書を手にしていただき,国民保健の問題として癌や生活習慣病,エイズと同じように,精神保健における予防の問題を是非ご討論願いたい。
 日頃臨床医として,統合失調症の家族会の場で話をさせていただくことがある。もし私があの頃もう少し知識があって,あれが症状だと気づいてやれればもっと早く治療できたのに,と後悔の涙にくれる母親の姿を幾度も目にしてきた。ただでさえ足が遠のきがちな精神医療の現場を,正しく理解していただくこととともに,アクセスしやすい身近なものに変えていく必要があるだろう。
 最後に,統合失調症に対する精神療法的接近で知られるサリヴァンの次の言葉を銘記しておきたい。「精神科医は終末状態ばかりを診ていて,前精神病状態を専門的に扱うことがあまりにも少ない……このように考えると,我々精神科医は,ほとんどの場合にそうしているように次に何が起こるかを座して見守っているよりも,適応不全を起こしている症例について速やかに研究することに大いに重点を置くべきであるように思われる。現実との接触が全く絶たれ,病院に長期に入院しなければいけない状態になる前に,病期の初期の状態にある多くの症例の進行を食い止めることができると私は確信している」
……(後略)

平成15年5月吉日 訳者を代表して 水野雅文 村上雅昭

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