はじめに

 戦後,アメリカから日本にカウンセリングという言葉と実践が導入されて50年以上が経ち,特に最近10年ほどの間に,日本ではカウンセリング・ブームとも言えるような現象が起こっている。当初,その名さえごくわずかの専門家にしか知られていなかったことを考えると,最近のカウンセラーという言葉の多用,その仕事の人気,多様な場におけるカウンセリング活動の開花は,その働きだけでなく相手の身になって援助しようとする人間尊重の精神の広がりとして,ある意味で喜ばしいことである。
 一方,カウンセリング活動が盛んになったことの裏には,幸か不幸か,そのような心理的支援を必要とする人々が増えたことを意味している。不登校・ひきこもり・落ち着きのない子・集中できない子の増加,いじめ・非行の凶悪化,青年たちの無気力化・心理的問題の身体化,離婚・子女虐待・自殺の増加など,社会的・経済的不安をも反映したメンタルヘルスの問題は後を絶たず,さまざまな場でカウンセラーの対応が求められるようになった。また,カウンセリングという言葉で始まった支援は,心理療法という言葉で理解されている援助とともに,いまや専門家による高度な心理的支援として誰もが認めている。
 筆者がカウンセリングの学習を始めた1960年代の初頭,日本では専門家の間でも,カウンセリングとは来談者中心療法のことだと受け取られ,精神分析は医者の特許といった印象を持たれていたことを考えると,現在の多様な発展には目を見張るものがある。
 ただ,日本の心理臨床・カウンセリングは,日本独自の理論・技法の開発も含めて,臨床家の実践力,指導者の指導力・研究力など,他の心理臨床の先進国に大きく水をあけられていることも確かである。また,欧米に比べて偏った発展の仕方をしていることも否めない。たとえば,欧米では,1960年代に心理臨床家のパラダイムに大きな変換を迫ったとされている家族療法のものの見方が,日本に導入されて10年以上もたった1980年代になってようやく注目され始めていたり,心理療法の多様な理論の戦国時代と目されていた70年代に,日本では,それまで紹介されていたいくつかの理論を後追いすることに精一杯であったりするなどである。
 このような後れや偏りは,相談とか臨床のような仕事が,親切で,人当たりのいい人の行う善意のサービスと受け取られやすい日本文化を反映していることにもよるところがあるが,心理臨床家にも責任がないわけではない。たとえば,日本における来談者中心療法が,アメリカのカウンセリングの歴史的背景抜きに,また,その創唱者の心理学・精神分析学の深い造詣の理解なしに,いきなり態度と精神だけを強調した形で紹介され,長期にわたって支持され続けたこと,また,心理臨床家の活動や訓練がある流派の理論内にとどまり,隣にある重要な理論や実践を無視したり,周囲の他の学派の営為を軽視したり,敵対視したりして,学会やオープンな場における多様な理論や技法の論争や切磋琢磨が少なかったことなどを指摘することができるだろう。
 かく言う筆者も,ふと立ち止まってふり返ると,その無責任の一端を担っていることに気づかされる。心理臨床の世界に足を踏み入れて40年あまりの間,心理臨床の仕事とは,たとえ市井の片隅でひそかに実践されようと公開されようと,常に相手に対して最良の営為であるべきことに変わりはないことを実感してきた。また,それゆえにこそ,より効果的な支援の術を自分の中にも探り,周囲からもとりいれてしかるべきであると思っていた。しかし,一人の臨床家の働きが,心理臨床の世界に広く影響を与えうることや心理臨床の発展にも責任を負っていることに思いを馳せることは,筆者にとって容易ではなかった。むしろ,臨床の実践現場から臨床家の養成に関わらざるを得なくなってはじめて,日本の臨床の後れと偏りにあせりを感じ,そこにも責任があったことに,遅ればせながら思い至ったというのが正直なところである。
本書は,上記のようなことに多少とも責任をとろうと思い始めたころから書き出した論文などを中心にまとめたものである。……折に触れ考えていたこと,探ろうとしてきたことの記録は,つたないながら自分の掛け値ない姿であり,それを公にすることは,せめて反面教師として臨床家の責任をとる方法でもあろうかと,このチャンスに感謝している。60年代はじめにアメリカでカウンセリングを学んで帰国し,実感としては孤独な一人作業を続けてきた一臨床家の軌跡が,誰かの参考になれば,これ以上の幸せはない。