序   文

 私達が毎日行っている「医療」とは,そもそもいったい何をしているのだろうか? 「医療」と「医学」とはどのような関係にあるのだろうか? 目の前の患者の最大幸福を目標とする医療とは,いったいどのような医療なのだろうか? こういった,医療従事者にとっては身近な,素朴ではあるが重要な疑問について,正面から考えてみる機会は意外に少ない。私達医療従事者は,日常の診療や,もろもろの雑用や,時には研究と称することどもに時間と精力を消耗し,じっくりと考えを巡らすことなく,毎日を送っている。しかし,もちろん頭でっかちの机上の空論には,たいした意味はない。毎日の実際の医療の現場で,医療従事者と患者が実際に体験すること,その体験そのものを大切にしつつ,考察し,討論し,改良に結びつけていく方法論はないものだろうか? ナラティブ・ベイスト・メディスン(Narrative Bsed Medicine: NBM)は,そのような視点から医療を見直し,実践の方策を考えていく上で,有力な枠組みを私達に与えてくれるだろう。

 近代医学の特徴は,「患者そのもの(patient)」と「患者のもつ疾患(disease)」を分離し,疾患を取り除くことによって,患者を治療しようとする方法論であると言える。このような医療を効率良く行うために,疾患はできる限り分類され,その病態生理が生物科学的方法論によって明らかにされ,個々の疾患に応じた診断−治療体系が確立される必要があった。そのため,まず精神疾患と身体疾患が明確に分離され,各疾患はできる限り臓器別に分類され,医学はそれに伴って主として臓器別に専門分化し,医療従事者もそれぞれの分野の専門家として細分化され,現代の医療体系が確立したきたと言える。

 しかし,このような傾向は,本来分割できない1人の病む人間である患者を,「臓器や組織の集合体」と見なす傾向を助長し,その結果さまざまな問題が医療実践の現場において生じるようになった。その最大のものは,患者が医療現場において,人間的に疎外されるという問題であり,当然のことながらこの傾向は,医療における患者の満足度を著しく低下させている。同時に,医師・医療従事者も,医学と医療,専門的知識と現場で実際に生じる現象の乖離に悩まされることになり,これは医療従事者の専門職としての達成感・充実感を低下させる一因となっている。

 このような生物医学的側面に偏った近代医療を補償するため,患者を「分割できない全人的な存在」としてあつかおうとするムーブメントの提唱は,決して最近に始まったことではない。古くはすでに1950年代に,英国の精神分析医であるバリントBalint M 1によって,一般医療における医師−患者関係の重要性,心理社会的要因の重要性が主張され,本邦でも注目された。また,エンゲルEngel GL 2は,生物学的な側面のみを過剰に重視する近代医学モデルを批判し,人間の疾病の理解の基礎としてシステム理論を用いる,生物−心理−社会モデル(Bio-psycho-social model)を提唱した。このモデルは,医療における人間の全人的理解の提唱として広く注目されたが,実際の臨床実践において,生物学的側面と心理社会的側面をいかに統合するかの具体的な方法論は必ずしも明らかでなく,ともすれば理念的なかけ声のみに空疎化する傾向があった。

 近年,臨床疫学と一般診療の架橋を目指す新しい医療の方法論である,エビデンス・ベイスト・メディスン(EBM)が急速に医療の世界に浸透し,医療の方法論は大きく変わろうとしている。EBMは,しばしば誤解されているような,科学一辺倒の患者に冷たい医療では決してなく,臨床疫学的な情報を有効に利用することによって,個々の患者に有益な効果をもたらすことを目的とした方法論である。しかし,その科学的な側面があまりにも強調されすぎる傾向があることもまた事実である。その結果,医療における全人的な側面,医療従事者と患者の相互交流的な側面の重要性に再度光を当てようとするNBMというムーブメントが起こってきた。NBMが,英国におけるEBMの研究者でもある一般診療医(GP)の中から起こって来たのは,決して偶然ではあるまい。

 NBMは,一方では全人的医療のムーブメントの流れを汲み,また一方ではEBMを補完するものとして位置付けられている。しかし,NBMそのものは,実在論から構成論へという,ポストモダンの思想的潮流とも共鳴しあう,医療/医学に限定されない,広範な学際的な学問領域を巻き込むムーブメントとしても位置付けられる。1998年に英国で発行された,NBMに関する最初の書籍 3は,このような幅広い分野の多数の著者による学際的な教科書であり,NBM の多彩な側面を本邦に紹介するものとして,たいへん適切なものであった。しかし,一方では,あまりにも広い分野における膨大な内容の記述に触れた本邦の読者の多くは,「いったい,NBMとは実際のところ何であるのか?」という疑問を拭いきれない心境に陥ってるのではないかと思われる。

 本書は,NBMの関与する全ての分野を網羅しようとする意図によって書かれたものではない。むしろ,本書は,臨床実践者である二人の著者(斎藤,岸本)による,臨床現場における実践体験を,NBMの視点からできる限り明確に記述することによって,「一般診療におけるNBMとはどのようなものであるのか?」という問いに答える一つのモデルを示そうとする試みである。NBMとは,基本的に個別性の医療である。NBMの視点からみた医療とは,個々の医師の個性や専門性,そこにおいて診療が実践される医療機関の個別性,その場における個々の医師−患者関係など,個別のコンテクストを無視した,抽象的,一般的なものではありえない。私達のNBMの実践はこのようであるとしても,あなたの実践は,必ずしもそれと全く同じである必要はない。NBMとは,そもそもそのような多様性を是認するものである。そのような基本的認識のもとに,この本は著された。

 筆者の理解では,NBMとは,単なる医療における人間性の尊重を主張するムーブメントにとどまるものではなく,認識論,実践論,研究論などの理論的基盤を備えた,医療におけるひとつの視点であり,体系である。これらの理論的背景を明確にし,精緻化することは,NBMを一過性の流行に終わらせることなく,医療における真のパラダイム・シフトの担い手とするために必須のことであると考える。

 認識論としてのNBMは,社会構成主義,構造主義科学論(構造構成主義),ナラティブ論などの,広義の構成主義(構築主義)をその背景としており,これらの特徴は,一言で言えば,「それもまた一つの物語り」という表現で象徴されるような,徹底した多元論である。このような認識論の概要については,第1章(13頁)で説明される。

 実践論としてのNBMは,「広義の対話」そのものであり,医療面接,カウンセリング,臨床心理学,ナラテイヴ・セラピーなどと密接な関連を有している。しかし,NBMの実践とは,必ずしも特定の技法の実践に限定されるものではない。これらについては,第2章(37頁)で詳述されるとともに,第4章(93頁),第5章(134頁)において,多彩な実例が示される。事例研究は,ともすると著者の視点だけからの偏った主張になりがちである。それを避けるため,斎藤と岸本が単独で執筆した事例研究には,それぞれがお互いの項の文末にコメントを記することによって,複数の視点からの対話とすることを試みた。しかし,斎藤と岸本の視点はもともと共通する部分が多いため,この試みが有効であったかどうかの判断は読者におまかせしたい。

 最後の,研究論としてのNBMについては,第3章(62頁)で詳述される。そのキーワードは「広義の質的研究法」である。現在までに提唱されてきた,人間性主義的な医療の方法論の多くが,アカデミックな医学の世界に定着できなかった最大の理由は,それらが医学領域における適切な研究法を確立できなかったためであると筆者は感じている。NBMは,臨床現場で医療従事者と患者の間で体験される相互交流の記述をその本体とする。このような主観的/相互交流的な事象を扱う,「科学的な研究」の方法論は,現在までの医学には存在しなかった。第3章(62頁),第4章(93頁),第5章(134頁)で述べるように,その突破口を開くのが,対話分析,事例研究などを含む,広義の質的研究法である。しかし,現在のところ,NBMの研究法として確立したものがあるわけではなく,この分野の発展は今後の課題であろう。

……(略)……

2003年5月16日 斎藤清二