「日本語版への序」より

 本書「サイコロジカル・トラウマ」が米国で初めて出版された1987年当時は,米国の精神科医療関係者たちは,トラウマの心理的影響に関して,まだほとんど関心を払っていなかった。私は,友人たちから本書の出版を勧められたのだが,当初はそれに応じなかった。なぜならば,私が書くようなことは,すでによく知られたことだろうと考えていたからである。しかしそれは間違いで,トラウマによる心理学的,生物学的,発達論的,社会的影響を統合するような本が,あきらかに必要とされていることがわかった。本書に続いて多くの本が出版されたが,本書や,われわれが続いて出版したもう一冊の本のように幅広い観点を含んだ本はまれである。
 1995年に私は初めて訪日した。そのとき日本の専門家と阪神淡路大震災の影響について話し合ったのであるが,はじめに驚いたことは,トラウマに関する理解と知識の欠如であった。私には第二次世界大戦中に日本軍の捕虜となった親戚が身近に何人かおり,私は,かれらの味わった辛酸の話を聞かされながら育った。そういうこともあって,日本軍兵士や,戦争の最終期に無慈悲な空襲の犠牲となった市民やその家族に戦争が与えた影響は,大きな関心をもたれるであろうと期待していたのである。しかし,日本の関係者が聞きたがったのは,地震がどのように人々に影響するかということだけであった。私が家族内暴力や戦争の問題に触れようとすると,まるで耳を塞ぐかのように,私には感じられた。その訪日の折には,靖国神社で長い時間を過ごし,日本で戦争がどのように記憶されているかを感じ取ろうとした。そして,日本人がトラウマを否認するのは,過去一世紀にヨーロッパや米国でも見られた否認と極めて共通したことであるのがだんだんとわかってきた。このような否認は現在も再現している。イラクに送られた米国の青年男女と,かれらが解放するとされる人々は,死や破壊に晒されても,なんら傷を残すことなく,それをくぐり抜けることができるだろうというナイーブな考えである。靖国神社に見られる日本文化と同じように,米国文化は,戦争に伴う怖ろしい苦悩を,華やかで英雄的であると見せかける方法を見出すだろう。その一方で,個々の兵士やその家族への破壊的な影響は否定するのである。
 トラウマの理解は,そのときどきの社会的条件に左右されて,常に盛衰を繰り返してきた。たとえば19世紀末に,ジャン・マルタン・シャルコーとピエール・ジャネが先導して,パリのサルペトリエール病院において,トラウマとその影響に関する数多くの文献が生み出された。それらの文献は,第一次世界大戦時の「シェル・ショック」に関する数百の文献が出されるまでの20年間は,ほとんど忘れられていた。しかし第一次大戦後も,苦い勝利の記憶は忘れられ,戦争それ自体は「西部戦線異常なし」のような書物の中の記憶だけになった。そして記憶に留める代わりに,ヨーロッパ諸国は虐殺を繰り返した。外傷神経症は,精神医学の関心の中心となることもあったが,1945年に平和が訪れると,その関心はすぐに失せてしまった。精神医学が,圧倒するような体験に晒された結果生じる持続的な心理的打撃の問題に,やっとのこと再び向かい合ったのは,ベトナム戦争の終結から約10年が経ってからである。
「PTSD」研究の開始が可能となったのは,精神現象の系統的かつ科学的研究に向けた米国政府基金のおかげである。診断としてのPTSDは,ベトナム復員兵の苦悩を概念化するために,DSM-Ⅲの中に設けられたものである。しかしすぐに,兵士だけでなく,レイプ被害女性や性的被害にあった子ども,そして命の危険を伴う極端な体験に晒された人々も同じような症状に苦しむことがわかった。過去30年の間に,トラウマを研究するための科学的領域がだんだんと整ったのである。
 本書「サイコロジカル・トラウマ」は,トラウマの生物学的,社会的,心理学的影響を解明せんとする初期の試みであった。それは外傷的体験が全体としての人間にいかに影響するかということであった。そしてDSMのPTSD診断によって捉えられる心理的障害は,極端なストレスへの反応としての人間の苦悩を定義はしているが,それでも一部であることをあらわそうとしたものである。
 米国とヨーロッパでPTSD診断の広がりにつながった早期の理由のひとつは,ドメスティック・バイオレンスの被害女性と子どもが受ける広範なトラウマの存在が認識されたことである。この問題は1980年代までの西欧精神医学の歴史の中では,ほとんど無視されてきた。振り返れば,私が1995年に初めて訪日したときも,家庭の中で生じるトラウマについては,まったくといってよいほど関心をもたれていなかった。少なくとも米国では,女性と子どもにとって,もっとも大きなトラウマの原因は,親密なパートナーや家族からの脅威である。安全や保護を提供してくれるはずの相手から受けるトラウマはことのほか深刻な傷を残す。
 われわれは「サイコロジカル・トラウマ」の中で,子どものトラウマの概要を描くことを試み,それが子どもの発達に及ぼす影響を述べることからはじめた。発達におけるトラウマの影響は,いまだに多くは引き続いて未開拓の領域である。とはいえ,われわれが述べたピアジェ流の考え方は,その後の研究においても有用な道案内となった。子どもが晒されるトラウマ体験に関する関心の幕開けから,米国では,「全米子どもの外傷性ストレスネットワークNational Child Traumatic Stress Network」の設立につながった。その目的は,子どものPTSDに関する科学的領域を確立することである。子どもの脳の発達はトラウマによってどのように障害されるか,そしてその後の人生においてそれらの変化はどの程度回復可能か,といったことは精神医学の中心的課題である。あいにくと,現在これらの問題を理解するための研究基金は,人間以外のラットやサルなどの種に向けられ,子どもの研究を支えることからはかけ離れてしまっている。
 この20年間,多くのPTSD研究がトラウマへの生物学的反応に焦点を当ててきた。本書の中で概要を述べた問題の多くは,トラウマの生物学的影響の理解に相応しいものであるが,われわれはけっしてそれを予期していたわけではない,本書が出版されて10年もしないうちに,恐怖システムの神経生物学や,視床下部―下垂体―副腎系におけるトラウマの影響の概要が判明した。1987年にはまだ多くは未知であった神経画像研究は,トラウマ曝露がライフサイクルを通じてダメージの原因となることと,病前の脆弱性の相対的な寄与に関する魅力的な知見を,断片的ながらあきらかにしてきた。しかしながら,生物学的探求は,中心であるところのトラウマの心理社会的影響をいくらか曖昧にしたところはある。トラウマの神経心理学領域で到達されたことはほとんどなく,PTSDの注意と衝動コントロールの問題についてはまだ多くが未解明である。あるいは,喜びと意味のある人間関係を経験する能力に対するトラウマの影響についても,末梢的問題としてわずかに述べられただけで,多くは無視されてきた。
 神経画像研究の成果のひとつは,人々がトラウマ体験を想起しているとき,どの脳領域において活動性が低下しているかである。左前部前頭前野機能の低下と右の大脳辺縁系の相対的増加が観察され,ことにいくつかの研究は,言語表出の中心であるブローカ中枢の活動性低下を示した。トラウマの影響とは,認知や意味づけが第一義的ではない。むしろ運動感覚から免疫機能にいたるまで,あるいは潜在記憶システムから対人過敏性にいたるまでがトラウマ体験により障害され,あたかも日常生活においても脅威がまだ続いているかのごとく反応し続けてしまうことである。トラウマティック・ストレスとは,いわば現在に生きることの失敗なのである。
 本書には,特定の治療に関して述べた章はない。1987年の時点では,治療について権威づけられた内容を記述することはできなかった。その当時は,すべての治療はまだ試験的段階であった。それ以来,多くの転帰研究が行なわれてきた。その中では,選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)など,いくつかの薬剤が,かなり有効であることが示された。また安全な状況下においてトラウマに直面させるようないろいろな技法もかなり有効であることがわかった。われわれの神経画像研究では,トラウマの影響は主として脳の皮質下領域にあることが示された。したがって,われわれは洞察と理解を強調する技法に重きを置かなかった。単に,なぜ特定の感じ方をしてしまうかを知り,非合理的反応を抑えようとするだけでは,効果が得られなさそうだったからである。また感情的過覚醒を調節する特別な方法を導入することなしに,トラウマの記憶に曝露させることは,脱感作よりも再外傷化を招くかもしれないと思われた。
 トラウマは人間の全体を侵すので,わたしは個人全体にせまるような治療法を好むようになった。われわれが用いている技法のいくつかは,わたしが南アフリカやアジアを旅しているときに学んだものである。アフリカでわたしは,トラウマを受けた人々が,ダンスと歌を自己調節の方法としていることに印象づけられた。またアジアでは,ヨガなどの伝統的手法が,トラウマを受けた人々が身体中心の感覚を取り戻す助けとなるのを見る機会があった。われわれが子どもに対して好んで施す治療は,身体活動を指向するプログラムから構成されている。一方,われわれのクリニックでは,EMDR(眼球運動による脱感作及び再処理法)を大人にも子どもにも実施するが,とても有効である。最近終了したわれわれの研究では,8週間のEMDR治療を受けてから6カ月後の時点で,トラウマを受けた成人患者の87%が完全に症状がとれていた。一方SSRIで治療された比較群(訳者注:8週間のフルオキセチンfluoxetine投与)では,有意義な効果を持続したものはいなかった。
 ただしこういった劇的な治療効果は,EMDRがPTSDの最善の治療であると意味しているわけではない。トラウマティック・ストレス領域における傾向として,ある特定の治療が,待機群よりも効果が優れていると統計学的に証明されるやいなや,「選ぶべき治療法」として採用されてしまうのである。われわれの研究では,8週間の偽薬投与により,PTSD患者の44%に改善が見られた。したがって,治療者と患者の治療へのかかわり方,治療同盟の強さ,あるいは単に診察を受け,個人のストーリーを何度か話すといった,非特異的な要因も,大きな効果をもちうるということである。
 PTSDに関する生物学的データをきちんと取り上げれば,そこから示される治療的課題は,主観的な統御感覚と,相応する刺激には反応し,相応しない刺激は無視するような神経心理学的能力を取り戻すためのリセットを助けることである。本書が西洋以外で翻訳されるのはことに嬉しいことである。なぜならば,避けられない悲劇に人々が対処する独自の方法を,個々の文化は培ってきたからである。わたしの願いは,米国の経験を基盤とした本書から着想を得て,日本人が,自分の文化の中におけるトラウマの影響をより理解できるようになることだけではない。日本の文化の中に疑いも無く存在していると思われる,トラウマ治癒の独自の方法を探究する契機としてもらうことである。そして今度はそこから,世界の他の人々が着想を得られることである。
(文献略)

ベッセル・A・ヴァンダーコーク
ボストン大学医学部精神科教授
トラウマ・センター医療部長