「訳者あとがき」より

 本書の原書が出版されたのは1987年のことであるから,実際の執筆は1980年代のちょうど中頃であろう。つまり1980年に米国精神医学会診断統計マニュアル第3版(DSM-Ⅲ)において,外傷後ストレス障害(PTSD)がはじめて疾患概念として世に登場してからわずか数年前後ということになる。原書は,PTSD概念誕生後におけるトラウマ研究の草創期の著作として,当時は一世を風靡し,もちろんのことわが国のトラウマ研究者の間でもその存在を広く知られ,少なからぬ影響を与えた書である。

 ……(中略)……

 さて本書は,1980年代前半のボストンを中心に活動していたトラウマ専門家集団の息吹を十分に感じさせてくれる内容である。ただし,お読みいただいた方々の感想は好悪を含めてけっして一様ではないであろうと想像している。改めて読み返して見ると,17年前の著作であるので,さすがに内容的に古さを感じさせるところも少なくない。たとえばPTSDの神経生物学に関していえば,原書が出版された後の1990年代以降に大きな進展が見られている。また臨床薬理学的研究も初期のものにとどまっており,選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)を中心とした近年のPTSD薬物療法の考え方以前のものである。あるいは,やはり実証研究により次々と有効性が示され,いまやPTSDの精神療法の中心となっている認知行動療法についても一切触れられてはいない。

 第5章に述べられている,境界性人格障害の原因を人生早期のトラウマに帰するとするHermannの仮説には,おそらく反論が多いであろうし,実際そのような仮説に与する専門家は今では少ないであろう。なぜならば仮説の根拠とされる「実証」データは,正直いずれも杜撰なものであり,その後も仮説を補強する実証的根拠は得られていないからである。また第8章の症例メロディの記述に対して読者はどのように感じられるであろうか。本症例は有名な1942年のココナッツ・グローブ火災で被災した経験を持つ患者であるが,治療経過中に遠い過去の被災体験との関連を思わせる症状が出現した。原著者は文中で解離性障害ないし外傷後ストレス障害と診たてることが可能と結論している。「患者メロディは,約40年間の比較的正常に機能した期間と,5年間にわたって間欠的精神病状態と著しい精神荒廃の後に,以前の機能レベルを取り戻した……(中略)……治療者との出会いがもしなかったならば,彼女は慢性患者の一人として終えたかもしれず,物語を語ることもけっしてない他の慢性患者の中にうずもれてしまっていたであろう。」原書が書かれた時点で,患者は未投薬で外来治療を続けており社会復帰も果たしている。しかし精神科医の立場からすると,この患者がその後いかなる転帰をたどったかはきわめて興味を引くところである。そのまま終生寛解を維持できていたのか,あるいは挿話性の精神病状態がその後も繰り返され,ついには慢性病像を呈したのではないかなどとも想像してしまう。

 以上のように内容的にひっかかる点を除けば,原書の内容には現在にもそのまま通用するような,あるいは現在でも議論が続いている古くて新しい問題が多く散見される。というよりもいまわれわれが議論しているようなことが,すでに1980年代半ばには問題として浮かびあがっていたことを改めて認識させられる。序文にも述べられている「外傷後ストレス障害(PTSD)は,おそらく他のどの精神障害よりも,心理的ならびに生理的反応の密接な相互依存性を示している」という認識や,生物学的視点と精神分析学的視点の双方に目配せした原書の内容構成は,当時としても斬新なものであったと思われる。なるほど現在こそ,ことに1990年代以降の生物学的研究の進展ともあいまって,PTSDの病態理解に関して生物・心理・社会的次元を統合した視点が称揚されている。しかし1980年代半ばにすでにそのような視点を謳いあげたのは,原著者の先見性に他ならない。原著者のその姿勢は現在も続いており,一貫してトラウマの神経生物学と精神病理学の接点を求める立場をくずしていない。あるいはまた「PTSDは単なる無意識の内的リビドーの葛藤ではない。治療者はしばしば患者の依存や自己愛的要求にまきこまれるが,心的トラウマ後の症状自体が二次的利得をもたらしているのではない。Anna Freudは,……解釈だけではトラウマ体験を原因とした打撃を回復させることはできないことを強調している。」(第7章)との箇所は,洞察を中心とした力動論的精神療法が,結局はPTSDへの治療効果を証明し得ず,ランダム化比較試験により治療効果を証明された認知行動療法に,治療技法としての首座を明け渡している現状を予言している。

 「トラウマ記憶を表出させ,徹底操作し,さらに慢性的影響を統合する……個人療法も催眠療法も集団療法もすべてこの目的のために編み出されたものである。ただし,トラウマの記憶を蘇らせることは必ずしも解決につながるとは限らない。トラウマ体験を掘り起こしても単に恐怖を蘇らせるだけで恐怖の解消にはならない場合もある。トラウマを十分に統合できない患者はたくさんいる……精神療法家の技量は,トラウマ内容に迫るときと,現在の問題の制御を強調するときとの,双方のタイミングを見極める能力にかかっている」(第3章)。

 これはトラウマ治療の根幹として認識されなければならない問題であり,少しも古いテーマではない。効果を証明されている認知行動療法は,トラウマ記憶を再現させて処理し,馴化を促し,通常の記憶体系に統合するプロセスとして理論づけられている。しかし記憶の再現過程において馴化が生じず逆に再感作された結果,症状増悪により治療が無効に終わる例もあることは繰り返し注意が促されている。災害救援者への心理的介入技法として発展したディブリーフィング法も同じ問題を抱えており,効果を証明されなかっただけでなく,その技法の副作用に警鐘が鳴らされている。あるいは本年も,米国のベトナム戦争復員兵におけるPTSD患者を対象として,トラウマ体験に焦点を当てた治療と,現在抱えている問題を中心とした治療との効果を比較する大規模介入研究の結果が報告されている。その結果,トラウマ体験に焦点を当てた治療がより効果的とは証明されなかった(Schmurr, 2003)。PTSDの精神療法において,トラウマ体験をどのように,どのタイミングで扱うべきかは,現在も議論と試行が続いているところなのである。

 「無力感のあるところでは単に支持的体験を提供するだけでは,患者の受動的な姿勢を実際さらに助長することになりかねない。……人がストレスを最も上手に処理できるのは,統御感覚(内的制御感)と十分な社会的支援ネットワークとの両方を備えている場合なのだ。……逆境において否定的感情を持つことがあっても,自分の行動により問題を解決できると信じていることが,結果的に全般的な幸福感を生むのだ。……自分が自分の人生を統御していることに気付き,日常的に社会的支援と積極的に関わることにより,トラウマの衝撃を弱めることができるだろう。」(第10章)

 この箇所は社会的支援のあり方の根幹を説いたもので,真理である。それゆえにこそ形をかえて現在でもなお繰り返し検証が試みられている。単なる支援ではなく,統御感覚の再生を後押しする支援でなくしては,本当のトラウマ回復には繋がらないのだということは,未来永劫,トラウマに向かい合おうとする援助者が原点とすべき認識にほかならない。

 最後に,ナチス強制収容所の生存者研究の結果も,現在に受け継がれるべき内容との感を新たにした箇所である。極限状況の中で,「人々は他者の助けのおかげと,また自分自身が他者のことも考えなければならないおかげで生き延びた。」(第7章)と述べられているが,極限状況を生き残るための集団の役割として,結束したペア形成のもつ心理社会的対処行動上の意義は,おそらく人間普遍の現象を呈示していると考えられる。

 このように現在も取りざたされているトラウマ研究上の多くのパラダイムを早い時期にすでに論述している本書は,一部の内容に対する好悪を離れて,手に取るべき必読の書のひとつであることは間違いのないところである。

2003年11月 飛鳥井望・前田正治・元村直靖