あとがき

 心理療法の世界に入ってからずいぶんと時間が経った。そう思う一方で,初めて心理療法を行ったのはつい昨日のような気もする。時間がまるで分厚い層をなしているかのようだ。いつの間にか積み重なった幾重もの層を痛感しているが,同時に表層を見ると何も変わりがないようでもある。こうした感覚は以前から馴染みのものだった。無時間の時間とでも言うのだろうか。自分が非常に変化したように感じ,しかしまたまったく変わっていないようにも感じる。他の喩えを借りれば,遙かに歩んできたと思うし,いつも同じ場所に留まっていたようでもある。たくさんの時間が流れたのは確かにそうなのだが。
 臨床心理学の世界で生きていこうと決めたのは大学院を修了するころである。その世界のなかでも,心理療法を自分の仕事の中心にしようと思い定めたのは20代後半だった。何をするのか迷っていた時期がしばらく続いたのだった。ところが心理療法と決めたのはよいが,なにをどうしたらよいのかまったくわからず,ただ右往左往して毎日が過ぎていった。わけもわからないままに,ひたすら心理療法に明け暮れていた。7〜8年ほど経ったころ,神田橋條治先生にご指導を受けられる機会を得た。その後から,あらためて振り返ってみると,自分が過去にどれほど多くの人たちと出会っており,その人たちに支えられ,助けられてきたかがわかるようになった。多くの先生方から受けた指導がいつの間にか自分のなかで発酵していることもわかった。それまでもいくらかは気づいていたのだが,それがより鮮明に意識されるようになったのである。これはいわば見直し,組み立て直しの作業であり,神田橋先生のご指導にはいつもこの作用があった。それは,既に知っていることなのに,考えようとしなかったり,感じないようにしてきたさまざまなことを結び合わさせる作用でもあった。この作用は強烈であった。私はすぐに壊れた。しかしこの崩壊があったから,私は新しく生き直すことができるようになったと思う。私は日本心理臨床学会の学会報第10号2003年「スーパーヴィジョンをめぐる諸問題(その3)」に,「スーパーヴィジョン体験の贈り物」という表題で次のような趣旨のことを書いた。これは先生とのス−パ−ヴィジョン体験について書いたものである。
 「私にとってスーパーヴィジョン体験は混乱であり,私はひたすら崩れていった。それが数年間続き,何も崩れるものがないという感覚の後で,私という人間の核,根っ子が残った。それは真の自己愛の発見であった。その後私は,自分の行う心理療法においてもスーパーヴィジョンにおいても,私の会う人たちがそれぞれ唯一の存在としての意味と価値を発見してほしい,その実感を得てほしいと願うようになっている。それを真の自己愛の発見と充足だと思う。このように願うのは,私のスーパーヴィジョン体験が私にもたらした贈り物だと思っている」

 かなり前からいくらかものを書いてきた。それらを拾い集めてみると思いがけない数になっていた。この機会に読み返してみたが,とても恥ずかしくなった。神田橋先生から学んだことをそのまま書いているものが多いのである。それだけではなく,今の時点で読めば若書きという印象のものも多く,無性に書き直したくなった。しかしそれぞれの論文を書いた当時は,このように書くのが精一杯だったし,他に書きようがなかったように思う。正直に書いたらこうなったという感じである。迷ったあげく,過去において自分がこうした論文を書いたことを大事にしようと思った。原論文の形のままにする方がよいと思った。そのためいくらか字句を修正した以外はほとんど元の形のままである。(第19章は書き下ろし)
 あらためて感じるのは,神田橋先生への傾倒とともに自分の屁理屈屋ぶりである。理屈をこね回し,ああでもないこうでもないと書き連ねる。なにかと理屈をつけないと気がすまない。あげくに出発点に戻ったりする。このようにゴチャゴチャ考えるという特徴が最初のころの論文から見られる。しかもその特徴は今も変わっていない。思わず笑ってしまった。そして対象が人であれ何であれそれにのめり込むことと,理屈をこねること,この2つが私という人間の大きな特徴だと再認識した。
……(後略)

2004年5月 溝口純二