「訳者あとがき」より

 ここに筆者のかねてからの念願であったボスナック先生の論文集をまとめることができたことを喜びたい。筆者がボスナック先生と最初に出会ったのは,先生が毎年春に開催されているドリームワークに参加した時のことだった。ドリームワークに参加したのは1日だけだったが,なんとも言いようのない不思議な感覚が体の方にいつまでも残って,しばらくの間,大変だった。
 私はもともと,体で受けてしまうところがある。医者になって最初に病棟に入った時,その雰囲気に圧倒されて,なんともいいようのない違和感が体に残ったことをよく覚えている。診療をしていても,たとえば,患者さんが抗癌剤の点滴で吐くのを見て自分も吐き気を催したり,痛みをこらえている様子を見ていると自分にも痛みが移ってくるような気がしたりして大変だった。体の方が先に反応してしまうのである。それでは診療にならないと思い,そういう身体感覚に蓋をしようとしてきたところがあるのだが,先生のドリームワークは,そういう身体感覚をむしろ治療に生かそうとしておられるのが私には衝撃だった。私自身に生じてくる身体感覚をむしろ大切にすべきことを教えられた。先生が夢を扱う時に身体感覚や感情に焦点を当てられることは,すでに『クリストファーの夢』(創元社)を通して知識としては知っていたが,先生のドリームワークを文字通り体で体験して,身体の反応という問題が,私の中で大きなテーマとなっていった。
 それからまもなくして,今度は「臓器移植における統合と両価性」(本書第2章)という論文と出会い,再度衝撃を受けた。これは心臓移植を受けられた患者とのドリームワークを示し,論じたものである。私自身は骨髄移植という治療に携わっていた時期があるが,この論文を読みながら骨髄移植と心臓移植とではドナーに対する葛藤のあり方が異なることを感じた。心臓移植の場合,ドナーは死に,レシピエントは生きる。医療はしばしばこのアンビバレンスの抑圧に手を貸すが,「このアンビバレンスを体験すること,この内的な葛藤を体験することは必要不可欠のことである。実際,それが命の新しい理解につながり,……二つの生命力が交じり合って新しい人物が生まれるのである」(本文p.113)と彼が明確に書いていることにショックを受けた。これは,心臓移植においては決定的重要性を持つ問題であるが,容易に正面から取り組めるものではない。こう言い切る強さはどこから生まれてくるのだろうと思っていたのだが,本書の最後に収録した「汚れた針」という論文がそのヒントを与えてくれることに気づいた。精神分析における劣等性は構造的なものであることを論じたこの論文は本書の他の論文とは少し異なり,ドリームワークそのものについて述べたものではないので,当初は(一応候補にはあげていたものの)外そうと考えていた論文だが,ボスナック先生からの要請もあって,再度収めることにしたものである。先生のドリームワークの出発点とも言える論文である。ボスナック先生のドリームワークを理解する上で,やはり欠くことのできない論文であると改めて感じた次第である。
 第2章にも出てくる心臓移植を受けた女性,クレア・シルヴィアは,『記憶する心臓』(角川書店, 1998)という本を書いていて,この中でボスナック先生との出会いの様子,さまざまな偶然が重なって,夢に現れてきたティムという名の人物が実在し,それがドナーの名前であったこと,ドナーの家族にも会いに行き,そこでもさまざまなアンビバレンスを体験したことなどが語られている。それほど劇的ではないが,同様の体験は第3章に収録した論文にも示されている。この件については賛否両論渦巻いているようだが,どう捉えるかは別としても,実際にそういうことが起こったということだけは変えられようもない。今後の研究が待たれる分野である。ちなみに,『クリストファーの夢』の中で,エイズの心身相関的な基盤に関する彼の講演(ハーバード大学)が,まったく理解されなかったと憤っている場面がある。それから10年以上が経過した今日では,エイズの病状に心身相関的な基盤があり,心理状態が病状に影響を及ぼすことは周知の事実となっている(Sternberg(2001)“The Balance Within”)。第6章にある「夢見手が示す心身反応のうち,類似した反応は,皮膚電気反応のグラフでも形がおなじパターンになる」(本文p.158)という仮説もその後証明されたとのことである(p.9参照)。彼の洞察の深さを示すものである。
 ボスナック先生と初めて出会ったドリームワークの時に,まず,夢に関する脳科学の知見を簡単に紹介され,脳の断面図を描き,扁桃体を中心とする不安の神経回路を簡単に説明して,ドリームワークがどういうところに働きかけているか,その可能性について示された。その時はジョセフ・ルドゥーJoseph LeDoux(1996)の“The Emotional Brain”を読んでいると,私にも紹介してくださった(この本は最近翻訳が出た。『エモーショナル・ブレイン』東京大学出版会, 2003)。その後,先生が,‘Science’などの科学雑誌にも目を通して,脳科学や夢に関する科学的な知見についても広くカバーしておられることがわかった。先生の中では科学研究の知見と臨床実践とが見事に統合されている。近年,脳科学と深層心理学(特にフロイトの精神分析)とは合流する兆しを見せ始めていて,今後大きな流れが生まれてくるのではないかと思われるが,この点でも先生は時代を先駆けておられるといえるだろう。
 第4章に収めた,身体疾患に対する適用は,エンボディ(embody)を重要なキータームとしている先生のドリームワークには,ある意味必然といえる流れである。このキータームについてはまえがきでも山先生が解説しておられるのでここでは重ねないが,一言だけ加えておきたい。先生のワークは,第4章で書かれているように,現代医学を否定したり排除するものではなく,それと共存しうるものである。しかし,先生のドリームワークは,いわゆる代替医療とも一線を画しているように思われる。それは,ホリスティックなモデルではなく,心と体という二つのネイチャーを媒介する第三のもの,自然を媒介する魂(本文p.132)を想定しているからである。それゆえにあえてエンボディというキータームを導入して,体現的想像(embodied imagination)とか体現的ドリームワーク(embodied dreamwork)と呼び,通常のメンタル・イメージとは区別するのである。詳しくは第4章,第5章を参照していただきたい。
 第5章ではルフィニャックの洞窟の前で行われたドリームワークが紹介されている。ルフィニャックの洞窟は地元では「百のマンモスの洞窟」として少なくとも16世紀から知られていた洞窟で,近郊からはマンモスの遺骸は発見されていないにもかかわらず,なぜこれだけ大量のマンモスの図像が描かれたのか,謎に包まれている。腹ばいになって入口から1キロメートル以上も進んだところには,大天井画と呼ばれる一連の絵画がある。しかし,それが発見された時,天井の高さはわずか80センチメートルしかなく,天井画全体を眺めることは無理だった。製作された当時,鑑賞のための距離はまったく考慮に入れられておらず,鑑賞目的とは考えられないというのである(港千尋『洞窟へ』せりか書房, 2001)。つまり,距離をとって対象を眺めるという,現代のわれわれがよくやるような見方は,物理的に最初から無理な状況で,これらの図像は描かれているのだ。それゆえに,想像,体現的想像ということがますます重要になってくる。このような背景を念頭に置きながら,第5章の冒頭の文を読むと,エンボディメントということの意味がさらに実感を伴って迫ってくるのではないかと思う。
 続く第6章と第7章は,先史時代から現代まで一足飛びに時代を超える。洞窟を前にしてのドリームワークの後に,2001年9月11日のいわゆるテロ事件の衝撃が論じられる。夢は時間を越えるとはいえ,先生の無碍闊達な動きには驚嘆の念を覚える。時代を超えるだけではない。インターネットの普及により,物理的な距離をほとんど感じることなくコミュニケーションできる時代になってきた。アメリカとアジアとアフリカとヨーロッパで同時にドリームワークがなされているという。時空を超えてドリームワークは広がっている。
 第8章の「トラウマを代謝する」は,先生の最新の考え方が示されている。生態系というメタファーを用いることに関してはいろいろと議論があると思うが,イメージの自律性を考慮に入れた一つの考え方として興味深いものである。最近,静岡県中央児童相談所の平岡篤武先生より教えていただいたトラウマワークは,状況設定は異なるものの,イメージの自律性を利用している点は同じで,印象に残った。実際に見せていただいた平岡先生の事例では,トラウマワークと名づけられているものの,トラウマという言葉に縛られずに適用を広げておられ,いわゆる狭義のトラウマにとどまらない広がりと深さを持っている点でもボスナック先生のドリームワークと共通していると感じられた。平岡先生は導入に当たってアセスメントを慎重に行い,適応をよく検討することの必要性を強調しておられたが,それはボスナック先生のドリームワークでも同じであろう。
ともかく本書の構成を通覧するだけでも,そのテーマは,先史時代からテロ,トラウマ,インターネットといったきわめて現代的な問題をカバーするのみならず,臓器移植,身体疾患など医療領域にも広がりを見せていて,ドリームワークを通じて世界のあらゆる問題に取り組んでおられることに畏敬の念を覚える。ぜひとも読んでいただきたい論文ばかりである。
……(後略)

平成16年7月4日 岸本 寛史