「おわりに」より

 患者さんから,「自分には生きている価値があるのでしょうか。時々いない方がいいと思う時があるのです」と言われることがしばしばあります。とても重い課題です。人はどんな時に,自分の生きている価値を感じるのでしょうか。自分の存在がかけがえのないものと思えるのは,どんな時でしょうか。そして,自分が他人と違う1人の個性だと,どうしたら言えるのでしょうか。

 私も,そのような疑問を多くの人が通り抜ける青年期の悩みとして体験しました。はじめは,真剣に勉強をして誰よりも多くの知識と気高い思想を得ることができれば,それだけ自分の存在は価値があるのではないかと思いました。しかし,間もなくそれは単なる思い上がりに過ぎないことが分かりました。他人と競争してどれだけ自分が上にいるかと張り合っても,それはどこまで行っても限りがなく,そこに満足も安心もないことに気付いたのです。何をしていいのか分からず,医師になることが本当に適切な選択なのかも迷いました。そこで私は,大学2年の終わりに医学部に進むことを一時中止して休学し,世界を見てみようと思い立ち放浪の旅に出たのです。横浜の港からフランスの船でインドに渡り,ネパールの農山村で活動していた岩村昇医師の巡回診療に同行させていただきました。その後アフガニスタンやイランの砂漠を越えてイスタンブールに入り,ヨーロッパ大陸の西の果てのロカ岬まで,陸路をたどって行きました。そこで出会った人々は,そんな私の思いとは関係なく,自由に,必死に,それぞれにその土地で生きていました。ヒマラヤの山襞の村々にもアフガニスタンの砂漠の中にも,人々の生活がありました。人々は近代工業化文明とは無縁の生活をしていても,そこにしっかりと生きていたのです。
 逆に,私が出会った人々にとっては,私はただの旅人に過ぎませんでした。そこで,私とはまったく異なった世界観と異なった生活体験を持った人々も,私と同じ人間だということに気付かされました。互いに相手を見た時,見る者と見られる者は同じ立場にあります。つまり,相手の人生が価値あるものだとすれば,等しく私の人生も価値あるものですし,逆もまた真のはずです。知識の量や思想の高さで,人の価値を測ることは無意味だということに気付かされたのでした。

 今,私が精神科医として患者さんに出会い,仕事をする上での大切な基盤は「生きることが価値あること」と,自分自身が感じていることです。さもなければ「あなたはかけがえのない存在です」と言えなくなってしまいます。しかし病気を背負ったことにより,多くの患者さんたちの自尊心が大変傷つけられていることをしばしば体験します。人との出会いから,その傷が癒され「自分の人生はかけがえのないものだ」という思いを持つまでには,とても時間がかかることが多いものです。
 デイケアも「人生はかけがえのないものだ」というメッセージを届ける作業の一つだと考えています。そこに来ていて1人の仲間ができれば,その人を支える1本の糸が心の内に生まれます。2人の仲間ができれば,2本の糸がつながります。そして,この糸は同時にお互いを支えていることになります。人と知り合うことは,自分を支え相手をも支えるのです。
 私は,デイケア活動などの仲間との関わりの中から,通所者自身に生きている手ごたえを何か感じていただけることを期待しています。そのエネルギーをもとに街に生活の場を広げ,自分のライフスタイルを自分自身で選び暮らしていくことが,地域型のリハビリテーションになるからです。そして,心の病を持っていても共に生きてゆける街を,私たちの地域社会に作って行きたいと思っています。
……(後略)

2004年8月30日 窪田 彰