「まえがき」より

 思春期(青年期)のケアに深く手を染める臨床家の多くは、若いときにそのスタートをきっている。年齢的な親近だけではなく、なにものかになるべき模索途上という共通性が、かけ出しの臨床家を思春期にひき寄せるのだろう。
 しかし、診察室を訪れるのは思春期の人たちのままであっても、臨床家のほうは齢をしだいに重ねてゆく。その年の功が―臨床経験や人生経験が―彼をよりよき思春期の臨床家に育んでいるだろうか。それとも、加齢につれて、距離が遠くなり、なにかを共有している思いや新鮮な感覚が知らず知らず失われ、むしろ臨床の力を下げているだろうか。
 医師になって一年目、はじめて全面的に主治医をまかされた患者は、たまたま思春期の摂食障害の人であった。これは偶然に過ぎなかったけれども、気がつけばそれを最初として思春期の人たちをずいぶん診るようになっていた。本書は、そうしたなかで、少しずつ書いてきた論考を集めたものである。
 金剛出版の立石正信さんから本にまとめるよう、ずいぶん昔にお誘いを受けたまま、ためらいが強く、ずるずると引き延ばしてきた。人間の内面(主観世界)は、社会的な外見ほど歳をとるわけではない気がする。つまりなかなか成熟できないわけで、思春期についての仕事を一書にまとめ上げて対象化し、それを世に問うところにまで自分は達していない思いがあった。思春期を語るというのは、どこかしら微妙なのである。
 集めた論考は、深い研究の蓄積というより、その状況、状況のなかで、そのつど考えてきたものという性格が濃い。思春期というありかた自体、たえず時代と社会のなかを動いている。末尾に初出年を付し、巻末に解題を添えたのはそのためである。なお本にするにあたり、表記の統一、図表の整理など、若干手を加えた。
 このたび上梓の運びとなったのは、もちろん、私がなにかに達したためではない。立石さんのこころのこもった粘りづよいサポートによって覚悟がついたのである。さらに、思春期臨床のエキスパートであり、畏友である青木省三さんが本書に挿画を寄せてくださることになり、それに力づけられた。おふたりに深く感謝する。

2004年10月5日   滝川一廣