「訳者あとがき」より

 本翻訳は,ドナルド・メルツァーの5冊目の著作『夢生活』(Donald Meltzer : Dream-Life, The Clunie Press, 1983)の全訳である。翻訳は三者が各自,分担分(第1・2章は新宮,第3・4・5・6・7・8章・謝辞・著者略歴・索引は福本,第9・10・11・12・13・14章は平井)を訳した上で,専門用語の最終的な訳語統一は福本が行なった。訳者名は担当章順に記した。
 さて翻訳・編集作業がようやく最終段階となった折,著者メルツァーの訃報が聞かれた。2004年8月13日逝去とのことである。数年前,筆者がある公開講義の折りにDrメルツァー御本人と話して『夢生活』日本語訳の計画を伝えたところ,「それは光栄だ」と彼は答えていた。以来多忙に紛れて先延ばしにしてきた結果,出来上がりをご覧に入れる機会を逸したのは残念なことである。
 彼が直接に研修生の指導をしていたのは20年以上前までのことであり,筆者はそうした濃厚な関係に基づいて彼に関して語ることはできないが,追悼の念をこめて,彼の遺した主な仕事とその主題に触れておきたい。
    ・『精神分析過程』(1967)―― 投影同一化・摂取同一化というクライン派の理論枠の中で精神分析の「自然史」を解明した,彼の初期の代表的な仕事である。
    ・『心の性的状態』(1973)―― クライン派が従来体系的に取り上げなかった精神 ─ 性的発達・セクシュアリティと倒錯・思春期などを論じた講義・論文集。
    ・『自閉症研究』(1975:共著)―― タヴィストックでのセミナーから発展した研究の成果で,メルツァー独自の「心的次元論」を展開している。
    ・『クライン派の発展』(1978)―― タヴィストックでの講義に基づいて,フロイト・クライン・ビオンの発展を,症例を用いて著述。第一巻はフロイトの理論と方法の発展を,第二巻はクラインの症例報告『児童分析の記録』の詳しい読解を通じてクラインの理論と臨床を,第三巻はビオンの仕事を通観しようとしている。
    ・『メタ心理学の拡張 ――ビオンの考えの臨床的適用』(1984)―― ビオン理解を深め,臨床に展開する試み。クライン以後のメタ心理学の発展はより明快に整理され,フロイトの四つのメタ心理学的次元すなわち力動的・発生的・構造的・経済的観点に,クラインは内的対象に注目することによって地理的次元を,ビオンは思考作用とその障害に注目することによって認識論的次元を付加した,とする。
    ・『夢生活』(1984)―― 彼の「ホームグラウンド」である夢を,心的生活の舞台であり内的な意味の生成の場として論じる。早期対象関係を具象的な水準で解釈する彼の夢解釈技法を紹介している。
    ・『美の享受』(1988)―― クラインの発達論の書き換え。彼は母子関係に「美的次元」の観点を導入して,発達的に抑鬱ポジションを妄想分裂ポジションに先行させる。
    ・『閉所』(1992)―― 地理的次元をもう一度取り上げて「投影同一化」概念を再検討。内的対象の中でしか生きられない者のあり方を論じている。
    ・『誠実さおよびその他の仕事』(1994)――1955年から1989年まで,35年間にわたる彼の論文を,未発表作を含めてほぼ網羅した論文集である。
 これらについてより詳しくは,総説(「メルツァーの発展」現代のエスプリ別冊「精神分析の現在」所収)および小論(「母親の秘密の小部屋の住人たち――ドナルド・メルツァー『閉所』」イマーゴ,第5巻9号所収と,『心の性的状態』解説,『精神医学の名著50』所収)で系統的に説明したので,そちらを参照されたい。
 本書『夢生活』はメルツァーの本邦初訳だが,他にも翻訳企画が進行していると聞く。そこで,本書を含めた彼の著作の特徴と読むに当たっての留意点を述べたい。
 まず大きな特徴は,著作と言ったが彼の書いたものはほとんどが著述,すなわち彼のセミナーや講演の記録に基づいているということである。その際,彼は原稿もメモも手元に置かず,考え抜いてあることをその場でさらに推敲するように,即興で話した。たとえば『クライン派の発展』は,そういった彼のタヴィストックでの講義を,エリック・ロードらが中心となって纏めたものである。講演でも筆者が聞いた時期には,彼はやはりメモを使わず,ゆっくりと語り,ときおり瞑想するかのように眼を閉じて,あまりに沈黙が続くので何か起きたのかと思い始める頃おもむろに,大胆な要約と新たな警句を述べるといった具合で,聴衆を巧みに引き入れた。臨床素材は,彼自身が述べることもあったが,提供者がいて彼がコメントするという設定のことも多く,そのコメントも,事例の核心を指摘するとあとはそれ自体に語らせようとするものだった。
 逆にこうした中に,彼の文章がはっきり言って分かりにくいところのある理由がある。聞き手は知識と理解方法を共有した限定したメンバーから出発しており,原稿なしの口頭発表なので論旨の展開に飛躍・省略が見られ,提供された素材は論点を具体的に実証するためのヒントに留まりがちである。実際には聞き手や提供者との討論が続きにあっても,活字化されたときにほとんど加筆されていない。だから,普通程度の知識では,彼が述べていることに関してまだ部外者に近いのである。
 こういった特徴は,彼の本をどう読むべきかを示唆している。彼独特の用語を含めた理論的布置をすでに把握していれば,明らかに理解しやすい。加えて,読み進めつつ彼の説明を待つのではなく,行間を埋めつつ先の展開を想像して聞かなければならない。また,彼の提示の仕方に馴染みがない場合は,一気に通読するよりも小グループでディスカッションをして症例を十分に理解しながら読んだ方がいいだろう。ちなみに公開スーパーヴィジョンで見掛けた彼は,一片から出発して鑑定家のようにそれが何の何処の部分かを見抜き,全体がどうなっているかを彼の理論枠から見通していた。それは最近出版されたセミナー記録(Psychoanalytic Work With Children and Adults : Meltzer in Barcelona, Karnac, 2001. Supervisions With Donald Meltzer : The Simsbury Seminars, Karnac, 2003)にも見ることができる。
 ともあれ,メルツァーを理解することは彼を模倣することではない。「夢理解へのスーパーヴィジョン」という発想に端的に表れているように,彼がいざなうのは,精神分析の実践者が自分自身の夢想を持ちそれを理解するようになることである。すでに児童分析の領域では,メルツァーの仕事の意義を確認しつつ,多くの人たちが個性的な仕事を展開している。彼の価値と今後の発展は,読者がどれだけ主体的に彼を読むかにかかっているだろう。
……(後略)

2004年10月 福本 修