「はじめに」より

 われわれは,本書においてこれから展開される長い議論を,まずは次のような基本的な問いかけからはじめてみたい。「自傷とは何なのか?」と。それに対するわれわれの最初の答えは,あまりに基本的かつ自明なものであり,のみならず同語反復ですらある。その答えとは,つまり,「自傷とは自分自身を傷つけること」というものである。
 ある自傷者にとっては,自傷行為とは,意図的に自分自身と自分の身体とのあいだに摩擦・軋轢を作り出し,みずからを醜く変形させる行為である。ときには,自己嫌悪の表現として行われることもあるであろう。しかし,別の自傷者にとっては,自己の殻に風穴を開け,耐えがたい緊張を減少させたり,表現できない怒りを発散させたりする方法である。さらに,自傷は,一種の自己刺激の方法として用いられることがある。そうすることで,空虚で死の気配にみちた,現実感のない,恐ろしい感情から逃れることができる。あるいは,自己喪失感から逃げることができる。自傷は,内なるとらわれだけにとどまらず,外部へも広がり,家族,友人,臨床家を巻き込んで周囲に影響を与え,ふりまわすことさえある。
 もちろん,このように答えたところで,何も本質的な解決は得られない。ただ,さらなる疑問と未解決の難問が,次から次へと沸きおこってくるだけである。そのように疑問や難問は次々にわれわれに挑んでくるわけだが,自傷行為のもつ,まさにそうした特徴こそが,われわれが本書でとりあげた問題ともいえるであろう。
 さて,本書の第Ⅰ部では,自傷全般に関する問題を概観することに焦点をあてた。当然そのためには,自傷に関する多数の研究報告をレビューした。また,すでにいくつかの西欧諸国から報告されている,自傷の発生率の再検討を試みた。
 第Ⅰ部で強調したテーマの1つとして,自傷と自殺の相違は何かという問題がある。ここでわれわれは,自傷が自殺の亜型(variant)なのか,あるいは,まったく別のもの,はっきりと区別できるものなのかという問題を取り上げた。この議論のなかで,われわれは,この2つの「自分の健康を害する(self-harm)」行動の相違を主題とした先行研究を概観し,さらに,この問題に関して行った,われわれの研究も紹介した。ここでは,自殺との異同という観点から,自傷の定義およびその理論に関する考察を行った。
 本書の第Ⅱ部では,臨床場面で遭遇する,さまざまなタイプの自傷について論じた。まず,われわれは,青年期精神障害患者における自傷に関する最近の知見を報告した。次いで,臨床現場からしばしば報告される,自傷行為の伝染性ないしは流行をとりあげ,このなかで,この伝染性に関するわれわれの研究から,実証的な知見を紹介した。さらに,その章では,境界性人格,精神病,精神遅滞や自閉症などの多様な臨床症例に見られる自傷行為についても検討した。ここでは,それぞれの患者群に特徴的な自傷行動という視点を重視した。
 本書の最後の部分となる第Ⅲ部では,治療に焦点をあてた。われわれは,すでに他の臨床家によって実施されている治療技法のいくつかをレビューし,そのうえで,われわれが試みている治療技法も紹介した。さらに,逆効果となりかねない治療戦略や対応についても触れている。この,治療を論じた部分では,認知行動療法,精神分析療法,家族療法,集団精神療法という4つの介入方法に関してかなりの紙幅を割き,結論の章では,われわれが行っている多面的治療を紹介した。
 われわれがこの本のなかで一貫して用いたアプローチは,明らかに多次元的手法ともいうべきものである。いくつかのセクションでは,考察は理論的に傾き,議論はしばしば思弁的な推論として展開されているが,しかし,他のセクションでは,さまざまな実証的研究にもとづく知見に焦点をあてている。そして,最後には,典型的な症例を提示し,われわれの臨床経験を共有してもらえるようにする,という手段である。この多次元的手法を採用した理由は,この本のいくつかの章でも示したように,われわれが,自傷行為をいくつかの問題の複合体として出現する行動であると捉えているからである。われわれは,自傷行為とは,臨床家が遭遇するさまざまな病理学的事象のなかでも,難解ではあるものの,最も興味深い謎の1つであると考えている。結果的に,われわれは,適切かつ包括的な方法で自傷というものを考えるためには,複数の視点と方法論を呈示する必要があると判断したのである。
 ……(後略)