はじめに

 夕方になると,祖父は往診かばんを用意して隣村まで歩いていこうとする。田んぼの真ん中で立ち尽くし,「道がわからなくなった,わからなくなった」と泣いている。そんな祖父を,祖母と一緒に連れて帰るのが私と弟の役割であった。半世紀近く続けた町医者を叔父に譲ると,祖父はすっかり呆けてしまった。
 祖父は,食べたものをこぼしては服を何度も汚した。祖母は,一日に何度も服を着替えさせた。私は「どうせ汚すのだから,着替えさせなくてもいいのに」と思った。祖母は「きれいにしてないと,みすぼらしいからね……」と言った。祖母は,かつての尊厳のある祖父のイメージを取り戻そうとしていた。
 次第に祖父の心身の機能は落ちていき,最後は寝たきりになった。自宅で祖父を引き取り,最後まで家族で看ることになった。毎日,祖母はベッドの横に座り,祖父の手をさすっていた。祖母は,すぐそこまで来ている喪失に向き合っていた。
 離れの部屋で深夜放送を聴いていたとき,叔父が私を呼んだ。急いで,祖父のもとへ駆けつけると,叔父が心臓マッサージをしていた。祖父の息は戻らなかった。私は,自分の部屋に戻りラジオを聴いた。悲しみは否認され,何事もなかったように静かな夜が過ぎた。

 今も私の心に生き続けている介護の風景である。こうした体験が,職業として医師を選択した動機づけ,今日の介護への関わりにつながっていることに気がついたのは,精神科医になり,ずいぶんと時が経ってからである。

 かつては,どの家族にも寝たきりの祖母や,少し呆けた祖父がいた。三世代家族の中では,介護はごく自然な日常生活の一部であった。介護という言葉など意識することなく,誰もが誰かを介護することは自然に行われていた。しかし,時代は移り変わり,核家族は増加し,三世代で暮らす家族は減った。現代では,祖父母からかわいがられた体験を持つ子どもたちも,祖父母を介護する親の姿を見ることは少ない。介護がこれほど注目される背景は,介護が日常生活の一部ではなくなってしまったことを表している。
 ところが,高齢化社会の到来により,現代の家族はライフサイクルの途上で介護にもう一度向き合うことになった。そして,介護をめぐる新しい体験に出会う。介護をめぐる心理的問題は要介護者と介護者だけのものと考えがちだが,介護は家族全体の問題であると同時に,家族を取り巻く地域社会の問題と言えよう。介護については家族や地域という広い視点で考えていくことが大切である。
 介護を家族の中に位置づけていく過程で,家族には何が生じるのであろうか。家族は何を行わねばならないのだろうか。介護の出現は,家族に,家族としてのあり方,人生,地域との関わりなど,さまざまな次元で問題を提起する。
 介護を抱えた家族は,介護への援助を外部に求めるようになる。その結果,介護家族はさまざまニーズを,医師,看護師,ケアマネージャー,ヘルパーなどに向けてくる。そのニーズは,介護の具体的情報や援助の提供を求めるだけにとどまらない。介護家族は,介護者や家族が置かれた心理状況についての共感的な理解を求めている。介護に疲弊して生ずる,負担感,無力感,怒り,悲しみは,介護家族に関わりを持つ専門職に投げ入れられる。そして専門職も同じように負担感や無力感を体験する。この傾向は,ターミナルケアを担う介護者,認知症(痴呆)の問題行動に疲労している介護者では特に大きくなるであろう。こうした対象者の介護では,家族の中に激しい否定的感情が行き交うからである。
 介護家族の体験する感情を理解し,心理的な援助をすることが,これからの介護支援専門職には求められるであろう。介護保険の導入により,介護家族に対する物的支援は整ってきたが,心理的な支援はこれからの課題である。その点において,介護支援を行う専門職には,心の理解や援助の方法が必要になる。
 家族が介護状況におかれると,家族は介護が円滑に行われるように家族関係を変容させていかねばならない。その変容は,意図的あるいは非意図的に行われるため,介護家族は,円滑な介護が行われる家族への移行の際の指南役を,専門職に求めるかもしれない。このため,介護支援を行う専門職には,家族を理解するための理論と家族アプローチの技法が必要になる。

 介護はケアの一部である。ケアには,世話,介護,療育などの広い意味があるが,その本質は,相手が体験していることに身を置き,相手の幸せを願うことである。
 本書では,介護者とその家族を対象にした心理的ケアを行うために必要な理論と技法を解説した。最初に,介護者や介護家族における心理的問題について解説する。続いて,家族への介入技法では,私が介護家族カウンセリングで活用してきた技法を中心に紹介する。精神科医や臨床心理士だけではなく,ソーシャルワーカー,訪問看護師,ケアマネージャー,そしてホームヘルパーなど,介護に関わるすべての人たちに読んでいただきたいと思う。

 本書を書き始めると,私の人生や診療の中で出会ってきたケアの思い出が心に降りてきた。それは,私自身が多くの患者さんや家族によってケアされてきた証なのであろう。その思い出は,私の理論や技法に多くの影響を与えている。私は,こうした思い出の一つ一つを本書に散りばめようと思った。それは,私が出会ってきた患者さんや家族たちからの読者へのメッセージである。