あとがき

 本書の中では,随所で「聴く」ことの力が語られていた。心理臨床家にとって「聴く」ということは,「単に聞く」のではなく,「ただ聴く」ことである。時間と場所が確保され,「さあ,しっかり聞(聴)きましょう」という心構えさえあれば,こと足りるというものでは決してない。こころの感度をあげ,五感を駆使し,ただ,ひたすら,全身全霊を傾けて「聴く」。力動的な意味を多角的にとらえる複眼と,複眼を使いこなすための感性が求められる。いずれも,洗練された専門性に裏付けられ,同時に専門性によって磨かれたものでなければならない。「鍛えられた主観」とか「訓練された感受性」などと言われるゆえんである。
 声なき声はそこかしこにあり,無言の叫びはあちらからもこちらからも漏れてくる。聞き取れないつぶやき,読み取れない唇のふるえ……。語ることに対する戸惑い,迷い,ためらい……。語りのとどこおり,つまずき,逆戻り……。「今,ここ」での「わたしとあなた」との関係のなかでこそ起きている心の動きは,ときには多弁なクライエントの内界にある沈黙として,ときには寡黙なクライエントから感じられる雄弁さとして立ちあらわれる。
 語られたことの行間を読むのではなく,語られたことと語られなかったことの間にあるものを,場の力動とクライエント独特の時間の流れを斟酌しつつ,「わたしとあなた」との関係性の中に再統合していく。心理臨床家は,「個別性を重視すること」はもちろんだが,「個別の関係性を重視すること」をもって専門性・独自性の一つとしている。
 心理臨床家にとっての「ただ聴く」いとなみは,ものを尋ねるのでもなければ,何かを聞き出すのでもなく,もちろん問いただすわけでもない。心理面接のなかでの対話は,説明でも説得でも,ましてや説教でもない。問診でもなければ,事情聴取でもない。医療者側の枠組みにしたがって聞いているわけではないので,効率よい情報収集とは程遠い。しかし,結果的に心理臨床家はクライエントの様々な物語にふれることになる。たくさんのこと,とくにホンネやそれ近いと思われるような内容を多く話してもらえたことだけをもって心理面接の成功とすべきではない,ということを熟知した心理臨床家がかかわることによって起きる,パラドキシカルな展開がそこにはある。
 われわれ心理臨床家は,「よくぞ聞き出してくださった」と感謝されることがあるかと思うと,「どうやってそこまで聞き出すのですか?」と,秘訣を伝授してほしいとばかりに質問されることもある。心理臨床家との二者関係は,何を語ってもいいというだけでなく,何も語らなくてもいいからそこにいていいという安心と安全と安堵がある場でなければならない。安心と安全と安堵のメッセージを言語的に非言語的に伝えられているかどうか,語ること同様,語らないことにも意味があるという真実に対する謙虚な配慮を体現できているかどうかが,心理面接の維持の基盤である。何も語らなくてもいいからそこにいていいという安心と安全と安堵が与えられてはじめて,語るべき何かがあることに気づき,あるのかもしれないと感じられる。
 とは言え,こころという不可視ではあるが,たしかにそこにあると皆が感じているものを扱い,成果を可視的に呈示することもたやすくはないのが心理臨床である。心理臨床は,「単に聞く」こととしばしば誤解され,「鍛えられた主観」や「訓練された感受性」も,表層的なコツや,逆に神秘的な秘伝のようにとらえられることも多い。「受容」や「共感」などのキーワードとともに語られることもあるが,内的には,それらソフトな語感からは想像もつかないような,ある意味厳しいコミュニケーションが深化していくプロセスをみてとることができる場合も少なくない。
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遺伝相談に訪れるクライエントは遺伝の問題を専門医に相談するために医療機関を受診しているのであり,必ずしも心理的な問題の解決や軽減を求めて来談しているのではない。したがって,遺伝相談における心理臨床は,治療構造が曖昧になる宿命にある。この治療構造の曖昧性を心理臨床の視座から焦点化し,クライエントと心理臨床家いう関係性のなかで曖昧性が治療的に機能しうるように,関係性それ自体を再構成することが求められている。
 そして,遺伝相談を(本文中にも述べた通り)単一の職種では完結し得ない一連の医療的支援のあり方ととらえるなら,多職種による,あるいは学際的なメンバーによるチーム医療が展開されるのは必然であり,そこでは,独立に仕事をするメンバー同士が単に連絡を取り合うのみならず,お互いの専門性を尊重しつつ協働することが求められる。お互いの専門性を尊重することは,自らの専門性を相対化することと表裏一体をなす。
 わたしたちは,自らの限界を知る困難な作業をこれからも続けていかなければならない。遺伝相談の分野は曖昧な治療構造という宿命のなかで,それを続けるためには,わたしたち自身の内部に構造(「よりどころ」と言うべきだろうか)がなければならない。心理臨床としては緒についたばかりの領域であり,書籍化は時期尚早という批判は当然あるだろうが,本書がよりどころを見つける一助になれば幸いである。
 わたしが,遺伝相談にかかわるようになったのは1996年。外来で仕事をするようになったのはその翌年である。以来,迷ったり,戸惑ったり,立ち止まったりしながら,なんとか続けてきた臨床である。現在は,決して多くはないが仲間も増えてきた。これからは,仲間たちとともに,迷ったり,戸惑ったり,立ち止まったりしていくことになるだろう。
 また本書には,遺伝相談にかかわる心理臨床家以外の立場からも,玉稿をお寄せいただいた。それぞれの立場を尊重し,「遺伝相談」「遺伝カウンセリング」,そして「臨床心理士」「心理士」「心理臨床家」という用語に関しても,あえて統一せず,基本的には各著者の意向にそうかたちにした。遺伝医療における心理臨床がさらに深みと広がりをもって発展していくためには,他領域,そして他職種との風通しのいい関係が不可欠である。
……(後略)

 玉井真理子