はじめに
――少し長い序文――

 薬物依存の臨床は「精神医学の暗黒大陸」といえるほど未開拓な分野であり,少なくともわが国には,治療のあり方について明確なエビデンスといえるものもない。おそらくは,わが国の臨床家の多くが,徒手空拳で,そして暗闇を手探りで進むようにして,目の前の薬物依存者と向き合っている。実際,臨床で行き詰まったときに精神医学の成書をひもといてみても,そこに書かれているのは,依存性薬物の薬理作用・精神症状,薬物乱用・依存の疫学・社会的背景ばかりで,臨床の疑問に答えてくれる言葉を見つけることは難しい。また,誰かに教えを請おうとしても,専門家の数も非常に限られている。「ならば自分で調べるか」。学問的なことには無縁の私が,「研究らしきもの」をはじめた経緯は,まさにそのような実務上のやむにやまれぬ要請からであった。
 本書には,そうした,私の「研究らしきもの」の成果が収載されているが,いずれも,薬物依存者との出会いのなかで,私自身が悩んだり戸惑ったりした問題を反映したものである。その意味で本書の内容は,薬物依存臨床に密着したものであると自負している。同時に,それゆえ,私が語る「薬物依存臨床」観には,かつて勤務していた神奈川県立精神医療センターせりがや病院(以下,せりがや病院)という薬物依存専門治療施設の治療文化が大きく影響していることは否定はできない。ちなみに,その病院では,なだいなだによって創始された,「久里浜方式(開放病棟・任意入院,集団療法,患者自治会による病棟運営)」と呼ばれるアルコール依存症の入院治療モデルを,そのまま薬物依存症の入院治療に援用し,ダルク(DARC : Drug Addiction Rehabilitation Center)やN. A.(Narcotics Anonymous)と連携を重視した治療理念を掲げている。
 せりがや病院のやり方は,必ずしもわが国の薬物依存臨床における唯一絶対の方法ではないし,スタンダードというわけでもない。そのことは,2001年5月号『精神医学』誌の「薬物依存者に対する精神保健・精神科医療体制――国立精神科医療施設における3つの治療モデル」という特集記事を読めば,分かっていただけるはずである。その特集では,わが国の代表的な薬物依存専門病院が,「心に鍵をかける」「病棟に鍵をかける」「脳に鍵をかける」という3つの特徴的な治療理念から分類されていた。すなわち,解毒終了後の渇望の強い時期の治療として,自助グループの仲間との出会いという「精神的な抑止力」を重視する施設(肥前精神医療センター),閉鎖病棟という「物理的な抑止力」を重視する施設(下総精神医療センター),脳の生理学的渇望に対する大量の抗精神病薬という「化学的な抑止力」を重視する施設(国立精神・神経センター武藏病院)という分類である。
 この分類にしたがえば,せりがや病院は「心に鍵をかける」ことを治療理念とした医療施設ということになる。実際,病棟には堅牢さはみじんもなく,その気にさえなればいつでも容易に病院から入院から立ち去ることができる構造である。また,入院治療に際しては本人の主体的な治療意欲があることを求めており,それゆえ,やや極端な言い方ではあるが,もしも患者さんが再び「どうしても薬物をやりたい」と主張し,治療スタッフの説得に応じなければ,「分かりました。では退院ですね」という対応となるわけである。
 いまここで,この3つの治療理念のいずれが正しいかを議論することは,さしあたって意味がないであろう。いずれの施設もさまざまな歴史的変遷や苦心を乗り越えて現在の治療理念へと到達している。単純に比較して優劣を論じることはできないし,同じ薬物依存症でも,対象とする病態には微妙な違いがある。そもそも,その治療理念や病棟規則などを子細に眺めれば,異なる点もよりも,むしろ意外なほど多くの共通点があることに驚かされる。

 ここで,本書に通底する私の依存症に対する考えを理解していただくために,少しだけ昔話をすることを許していただきたい。
 私はいまでも,せりがや病院に赴任した最初の半年近く,精神科医としての自信を失い,うつ状態に陥りかかったときのことを覚えている。その病院に赴任する前,私は精神科救急を中心に担う施設に勤務しており,抗精神病薬によって幻覚や妄想が鮮やかに消退し,あるいは,電撃けいれん療法によって緊張病性興奮が劇的に改善するという臨床経験を数多く積んでいた。そのせいで,誰にお墨付きをもらったわけでもないのに,すでに一丁前の精神科医としての自負だけは持っていたのである。
 ところが,新しい赴任先で私は何もできなかった。自身の無力さに苛立ち,依存症者の援助に詳しい保健師やソーシャル・ワーカーが,患者について「あの人はまだ「底つき」になっていないから……」などと物知り顔でいうのを聞いては,「底をついたら死んでしまうではないか,その前に無理にでも入院させるべきだ」と腹を立てたりしていた。しかし実際には,むきになってその患者を無理に入院させれば,たちまち泥沼にはまって立ち往生を余儀なくされたし,嫌々入院した患者は病棟でトラブルを頻発させて,私はその事後処理に追われてばかりであった。また,自助グループに参加しながら長くクリーンを維持している患者さんの話すことは,耳慣れない言葉ばかりであり,自分が読んできた精神医学書のどこにも載っていない,それらの言葉に,私はただただ苦笑を浮かべて曖昧に肯くことしかできなかった。もっとも私が傷ついたのは,自分は幻覚や妄想を改善させることはできるが,アルコールや薬物を止めさせることについては何一つできないということであった。要するに,薬物療法が奏効しない症状や問題行動には,自分がまったく無力であるという厳然たる事実であった。いいかえれば,精神科医であるにもかかわらず,その実はまるで内科医のように薬頼みであり,精神科医としてはまったくの役立たずのように思えたのである。
 しかし,私にとっての突破口は不意に訪れた。あるとき私は,担当する患者に誘われて,N. A.のオープン・ミーティングに参加した。そこでまず私は,以前自分が,あまりにも目にあまる問題行動のために何度となく強制退院させ,のみならず通院さえも止めるように伝えた患者から,「先生のおかげで回復の手がかりをつかめました」とにこやかな顔で挨拶されたのである。そのとき私は,虚をつかれたような表情をしていたにちがいない。なにしろ相手は,いつ私のもとに「お礼参り」に来てもおかしくない人物であったからである。
 会場では,さまざまな薬物依存者たちが順番に登場して自己紹介をし,そのたびに聴衆は「ハーイ!」という声をかけて,演者の名前をいっせいにくりかえすという儀式が続いていた。彼らがことさらに滑稽に語る自分自身の物語は,どんな小説よりも人間臭いおかしみに満ちており,その話に会場からも笑い声が何度となく沸き返った。私はそんな光景を呆然として眺めていた。私は,うまく言葉にできない,何か驚きのような感情で頭のなかが真っ白になっていた。
 とどめの一撃はミーティングの終わりに突然私を襲った。参加者たちが大きな輪を作り(わけも分からず,私もその輪に交じることとなってしまった),それから声をあわせてある言葉を読み上げたのである。「神様,私にお与えください / 変えられないものを受け入れる落ち着きを / 変えられるものを変える勇気を / そして,その2つを見分ける賢さを」(これが「平安の祈り」と呼ばれるものと知らされるのは,その翌日,熱心にミーティングに通っている,せりがや病院の看護師によってであった)。
 この言葉は私の無防備な胸にもろに突き刺さった。私は,自分が変えられないものを変えようとして一人で勝手に落ち込んでいたことを一瞬にして悟った。いくら監禁して両肩をつかんで揺さぶって説得したり,殴る蹴るなどして「焼き」を入れたりしても,「好きなものを嫌いにさせる」ことはできない。つまり,誰も人を変えることはできない,変えられるのは自分だけなのである……。
 思えば,当時駆け出しだった私は,少しばかり精神科救急を経験したことですっかり傲慢になっていたのであろう。非自発的な入院や行動制限を行いながら,薬物療法によって人を変えることができるような万能感にさえ陥っていたのかもしれない。しかし現実には,われわれ治療者ができることは,彼らが落ち着いて自分のことを考えられる機会と情報を与えることであり,自分を変えるための行動を起こしたときに,「それでいいんだよ」と支持の声をかけることである。
 あたりまえのことではあるが,良き治療者でありたいと思う者ほど,これを実践するのは難しい。それはつまり,医師としてできることの領分をわきまえ,患者の健康さを信頼することである。そして,忘れてはならないのは,健康さというものは,実は非常に「処遇困難」であるということである。そのことは,もしもわれわれが納得できない理由から強引に閉鎖病棟に入れられれば,どのような行動をとるかを想像してみれば,すぐに理解できるであろう。われわれ精神科医療従事者は,これまで一般の精神科医療機関の中心的な患者層であった統合失調症患者の受動性や優しさによって,相当に甘やかされてきた可能性がある。いいかえれば,依存症患者を理解しようとするとき,われわれはむしろグロテスクなまでの「健康さ」「人間臭さ」に注目しなければならない。そのような意味で,依存症はきわめて特殊な病気である。
 特殊な病気。そう,確かに依存症は「病気」であり,もはやアルコールや薬物の摂取を自分の意志でコントロールすることができなくなってしまうという,いわば「お手上げ」の事態である。しかし同時に,治療者が丸抱えで責任をとることはできない病気でもあるという点で,薬物依存はやはり特殊な病気である。われわれは,海に溺れている依存症患者に対して「浮き輪」を投げてやり,陸地のある方向を教えることはできるが,その「浮き輪」を自分の手でつかんで陸地まで泳いでいくのは,他ならぬ依存症患者自身なのである。陸地までの決して短くはない距離をわざわざ自分の腕や脚を動かして泳いでいくかどうか。これを決めるのは依存症患者自身である。依存症患者本人が自ら招いたことの責任をとるなかで,あるいは,自分の周囲の者が変化していくことに直面し,その原因についてとことん考え抜くなかで,自分で決めなくてはならないのである。仮に,彼らが陸地を目指して泳がなかったとしても,そのことに関してわれわれはどうにも責任のとりようがない。それどころか,責任をとろうとすることは過度な「抱え込み」であるだけではなく,「支配」ですらある。信田によって「アディクション・アプローチ」と呼ばれることになるこの方法論の基底には,実は人間の健康さや自然治癒力に対する信頼があり,「心の自由」を保障する配慮があることを,私は改めて強調しておきたい。

 本書には,「故意に自分の健康を害する」症候群という耳慣れない言葉の副題が付けられている。その理由についても説明をさせていただきたい。
 私はせりがや病院において,アルコール依存症と薬物依存症双方の臨床経験を積んだわけだが,どちらかといえば薬物依存症に心惹かれていた。その理由は,薬物依存臨床には,たんにアディクションとしての視点だけでなく,思春期青年期精神医学の応用編としての視点が求められるということを,私自身が非常に興味深く感じたからである。率直にいって,私の知るかぎり,わが国の児童思春期精神医学の専門家はあまり薬物依存に関心を持っていない。なかには,それは自分たちの領域外のことと認識している児童青年期専門の精神科医もいる。しかし,本書のなかでもくりかえし触れているように,私は,薬物依存臨床は発達,虐待,家族システムの機能不全といった問題への目配り,さらには摂食障害のような重複障害(comorbidity)に対する十分な知識と臨床経験なしにはありえないと考えている。したがって,実はもっとも困難で,しかしエキサイティングな思春期・青年期精神医学の臨床ともいえる。
 考えてみて欲しい。典型的なアルコール依存症が適応的な社会生活のなかで長い時間をかけて中年期に発症するのに対し,薬物依存症の多くは一連の社会不適応の1つとして若年において短期間のうちに発症するのである。そこには複雑で謎めいた本人や家族の病理や秘密があり,だからこそ,若い薬物依存症患者のなかには,「自殺しないかわりに」あるいは「ゆっくりと自殺するために」薬物を乱用しているとしか思えない一群も存在する。特に,摂食障害や自傷行為を伴う者,あるいは深刻な被虐待歴をもつ者では,そのような薬物依存症患者が多く見受けられる。このような若い薬物依存症患者を,精神医学の用語でどのように表現したら良いのであろうか? 18歳未満であっても境界性人格障害と名づけてしまうのか? それとも,ほとんど非行歴の同語反復でしかない行為障害という言葉で一括すべきなのだろうか?
 私は,そうした若い薬物依存者をうまくいいあてた表現として,この「故意に自分の健康を害する」症候群(Deliberate Self-Harm Syndrome : DSH)という言葉を推したいと考えている。この言葉はもともと自傷行為の研究のなかで生まれたものであり,その起源は,1935年にMenningerが自傷行為やアルコール乱用のことを精神分析的な立場から「部分的自殺(partial suicide, focal suicide)」と定義したことにまで遡ることができる。その後,Kreitmannが提唱したparasuicideなどの概念を経過しながら,1983年にPattisonとKahanが,自殺とは峻別すべき行動として,若年者の自傷行為や薬物乱用をDSHと呼ぶことを提唱した(Walsh & Rosen, 1988)。さらに1989年にはFavazzaらによって,DSHの三主徴が,自傷行為,薬物乱用,摂食障害であることが指摘され,1991年にはvan der Kolkらによって,これらの症候が被虐待体験と関係があることが示されるにいたっている。なお,DSHは,自殺とは峻別されるべき行動とされながらも,1回でもDSH行動をした者は,将来の自殺既遂の相対危険度が数十倍にも高まることが明らかにされている(Fox & Hawton, 2004)。
 ともあれ,ある種の薬物依存者を理解するうえでこの臨床概念が有用だと考えるようになったのは,不思議なことにせりがや病院を辞してからである。大学病院に転勤し,そこで数多くの摂食障害や自傷行為をくりかえす患者と遭遇して,その薬物依存症患者との共通点の多さに驚いたり,さらには,調査などでここ数年出入りしている少年鑑別所で,深刻な生育背景をもつ薬物乱用少年たちに出会い,「よくぞ死なないでここまで辿りついた」とねぎらいたい気持ちになった経験が蓄積する過程で,このような考えが私のなかで徐々に形を整えていった。
 もちろん,DSHを軸として薬物乱用・依存を捉えることが,すべての薬物依存者に適合するわけではない。むしろアルコール依存症と同じアディクション概念でこと足りる者も少なくないし,逆にアルコール依存症患者でも,若年者の場合にはDSHという概念が彼らの病態を理解するのに役立つこともある。いずれにしても,私なりの薬物乱用・依存観を,私なりの言葉で語るためには,さまざまな意味で非常に助けになる臨床概念と考え,副題として添えさせていただいた次第である。

 さて,この序文の最後に,私が本書に込めた3つの思いについて触れさせていただきたい。
 1つ目は,行動障害へのこだわりである。わが国の薬物乱用・依存の研究は,立津正順先生以来の素晴らしい伝統があるが,歴代の薬物乱用・依存の研究の関心は主として薬物中毒性精神病の症候学にあった。一方,近年では,アディクション・アプローチや自助グループに関するさまざまな書籍が刊行されている。こうした状況において,あえて私の著作を末席に加えさせていただくとすれば,やはりそこには独自の視点が必要である。もしも私に多少とも独自な点があるとすれば,薬物乱用・依存における非精神病性の重複障害,すなわち,併発する行動障害から薬物乱用・依存を読み解いていくという点にあると考えたのである。摂食障害や注意/欠陥多動性障害に関する記述には,そのような私の思いが込められている。
 2つ目は,若い精神科医・臨床心理士にもっと薬物乱用・依存に関心を持ってもらいたいという思いである。大学医局の医局長として人事を担当した経験から,多くの若い精神科医にとって,薬物乱用・依存の臨床現場はできれば避けたい勤務先であることを痛感している。いまここで告白すれば,私自身もせりがや病院への赴任は必ずしも本意とはいえず,それゆえにこそ赴任当初の失意の体験もあったのである。しかし,薬物乱用・依存の臨床は,わが国のいかなる精神医学の成書にも書いてないことに満ちており,その臨床経験は驚くほど精神科の臨床医としての自分の「引き出し」を増やしてくれる。研究の題材にもこと欠かない。それを志す人があまりにも少ないという理由から,おそらく現状のわが国の精神医学におけるさまざまな分野のなかで,もっとも早く専門家として周囲からみなしてもらえる分野といえるかもしれない。私のような若輩の者がこのような本を書いていること自体が,その良い証拠である。
 3つ目は,私の現在の「本業」に関係している。2005年7月から施行される「心神喪失者等医療観察法」を準備するさまざまな会議の場にあって,薬物乱用・依存の患者をその対象とするか否かという議論を拝聴させていただくなかで,薬物依存臨床というものを理解していない精神科医があまりにも多いことを痛感させられる機会が数多くあった。多くの精神科医が,薬物乱用・依存の臨床を中毒性精神病の臨床と混同しているように思われるし,いまだに精神医学に何か万能の幻想を抱いている精神科医も少なくないと感じた。精神科医は,いかなる法的拘束をもってしても人の心を「変える」ことはできないということ,できることは人に考える機会を与え,本人がそれを望めばそれを援助する場を提供することだけであり,あとは本人が「変わる」のを待つだけであることをもっと知る必要がある。そのような思いから,第Ⅲ部に司法関連のセクションを設けた。
 なお本文中に呈示した症例は,いずれも筆者が体験した複数の典型的症例を組み合わせて作成した架空症例である。
……(後略)……