まえがき

 それほど前ではないある夜,息子のドレイクが寝る前に『ハックルベリー・フィンの冒険』を読んで欲しいと私にせがんだ。私たちは,空想や勇気,いたずらといったハックの世界に入って行ったのだった。私は父親として,息子がこの本に夢中になることになにか温まるものを感じた。読者としても,彼の精神と冒険心のとりこになった。しかし,臨床家としては,もし,ハックが今日,この世にいたとしたら,彼の反抗や個人主義的なところは,単に問題行動という以上に見られたのではないだろうかと,考えざるを得なかった。物語を読み進めるうちに,ハックルベリー・フィンは,たぶんADHD(注意欠陥多動性障害)と診断されただろうという考えに悩まされた。そして,リタリンを飲んでいただろう。
 寝る前に,ハックの冒険の話を読んだ後,ドレイクを寝かせるのは至難の業だった。彼は「いやだよ」,「まだ眠くないよ」と言うのだった。彼は,そわそわして遊びだし,次から次へ策を講じて寝るのを伸ばそうとするのだ。ハックのように――おそらくハックに影響され――夜に,宝探しや,おおぼらや,大脱走の冒険を始めたのだった。私はイライラしながら,同時に楽しんだ。
 ドレイクがやっと眠りにつくと,私は,次の日の仕事はどこだったか,どうやって眠たがる子どもを起こして学校に遅れないように準備させようか,などと考えるのだった。しかし同時に,私は,ハックの物語の中の養育者であるダグラス未亡人やミス・ワトソンに親近感を覚えた。私たちは,腕白な子どもを養育しようとする体験で結びついていた。こういった子どもの好みや関心を日常生活に取り込み,恐怖で子どもを規制するのを避けることは,今日でも難しい。理想的な父親像を考えたとき,息子を心配させたり,怖がらせて,彼の欲求を落ち着かせるようなこと,すなわち,恐怖を利用してしつけをしたくないことは,私にはわかっていた。彼を元気づけ,彼に自分で選択する力を与えるような育て方を見つけたかった。すなわち,彼の勇気や情熱,ハックのような精神を大事にして。
 しかし,今ドレイクは幼稚園に行っている。その彼の新しいクラスで,私が大事にした彼の特性が,評価されるだろうかと心配である。もし,あまりにそわそわ落ち着きがなかったらどうだろう? ルールに反発しないだろうか? ふざけるだろうか?(家ではそうだが) 昔だったら,たとえ問題だったとしても,これらの行動は普通だとみなされた。しかし,今の教室では,私の息子はADHDという精神科的障害の対象になりかねない。毎年,数万人の子どもたちが,このような診断を受けている。それは,子どもたちの心や体,家族や将来や生活に破壊的な結果をもたらしているのである。

ADHD−リタリンの市場

 HMO(健康保険機関)での,子どもや親の相談を通して,私は,毎日,ADHDが親や教師,セラピスト,ソーシャルワーカー,精神科医にどんな影響を与えているのかを見ている。ADHDは,次のような数々の問題行動を子ども(や一部の大人)に引き起こす生物学的障害として,私たちに売り込まれている。たとえば,注意散漫や,多動,人の話を聞いたり,注意を集中したり,指示に従うことの困難さ,そして,そわそわ落ち着きがないことも症状になっている。
 大手の製薬会社のノヴァーティス(旧シバ・ジェイジー)によると,この「障害」の一番の「治療」は,リタリンという処方薬アンフェタミンである。刺激剤であるが,リタリンは,「ADHDの子ども」の注意を改善し,多動を抑制すると言われている。またその会社は,セラピストや親や教師たちに,この「手のかかる子ども」を「扱う」のを助ける高価な本や,ビデオテープを売り出し,サポート・グループや勉強会を後援している。もし,ハックが現代に生きていたら,彼の先生や養育者たちは,間違いなく,ADHDとリタリンに誘惑されていただろう。
 当然のごとく,深刻な問題行動と限られた資源に常に直面している多くの親や教師,セラピストたちは,ADHDは薬で治療できる生物学的な障害であるという考えを高く評価した。ものすごい熱狂ぶりで,リタリンの売り上げは1990年と比べて7倍に増え,アメリカでもっとも頻繁に処方される薬の一つとなった。そして,ADHDは身近な言葉となった。蒸気地ならし機のように,ADHD−リタリン機は,全ての物を踏みつぶして,家族や学校,クリニックを押し進んでいる。私はこのことを,私の息子や何百万人もの子どもたちのために,心配している。もしハックが今日生きていたとしたら,彼の先生や医者,養育者は彼についてなんと言っただろう? 彼が反発する余地はあるだろうか? 彼の勇気は? 彼の空想力は? 従順で言いなりになるのがよいという偏狭な見方によってのみ評価され,欠陥が発見され,薬による拘束にさらされるだろうか? 世の中はヒーローを否定するのだろうか?
 リタリンによってハックを失うことは,文学上の悲劇だけれども,私の心配はもっと個人的で直接的なものだった。息子のドレイクの将来の先生は,彼の元気さをクラスの問題とみるだろうか? ADHD査定の対象にされるだろうか? 精神科医は,薬が必要だと言うだろうか? もし,私の意見が息子の先生やセラピストや精神科医と違っていたら,私は,怠慢で不従順な親と見られるのだろうか? それとも,私は子どもの「いいなり」になっていると責められるだろうか? 善意の先生やセラピストや医者が私の人生や私の価値観や私の子どもについてあれこれつつきまわして,私のこれまでの人生における選択は,とやかくいわれるのだろうか? 私はどう応えるだろう? もしこんなことが起きたら,私の反応は,たぶん私が接した何百人の親と同じように,安堵感や怒り,罪悪感,恥,当惑,憤慨,そして希望の入り混じった心境だろう。
 精神保健の臨床家として,私は,親や専門家がADHDというラベリングに魅力を感じるのを十分に理解している。子どもが示す問題には,耐え難いものがある。これらの問題を解決するための地域の資源は減少しつつあり,ADHDとリタリンは,このジレンマに対して,素早く簡単な答えを約束してくれるようだ。

この本の読者へ

 皆さんが私のように,困難な問題に対処するために,安易にADHDやリタリンを使うことの弊害を心配しているのなら,この本はきっと役に立つであろう。おそらく皆さんは,元気な子どもをしつけようと日々格闘しているだろう。あるいは,あなたは,ADHD−リタリンという怪物が子どもたちにしようとしていることに疑問を感じている精神保健の専門家の一人かもしれない。あるいは,ADHDと言われた子どもたちを今までと違う方法で指導する方法を学びたいのかもしれない。そういった方々にもこの本は最適だろう。
 また,あなたは,不注意や多動,かんしゃくを起こしやすい子どもたちに接するための新しい考え方を求めている教師かもしれない。また,あなたは,子どもたちの元気が,薬によって抑制されつつあることを心配しているのかもしれない。また,あなたは,抑制するよりも,ハックのような子どもたちを育てたいのかもしれない。これらの一つでもあてはまることがあるなら,この本は,あなたの仕事に役に立ち,挑戦し,かつ助けとなるだろう。ずっと以前にハックがミシシッピー川を下ったように,私はあなた方を冒険に誘いたいと思う。伝統的な考え方に毅然と立ち向かおう。私たちの思いつきや勇気を信頼しよう。私たちの良心や好奇心が私たちを導いてくれるだろう。

この本の内容

「ADHDにはリタリン」という現在主流の考え方に対して,そのどこが悪いのかを記述することで,私の挑戦を始めたいと思う。

ADHD−リタリン・アプローチに対する批判

最初に,ADHD−リタリンの市場キャンペーンは,ADHD診断とそれが子どもたちや家族に及ぼす影響についての重要な情報を隠している。その除外された情報とは次のようなことである。

●ADHDは純粋に生物学的な現象であるという証拠はほとんどない。
●ADHDの診断過程は,非常に主観的である。
●リタリンは,多くの服用者に,深刻な生涯にわたる副作用を及ぼす。
●リタリンが,ADHDによる複雑な問題行動を解決するという証拠はない。
●この障害を擁護する製薬会社や学校,そしてその他の精神保健産業は,そうすることによって多大な利益を得ている。

ADHD−リタリン市場は,次のような基本的な疑問にも答えていない。

ADHDは本当に存在するのか?
その他の社会的状況や影響が子どもたちの問題行動をより説明できるのではないか?
リタリンは,製薬会社が言っているように,本当に問題の解決となるのか?
問題を解決する他のもっとよい方法はないのか?

この本の最初の部分で,ADHDは単に医学的な状態ではなく社会的構築物であること,すなわち現在の社会環境や子ども,家族,学校についての社会的言説から生まれた,ある行動や現象を説明する方法であることを述べる。そして,ADHDを構築物とみなすことで興味深い質問が導きだされることがわかる。

ADHDは生物学的な問題であるという考え方は,誰の興味を満たすのか? 軽視されるのは,誰の関心か?
なぜADHDは,歴史的に見て今このときにこれほど関心がもたれるのか?
この問題を医学的に処理することは,子どもや家族や専門家,そして社会にどんな影響を及ぼすのだろうか?

私は,ADHD流行の裏に隠されたものを明らかにし,子どもたちにADHDの診断をすることが彼らに烙印をおすことになり,意欲をなくすことになることを主張したい。主な点は以下のものである。

●文化的要因,ADHD産業,生物学的精神科医療,そして西洋的学校システムなどが,いかにADHDを広く流行らせているか
●診断過程の限界とその主観性
●ADHDの生物学的研究の矛盾と欠落
●ADHDのレッテルを貼ることの悪影響
●リタリンやその他の刺激剤の副作用の可能性
●このラベルを貼ることで,誰がもっとも傷つきやすいかという議論
●現在の教育システムの批判

ADHD−リタリンにかわるもの:スマート・アプローチ

「言いたいことはわかりました,でも多動や注意散漫,攻撃性という問題にどう対処するのですか?」と皆さんは考えていることだろう。それはとても重要な疑問だ。これらの問題は,子どもたちやその家族にとって,大変な,そして時には悲惨な結果を招く。また,これはセラピストにとっても深刻な問題だ。この本の意図していることは,親や教師や子どもや臨床家が直面する行動の問題の深刻さを過小評価したり,蓋をしたりすることではない。そうではなく,ADHD診断がどういうものかを明らかにし,子どもの行動を改善するための創造的で有効な方法の余地をみいだすことにある。
この本の後半では,ADHDに関連する問題をセラピーでどのように問題にできるかについて述べる。ADHDと診断された子どもたちに対処するために,スマート・アプローチと呼ぶ方法についてステップごとに紹介する。このアプローチは,子どもたちの能力や知識,才能を利用するのを助ける。スマート・アプローチには,次の5つのステップがある。

eparating the problem of ADHD from the child ADHDの問題を子どもから切り離して考える
apping the influence of ADHD on the child and the family 子どもや家族に対するADHDの影響を描き出す
ttending to exceptions to the ADHD story ADHD物語の例外に着目する
eclaiming special abilities of children diagnosed with ADHD ADHDと診断された子どもの特別な能力を取り戻す
elling and celebrating the new story 新しい物語を語り,祝福する

後の章では,親や専門家や学校と協力して治療するための方法を,子どもたちの能力を強調する革新的な方法も含めて提案する。その内容は次の通りである。

●子どもの欠点より,長所を強調する評価表
●不注意や学習障害をもつ子どもたちに対処するための創造的な教授法
●ADHDと診断された子どもたちをエンパワーするために家庭で親が使える方法

この本を読んで,皆さんが少しでも影響を受けていただけたらうれしい。読んでいただければ,伝統的なADHDという観測器械のレンズを通しては見ることができない,治療の可能性を知ることができるだろう。最終的には,この本を読むことで,皆さんが子どもをADHDと診断する前に,再考することを望んでいる。私たちがちょっと違った子どもたちを病理化することを止めれば,息子のドレイクやハック・フィンのように勇気と想像力を持ったたくさんの子どもたちは,幸せになるだろう。
……(後略)

カリフォルニア州サクラメント 2000年5月 デイヴィッド・ナイランド