まえがき

 本書は帝塚山学院大学大学院の臨床心理学コースの教員が主となり,若手の臨床家(研究者でもあるが)にも手伝ってもらって作った大学生向きの教科書である。近頃の若者たちがどうも一昔前の若者と様相が変ってきたらしいことには,以前から気づいていた。とくに本書の執筆者は全員が臨床心理士であり,日々実践を通してそういった若者に接している。授業で出会う学生たちも,カウンセラーを志すだけあって,多かれ少なかれそうした若者心性に近いところにいる。多様な若者たちを一つに括ることはとてもできないが,大雑把にいえば,かつての永遠の少年,モラトリアム人間が,次第に輝きを失って,フリーターからニートへと転落しつつあるかに見える。しかも,それが果して転落といえる程のものであるのかどうか。若者の敏感さが鋭く現代社会の病理に反応し,一見意欲を失った無気力なあらわれを通して,新しい人間のありよう,ひょっとしたら閉塞した時代の壁を突き抜ける積極的な動きを現しているのかもしれぬ,という気もする。
 第1部の諸章は,したがって現代文明論といった趣きを示している。そしてそれが,はからずも現代若者論という形をとって現われたといってもよい。一見混沌とした彼らのありようの底の,ある種必死の思いのようなものを感じとっていただければ幸いである。それは,汚れて汚れて汚れきることで潔められることをひそかに願いながら,いつまでたっても潔められる見通しの現われない絶望感のようなものである。教科書とはいうものの,「今どきの若者たち」の心性をまったく理解できないと感じられている,親世代の人たちにもぜひ読んでいただきたい,という気持ちがある。
 第2部は,やはり心理学のテキストなので第1部の考察を踏まえている,心理学の基礎理論的なテーマがとり上げられている。これらの考えも時代の影響を免れがたいのであるが,その中でも人間の中にある比較的安定した部分について書かれている。われわれは一人ひとりがおのれの個性を最大限に生かすことを求めているが,しかしそれらはすべて人間という大枠を通してのことである。個性が発揮されるのは好むと好まざるとにかかわらず,そのような枠をどのように受けとめるかという,その仕方においてである。そのような枠の一つに,第1部にとり上げた時代の枠もある,ということであろう。
 第3部は,第1部でとり上げたテーマを,もう少し広い視野から見ようとするものである。それが結局,ふたたび若者について多く触れることになったのは,ここ何十年となく言われてきた,現代文化が若者文化に他ならないことの反映かもしれない。若者文化とは,中年も老年もあらゆる世代の人たちが,若者的なありようを一つの行動基準としてとりこんでいる文化である。それがよいことか悪いことかはよく分らない。フロイトの時代に,中年の男性のありようが一つの理想とされたと同じ意味で,若者的なあり方が現代社会でもてはやされている,ということである。そして第1部で論じられたような,若者たちのもつ不安がそのままあらゆる世代に広がっているのではないか。ただしこれは逆に,現代の不安が最も尖鋭に若者たちに反映している,と考えた方がよいのかもしれない。

 以上,本書の趣旨について簡単に述べた。執筆者一同,教科書という枠をこえて,できるだけ多くの若者に読んでほしいと願っている。若者たちのありように,一縷の希望を抱いているとはいうものの,彼らがえたいの知れない不安ないし空しさにとりつかれていることも分っているつもりである。そうした不安が何に由来しているのか,あるいは少なくともそれが自分一人のものではないと知ることが,何がしかの安らぎにつながるのではないかと期待している。また,若者の問題に関心のあるすべての人たちにも読んでほしい。今まで不可解に見えていた息子や娘たちの言動を,ある程度までは理解できるようになるのではないか,と思うからである。書いてみて,今の時代がまったく希望のない時代とはいえぬにしても,容易ならざる状況であることは痛感している。
……(後略)

 氏原 寛