1995年に私は境界性パーソナリティ障害(BPD)を治療するための公式の指針を開発するよう,アメリカ精神医学会(APA)に対して提案した。APAの専門調査会は,概して実証的な裏付けを持たないことになる指針を開発することの危険性を,そのような指針がケアの水準を向上させること―そして悪気はないが知識に乏しい開業医が,法的責任を問われる可能性を減らすこと―のメリットと比較して検討した。幸いなことにアメリカ精神医学会は,実際に指針の開発を行うことを1997年に決定したが,私はその時にはすでに新たな,より優れた基礎知識が得られると確信していたから,自分が最初に行った提案を本書の形へと引き続き発展させた。
 本書は1984年に出版された『境界パーソナリティ障害』の続編である。これらの書物はともに,境界例患者の治療について出版された時点で知られていること,あるいは知られていたこと―あるいは知られていると信じられていたこと―についてまとめたものである。取り上げられている治療に関する文献,臨床的観点,そして治療様式の数がはるかに多いこと,最新で詳細にわたるものであること,そして実証的に裏付られたものであるという点で,本書は前作とは異なっている。1984年に出版された著作の中に,撤回する必要のある部分は極めてわずかしか含まれていないにも関らず,臨床家に対する満足のいく指針としてもはや役立つことがないのは,当時に比べて治療に関する情報や専門的知識が急速に増大しており,また治療の特殊化が急激に進んでいるためである。
 第1章に記されているように,私がこの患者群に興味を抱き始めたのは,マサチューセッツ・メンタルヘルスセンターの研修医をしていた頃であった。私の学問上の貢献は1970年代には主として記述的なものに止まっていたが,入院病棟の責任者としての私の臨床経験が深められたのはその時期の7年間のことであった。精神分析の訓練を受け,なおかつNIMH(国立精神衛生研究所)で精神病理学的研究を行うという経験から,表裏一体をなすような対照的な資質を私が得ていたことが,極めて要求がましく厄介であると感じられていた患者に関わっていく上での支えとなった。1980年に定められたDSM-Ⅲで,境界性パーソナリティ障害という診断が公に認められたために,自分の行った記述的な学問上の貢献に基づいて,私はこの障害に関する「権威」そのものであるとみなされるようになっていたから,境界例患者の治療に関わることについては充分な太鼓判が押されていたのである。これらの患者に対する上記のような治療的関わりは1980年代を通して膨れ上がるばかりだったが,私の意思を以ってしてはその広がりに歯止めをかけるのは難しい場合が多いように思われた。私は精神療法が厄介なものとなった場合に,そしてマクリーン病院の一連の臨床サービスからの要請に応じて,それぞれ助言を求められることが多かった。心ならずもそのような求めに応じているうちに,それは私の天職―生涯を通じての専門的な職業―になっていった。1990年代の初めまでに私は,「境界性パーソナリティ障害が専門だ」と当然のことのように言えるようになっていた。
 1990年代の初頭にマクリーン病院が,マネージド・ケア(コスト管理型医療)の導入により財政危機に陥ると,私はこの病院の心理社会的治療プログラムの責任者という,自分でも満足していた管理職としての任を解かれた。そのために組織の中での私の役割は,前よりもはるかに露骨に自分の臨床能力次第ということになった。それはちょっとした天の恵みであった。私は1994年から同僚と共に,マクリーン病院で境界例患者を治療するための外来クリニックを設立していたのである。
 さまざまな社会経済的および知的背景を持った,さまざまな境界例患者がいることを考えに入れるなら,その外来クリニックの,そして本書の目標とは,研究に基づいて得られた進歩を,マネージド・ケア環境において実施することができるような実用性と結びつけることである。このクリニックでの臨床経験は,私が過去に行ってきた以下のような臨床実践に基づく経験を補完するものである。すなわち7年間にわたる入院病棟の責任者としての経験,15年間にわたり認知行動療法プログラムおよび精神力動的部分入院プログラムの双方に対してコンサルテーションを担当してきた経験,外来で紹介されてきた境界例患者に対して20年間にわたり,平均して週に3回以上のコンサルテーションを行ってきた経験,30年にわたりスーパービジョンを行ってきた経験,そして25年,おおよそ11000時間を精神療法家としての仕事に捧げてきたという経験である。現在所属している外来クリニック環境の中で過ごした6年間は,私の受けた専門教育の締めくくりをすることになった。本書で述べられているのは,私がこれまでに学んできたことである。
 私は1984年に出版された著作を,自分自身の持って生まれた性質が持つ負の側面に気付き,検討し,認めるよう,境界例患者が他人に訴えかけているのに触れることで締め括った。今でもこの作用が私に与える満足感がなくなってしまったわけではない。それにも関らず,もはや境界例患者の治療に対する私の興味は,自分が公認の専門的知識を持っているという自負心によって支えられているわけではない。私は長年にわたって境界例患者をうまく治療することができてはいるが,今では「彼らを治療するのが好きだ」と言えることが多くなった。もしかしたら境界例に罹患している患者との密接な関係を,それほど多く持つことなく年を重ねたとしても,私はまったく同じことを学ぶことができたのかもしれない。しかし人生の恐ろしさや残酷さに耐え,理解する力を伸ばす上で,これらの患者と親密な交わりを重ねることが役立ってきたと私は思う。スース博士の絵本に出てくるグリンチのように,私の心は少しだけ寛大になったのである。