後藤雅博(新潟大学医学部保健学科教授)

 もう20年くらい前になるでしょうか,外来で認知症の方の息子さんが「父の持ち物の中に,こんなものがありました」と1冊の手帳を持ってこられました。1週間1頁のごく普通の手帳で,克明にその日どこへ行ってどんなことがあったかが書かれてありました。日記代わりの習慣だったらしいのですが,数年前の,ちょうどその方が初診で来られた年の前年の手帳でした。見ると,毎日の書き込みが,ある日(確か7月頃)「今日は大変なことがあった。自分の降りた駅がどこかわからなかったのだ」という記載を最後に後はまったく何も書かれておらず,手帳の残り半分は延々と白い頁が続いていました。その白い頁を繰りながら,私はそれが認知症に気づいた父親のショックと絶望の表現のように思えました。息子さんも同様の思いだったのでしょう,「父は長く国鉄に勤めていて,退職の後,自分の勤めた路線や知り合いのいる駅に行くのが何より楽しみでしたから」と言われたのです。もうその頃は父親の認知症はかなり進んでいて,家で看るのはとても無理な状況であり,時に入院や施設入所を勧めていましたが,「できるところまで」と在宅でのケアを選んでいたご家族でした。
 本書の著者松本一生氏は,そのようなありようの認知症の方と家族に,ずっとつきあってこられています。そしてある時期から家族サポートの中心に心理教育的アプローチを置くようになりました。心理教育は,もともとは統合失調症やうつ病などを対象とした,家族及び本人への支援法で,病気や障害についての正確な知識,情報を専門家から提供し,次に,家族(あるいは本人)が日常困っていることにどう対処するかを,個別にあるいは同じ悩みを抱えるグループで話し合い,当面の解決策や心理的サポートを得て,また少し何とかやっていってみようと思う気持ちになること(エンパワメントempowerment)を目標とするプログラムです。松本氏はこの手法に注目し,1990年代の初めから認知症のご家族への支援に応用していますが,私の知るかぎりでは日本で一番早かったと思います。
 心理教育だけでなく,著者の豊富な体験から来る認知症とそのご家族への斬新な視点には,学会発表や書かれたものを通していつも驚かされ勉強することが多くありました。たとえばそれは本書の中でも取り上げられている「遠距離介護」であり,「老老介護」「高齢者虐待」などの介護する家族に生ずる問題への直視と,その改善と予防のための果敢な挑戦です。しかし,私たちが氏の発表や活動に魅了されるのは,その内容だけではなく,氏のたぐいまれな,誠実,謙遜,淡々とした語り口,その中にある巧まざるユーモアといった人格的な部分であることは,氏に接する多くの人たちが認めるところでありましょう。その雰囲気はおそらく本書を読む人にも伝わることと思います。たとえば氏は本書の中で「認知症は家族の心をゆっくり傷つけます」と書いています。認知症と家族について深く理解し経験を積み,共感していなければこんな風には言えません。
 また,氏は特長的な言葉として,「町がずいぶん年をとった」「地域が年をとった」という表現をしています。「介護する家族」と「年とった地域を介護する自分」がどこか重なっているのでしょうか。本書の最初の方で氏は自分を「町医者」として語っています。まさに「町の医者」「地域の医者」の経験,「地域を介護する」視点から,また「心理教育」の観点から,認知症の家族と支援者を巡るほとんどすべてのことが暖かく語られている本書は,まことに希有な1冊と言うべきで,この本を最初に読み序文を書き,読者に紹介する栄を得た幸運を一読者として,また年長の友人として感謝したいと思います。

2006年春