編者のひとりとして本書の成立事情を述べなければならない。
 村瀬嘉代子先生は,本年3月をもって長年勤めてこられた大正大学を定年で退任されることになっていた。職務をまっとうして終わりを迎えるのはめでたいことで,それを寿いで記念の本を出そうと声があがり,私と青木省三氏とが編者となった。村瀬先生の最終講義や論文を軸にして,先生の臨床を深く知る臨床家や研究者の方々から論考を寄せていただくことにした。業績をたたえる式のたんなる「記念文集」ではなく,この機会を生かして村瀬先生の臨床のあり方を多方面から浮き彫りにした本を残したいというのが編者らの願いだった。

 村瀬先生が定年後をどう送られるか,直接おうかがいしたことはなかったけれど,私の勘では心理臨床の世界からすっぱり足を洗われるのではないかという気がしていた。そのためにも,そのような本を編んでおきたかった。
 ただ,足を洗うのはなかなかむずかしかろう,とも思っていた。先生の志はそうあっても,まわりがそうはさせてくれないだろうな,と。「第二の人生」を送らんとする村瀬先生のもとを,難題を抱えた人たちがやっぱり訪ねてくるにちがいない。
「私はただのおばさんですし,引退したいまは,ただのただのおばさんでしかありませんから」
「わかりました。でも,ちょっと,ちょっとだけ聴いてください。それだけでよいのです。でないと帰れません」
 といったやりとりが目に浮かぶ。
 で,その「ちょっと」に耳を傾け,でも耳を傾ければ責任が生じて,耳だけでなく持てる力を傾けてゆくことに結局なるだろう。心理臨床の領域とかぎらず,なにごとであれ,出合う物事のひとつひとつにそうしてこられ,そんなふうに生きておられるうちにいつしかこの道の第一人者と目される域に達してしまったのが村瀬先生で,かくかくたらんとあらかじめ目指してこられた人ではない(と私は見ている)。みずから願い求めてきたものではないから,さらりと退くに何のためらいもこだわりも持たれないのでは,というのが私の推測だった。しかし,まさに同じ理由から,まわりから求められるかぎり,それを振り切って「わが道を」ということもなされないのでは,とも考えていた。自己実現の追求といった生き方とは無縁なのである。

 まわりがそうさせないだろうという私の予想は,定年を迎えられる前に早くも思いがけぬかたちで当たってしまった。大学当局が村瀬先生の教授退任を惜しみ,余人にかえがたしとして定年の延長を決めたのである。編集作業が進み,退任記念論文集として諸先生方に執筆をお願いして力とこころのこもった稿が集まり,すでにゲラ刷りの段階に入ってからのことであった。
 村瀬先生が大学に残られることになったのは職場をともにする私としてはとても喜ばしいことだけれども,編者としてはいささか困った。しかし,思えば,一番とまどわれたのは村瀬先生にちがいない。第四コーナーをまわったところで見えていたゴールが急に消えてしまったら走者はどんな感じになるだろうか。
 退任が延びたからと刊行をとりやめてはご執筆くださった方々に申し訳ないし,なによりもこれほど多数の力編がもったいない。著者校正用のゲラをお送りするに際して事情の変わった次第をお伝えして了承を受け,必要に応じて手を入れていただいて上梓することにした。予定していた最終講義のかわりに村瀬論文九編を収めて第Ⅰ部とし,ご寄稿いただいた論考を第Ⅱ部として本書のようなかたちとした。執筆者の方々にご迷惑をおかけしてしまったけれども,結果的には,村瀬臨床にさまざまな視点から光をあてて浮き彫りにするという編者らのねらいにかなった内容になったのではないかと思う。
……(後略)……

平成18年3月 滝川一廣